猫と蟻の話

可愛白兎(えのうさぎ)

猫と蟻の話

 私、猫と蟻ってマジ無理なんだよね。


 これ話したら変わってるねって、よく言われるんだけど。


 猫って嫌いな人、あんまりいないじゃん。


 蟻って好きとか嫌いっていうか、言われてみたら気持ち悪いかなぁくらいでしょ。

 私の無理って、ほんとに鳥肌たって足がすくんじゃうくらい無理なの。


 なんでそんなに苦手かって?


 理由聞きたい?


 聞かなきゃよかったなんて後悔しないでよね(笑)






 私が大学に入学して、一人暮らしを始めたころの話だ。

 私のアパートのすぐ隣の駐車場が猫の集会場になっていて、頻繁に集会が行われていた。

 猫好きの私だったが、今まで実家がマンション住まいだったため猫を飼えなかった。


「大好きな猫がすぐそばにいる!」


 猫と交流をはかるべく駐車場におもむき、できれば撫でたいと思ったのだが悲しいかな激しく威嚇されるのであった。


 どうも私は猫と相性が悪いらしい。


 私のアパートはちょっと変わっていて、急な坂の多い場所に建っているため、まるで崖に建っているような感じなのだ。


 私の部屋は1階の角部屋なのだけど、駐車場はアパートの地面より2メートルほど下にあり、2階から見下ろしているような感じに見える。


 駐車場は、もともと庭付きの大きな家だったのだが、取り壊されて駐車場になった。


 取り壊される前の家は庭に木々が茂っており、中は窺い知れず、家の人の出入りも見たことはなかった。昼でも暗く少し不気味な感じがしていた。


 駐車場になってから猫の集会が行われるようになり、はじめのうちは出窓から猫を眺めて癒やされていたのだが、繁殖の季節になると「アオォ〜ン!」という鳴き声と、喧嘩の「シャー!」という威嚇音がうるさくて仕方がない。


 猫たちは近所の飼い猫と思われる首輪をつけた猫もいるのだが、野良猫も多数いる。


 駐車場の端の一画にはトタンでできた古い家があり、そこに住むお爺さんが寂しさからか、野良猫に餌付けして可愛がっているのだ。


 時折、エサを入れた皿を置いて、猫の名前を呼び撫でているのをみかけた。


 駐車場の掃除など管理をしているところをみると、どうもそのお爺さんは駐車場の関係者らしい。


 ある日、不動産屋だかマンションのディベロッパーだとかいう男が「駐車場の持ち主を知らないか」と、うちに尋ねてきたことがあった。


 昔は大きな庭付きの家だったという話をすると、男は礼をいって去っていった。


 だいぶ経ってから、駐車場の前を通りがかったときに、また男に出くわしたのだが、向こうも私のことを覚えていたのか、会釈をして近づいてきた。


 男は近所の聞き込みをした結果、持ち主はこの駐車場の隣のトタンの家のお爺さんらしいと、教えてくれた。


 しかし、お爺さんはすでに引っ越したのか、この家は空き家らしい。

 そういえば最近お爺さんを見かけなくなっていた。


 家賃収入は娘に渡るようになっていて、娘にコンタクトを取ったのだけど全く無視されてしまい、お手上げだという。

 最近はこの辺も古い家が取り壊され、新しいアパートやマンションが建設されている。

 隣もトタンの家も合わせると結構な広さになって、マンションには魅力的なスペースになるだろう。

「もう少し調べてみますよ」と、男は力なく笑った。なんとも地道で大変な仕事である。

 こうやって聞き込みをしては、交渉しているのだろうか。


 私を悩ます猫の集会は、6月の梅雨の季節に入り、猫たちの声もおさまって来るかと思いきや、一向に止む気配がない。

 猫好きがしばしば招かれるという集会は、猫が公園や駐車場などの広場に集まり、各々が思うように過ごす静かなもので、ひどくのんびりした平和的なものであると噂に聞いている。

 しかしながら、アパートの隣の集会はいつまでたっても、鳴き声がうるさく喧嘩も絶えないのだ。大家のお爺さんがいなくなって餌が足りなくなり喧嘩が起きているのかと思ったが、猫たちは相変わらず丸々と太って、飢えているように見えない。

 この近辺は、エサをやる年寄りが多いので飢えてはいないのだろう。

 そもそもエサがなければこんなに猫は増えない。困ったものだと思う。


 7月に入ったころだろうか、猫の集会のほかに悩ませられることが起こった。

 夜中に足にチクチクと痛みを感じるようになった。気づくと1匹の蟻が足にはっていた。

 どこから入ってきたのか部屋を見回すと、ゴミ箱から一筋の蟻の道ができていた。

 たどっていくと駐車場側の窓枠の隙間から外に続いてた。

 足を咬まれるのはたまらないと、ネットで蟻の駆除の方法を検索して、蟻の好む匂いを出すという駆除剤を買って窓枠のところに置いて様子をみた。

 しかし、この蟻の種類の好む匂いではないのか、食いついてこない。そのくせ足にはよく食いついてきて、夜中にたびたび蟻に咬まれて痛い思いをするようになったのだ。

 蟻が咬んだくらいでそれほど痛いのかと思われるかもしれないが、蟻の分泌する蟻酸が激しい痛みを生じさせるのだ。こんな小さな蟻がと思うくらいに痛い。

 我慢の限界に達したある日。これは巣ごと駆除するしかないと思い。直接、巣に殺虫剤を撒くため蟻の道をたどってみることにした。


 玄関から大回りして坂を下り駐車場に入って、アパートの壁を見上げる。

 窓から壁に続く蟻の筋を見つけた。

 小学校のころクラスの男子が飽きもせず蟻が昆虫の死骸を運ぶの眺めていたのを思い出す。

 蟻の道は、アパートの壁から駐車場の地面へと続いていた。

 蟻の列をかがみながら追っていくと、どうもあのトタンの家に続いているらしい。

 流石に勝手に人の敷地に入るのは躊躇われた。

 それに、あのディベロッパーだか不動産屋だかの男によれば、この家もすでに空き家だということだった。

 一応、玄関に周り、呼び鈴のようなものを押してみる。もう電池が切れているのか全く音の鳴った気配もない。

 家は外観からトイレ・キッチン別の6畳1間くらいの広さだろうと思われ、青色のトタンの壁と屋根、赤錆がところどころに浮いている。

 この家も私のアパートを背に2メートルほど下にあるので、アパートの日陰になり昼間でも薄暗かった。

 7月とはいえ今年は記録的な日照不足で晴れている日がほとんどなかった。今日も梅雨空で昼間だというのに、夕方のような暗さだった。

 冬は寒いだろうと思うし、あんな広い屋敷住んでいたのになんでこんな家に越したのかとも思う。

 子どもと住む選択肢はなかったのだろうか、もっといいところに引っ越せばよかったのにとお爺さんのことを思った。駐車場側から回り込んですりガラスの窓を覗くが、家の中は暗く人の気配は感じられない。

 ふと見ると蟻の道が、トタンの隙間から続いている。

 きっとこの家の床下に巣があるのだろう。

 駆除するためにはこの家の中にある巣に薬剤を撒くしかなさそうだ。

 多分、砂糖かなにかの調味料が残ったりしていて、蟻が巣食っているのだろう。

 まぁ。空き家なら、勝手に敷地に入ってもなんとも言われないだろう。

 ましてや猫に蟻にとこちらは非常に困っているのだ。

 もう一度玄関に回り呼び鈴を押す。やはり鳴らないので、扉を叩いて呼びかけてみた。


「ごめんくださーい」


 返事はない。


 強めに叩いてみると、家ごとなるようにトタンがガタガタいった。

 どうしたものかと思っていると、先程強く叩いたせいか、玄関の扉が少し開いていた。

 古くてがたがきているのか、そもそも鍵がかかっていなかったのか。

 悪いと思ったけど、鍵が開いているなら中に入って蟻の巣を見つけることができるかも知れないと思った。


「ごめんくださーい」


 私はもう一度大きな声を出しながらドアノブを掴んでそっと回した。扉が軋んだ音を立てて開いた。


 その瞬間、私はギョッとして後ずさった。

 

 暗闇の中に、蠢く光る目が一斉に私の方向を見ているのだ。

 目が慣れてよく見ると、集会にくる猫たちだと気づいてホッとした。


 しかし、それと同時に異様な臭気に吐き気を催した。


 そして私は見てしまった。


 玄関を開けて全体が見渡せる部屋に仰向けで横たわるものを。

 強烈な臭気の中、口元と鼻を腕で覆い恐る恐る近づく。


 猫たちはずっと私を見つめている。


 顔は猫たちに食われたのだろう。白骨化し落ち窪んだ眼球からは無数の黒い蟻が這いずり出し、せっせっと何かを運んでいる。


 私はたまらず外に飛びだして、吐いた。


 ひとしきり吐いたあと、新鮮な空気を吸って、肺の中から死臭を追い出した。


 私はポケットからスマホを取り出した。


 通報後、事情聴取に呼ばれた警察によると、お爺さんは6月に入ったころに、亡くなっていたらしい。ただ猫たちに食い荒らされたのと、梅雨時期とあって遺体の損傷が激しく死因の特定には至らなかった。

 血中のアルコール濃度がかなりの酩酊状況を示していたくらいで、いずれにせよ事件性はないだろうということだった。痛みも苦しみも感じずに亡くなられただろうと言っていた。


 ひとり身の寂しさから酒量も増えていたのだとしたら悲しい話だ。最後は苦しまずに逝けたということは唯一の救いなのかもしれない。


 聴取を担当した警察官が、ひとつ不思議なことがあると言った。

 家族によると、お爺さんは猫を可愛がるような人じゃなかったそうだ。むしろ猫と相性が悪くよく威嚇されていたらしい。


 程なくして、お爺さんの住んでいた家も取り壊された。トタンの家は半日もかからずに更地になってしまった。


 猫の鳴き声は止み。家が取り壊されたからか、蟻も出なくなった。





 ざっと話すとこんな感じ。


 蟻を見るとお爺さんの窪んだ眼の穴や、口から這い出てきていたのを思い出して、鳥肌がたっちゃうの。


 ほんとマジ無理。


 あ、それとそれからひとつ変わったことがあるんだ。


 私ってめっちゃ猫に威嚇されるって言ったじゃん。


 あのことがあってから猫たちがやたらと私にまとわりつくようになったんだよね。


 あんまりまとわりつくから、かがんで頭を撫でようとしたら膝に飛び乗ってきて、私の顔を舐めたの。


 猫の舌のやすりみたいなざらっとした感触。


 お爺さんの顔も舐めたんだと思ったら、吐き気がこみあげてきて……。

 

 そういえば、あれから夜に猫があんまり鳴かなくなったなって思って、カーテンを開けて駐車場を見たら、アパートの窓の下に猫がいっぱい集まって私の部屋を見ているの。


 あの暗闇の光るたくさんの目で。


 そう。まだ、そのアパートに住んでいるんだけど、わりと真剣に引っ越すことを考えてる。

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