最終回 愛していこう、この世界を
あれから、十年が過ぎた。
富山県、中新川郡立山町、黒部湖畔。普段は人気のない山深いこの地に、今日は大勢の人が集い、カメラを構えたマスコミや中継のヘリコプターが、『その時』を待ち構えていた。
”それでは、これより『新黒部ダム』起工式のテープカットを行います”
場内のアナウンスを受けて拍手が沸き起こる。かつて人が世界から消えた時に貯水の許容量を超えて崩壊したこのダムの再生が今、始まろうとしていた。
”内閣総理大臣、
政治家や電力関係者の名が次々と呼ばれ、手にハサミを持って長い紅白のテープの前に居並んでいく。そして……
”最後に、新黒部ダム建設特別顧問、
背広の面々に交じって、ひとりだけツナギ姿の中年男性が、その列の末席に並ぶと、他の誰よりも大きな拍手が沸き起こった。
彼はかつてこの黒部ダムが崩壊した時、その様子を克明に記録しており、またラジオを通じて下流域の人たちに危機を伝え、被害を最小限に食い止めた立役者だ。
もちろんその時に活躍した人は他にも大勢いたが、その代表として選出されたのが彼だった。建設業に係る者として、誰よりもそのダムの崩壊を嘆いた人物として
多くの人から「彼しかいない」と推薦を受けていたのだ。
(やれやれ、こんな大舞台に立たされるとはねぇ)
私、椿山湊は場違いな場所に立たされてさすがに緊張していた。なにせ総理に県知事にその他もろもろの偉いさんと一緒に、国家の大事業の開会式に関わろうというのだ。
ロープで仕切られたギャラリーの最前列には、昨年挙式したばかりの白瀬ヒカル・黒鈴夫妻や、その養父である大熊夫妻、未だに放送業に携わる松波夫妻とその息子さん、そしてあの旅で知り合った様々な人たち。
私の愛する妻、智美。娘の里香とその旦那さんの名口君。徳島の建設会社で共に働いた社長や職人のみんな。
それぞれ十年の歳月を経て歩んだ人生を背負って、私に拍手を送っていた。
(みんな、立派になったもんだ)
十年ひと昔と言うが、変わっていないのは私だけな気がするなぁ。相変わらず徳島の田舎で営業兼作業員の毎日を送っている自分だけが、世の中の移り変わりに取り残されたような気にすらさせる。
まぁ、それだけに今日のテープカットに呼ばれたことは、ある意味一世一代の晴れ舞台と言えるのかもしれないけど。
◇ ◇ ◇
あれから、世界は急速に復興していった。
あの『にんげんホイホイ』から人々を救出する方法が見つかって以来、世界各地で次々と失った人口が戻って来たが、それに対する混乱は思ったよりもずっと少なくて済んでいた。
その最たる要因。それは救出された最初の一人、白瀬ヒカルがあの時、ラジオを通して世界中に向けたメッセージ、その言葉を世界が汲んでの事だった。
――僕は、この世界が大好きです――
一度、自分の理想の世界という殻に閉じこもった人にとって、戻ってきた世界はなんとも広く、そして美しく輝いていた。
見た事もない景色、味わった事の無かった食べ物、聞いたことが無かった美しい音色。
そして……自分と違う経験をし、違う価値観を持った多くの人間たち。
なんて素晴らしい世界なんだろう。ホイホイの中では決して知る事の出来ない『交流』という宝物。自分を変えて行く価値観、成長させる経験、人の温度を知る、他人との触れ合い。
世界中の人々が
新たな仲間を迎える、それ以外に何の見返りも無しに。
そんな世界の中、どの国よりも早く復興を進めたのが日本だった。特に影響が大きかったのが、九州で世に戻った
そしてそれに反発、一念発揮したのが続々と復活した警察、自衛隊、消防、自治体、そして政治組織だったのだ。
「ヤクザに負けてたまるか!」との意気込みを持って裏表なしの行動力を存分に発揮し、食料の生産や確保、インフラの復活から衣食住の整備まで、想像を超える速さで整えて行った。
マフィアの活躍をカンフル剤として正当組織がそれを上回る動きをする。この日本のモデルケースは世界中の人たちに大きな影響を及ぼした。日本人民族のその精錬潔癖な行動に、今度は「東洋のサルに負けるな」「我々の民族の優秀さを見せてくれる」とばかりに各国が善人悪人を問わずに、半ばムキになって復興を加速させていったのだ。
あと、復興の最中でベビーラッシュも巻き起こった。新たな命が希望となるのは生物共通の認識だし、あの結婚式でマツナミ夫妻が子供を授かったのもより影響を強め、世界各地で新たなカップルや命が爆誕していた。
結果、人類はかつての七割、四十億人あまりまで人口を取り戻している。
反面、未だにホイホイから助け出せない人たちもいる。特に顕著なのが世界の中でも大きな勢力を持っていた、とある宗教の信者たちだ。
現世を神の試練と捉え、日々の苦行を欠かさぬことでいつか天国に行けると信じていた人たちにとって、ホイホイの中の世界はまさに自ら目指した世界だった。断食や礼拝を続けていた自分たちが報われた世界に行けたのだから、またこっちに戻って苦行の日々を送ろうなどと思う人はそういなかった。
また、食べる事すら困窮している貧しい国の人々や、紛争中で子供すら銃器を持って戦い、他人から食料を奪って生きて行くような国の人たちもそうそうは戻ってこなかった。無理もない、誰が望んで地獄に戻るだろうか。
そして、そんな国々に対しても、近隣諸国や大国はそこを支配しようとはしなかった。火事場泥棒のような真似を嫌い、彼らが戻ってきてから改めて外交を行うべく、その国への支援と復興を余力の許す限り行っている。
いつか彼らが戻ってきた時、世界は完全に元通りになるだろう。
付け加えるなら、余命いくばくもない人達も戻ってこないケースが多かったが、こればかりはさすがに無理に戻すことは出来ない。彼らが今後どうなるかは彼ら次第だ。
全人類に現れた『にんげんホイホイ』は、その人がこの世界に順応していくに従って消失していった。逆に言えばホイホイが消えない人は未だ理想の世界にすがりたい人、というわけで、ちょっと差別的な目で見られたりもしたが、法整備でそれはほどなく抑えられた。
また、犯罪者に多かったケースだが、一度助け出された人が再びホイホイに入った場合、今度は小さくなるのではなく、ホイホイごとその人が完全に消失してしまっていた。さすがに地球も二度も自分を嫌う人を戻す気は無い、ということか。
なので、やはり自分のホイホイには消えて貰いたい、というのが人類の共通認識になっていた。
その方法は簡単だ。この世界を、地球を、愛せばいいんだ。
◇ ◇ ◇
”それでは、テープカットをお願いします!”
アナウンスが響き渡り、総理が、議員が、社長が……そして
しゃきんっ!!
小気味よいハサミの音、紙吹雪のように舞い落ちるテープの破片。そして万雷の拍手が山の谷間に響き渡る。世界でも群を抜いて大きな再生工事が今、この瞬間からスタートしたのだ。
「さて、じゃあ早速、
私はそう言って、肩をぐるぐる回し資材置き場に向かう。以前と違ってまだまだ形式ばった事をやってるヒマはない、その場にいる人全員が戦力であり労働力なのだ。
ヒカル君も、くろりんちゃんも、天藤も、名口君も、仲間の職人たちも、そして棟方総理までもが腕まくりをして、早速の作業にとっかかっていく。
さぁ、みんなで力を合わせて、新しい景色を見ようじゃないか。
◇ ◇ ◇
その黒部地方を遥か眼下に見下ろす飛騨山脈、焼岳の尾根に、ひとりの山伏が立ち、目を細めて遥か向こうの景色に思いを馳せていた。
かつてこの地球が望んだ、我々『にんげん』のあるべき姿を、想いを、世界中から感じ取りながら、彼は一言、発した。
「―――――――――――――――――」
誰も、彼のその言葉を、天禅院白雲の最後の言葉を、知ることは無かった。
小説『にんげんホイホイ』 ―完―
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