第八十五話 解放に向かう世界 ②九州の侠客たち(福岡)

「黒鈴、黒鈴、ああ~、よく帰ってきてくれたねぇ」

「お母さん、お母さん、おかあさ~んっ!」


 北九州市のアパート、くろりんちゃんの家で、彼女と今しがた助け出したばかりの母親、夏柳 美鈴なつやなぎ みりんさんは抱き合って、お互いの再会を涙を流して喜んでいた。

 後ろで見守る私とヒカル君も頷き合って(よかったね)とアイコンタクトする。



 ここに来るまでに私達は、彼女の家庭の事情と、ホイホイされた母親が何をしていたかを聞いていた。

「お母さん……いろんな男の人に恨みがあって、それで、その……仕返しを」

 ああ、それでか。彼女とここで出会って、出立の時に母親に挨拶しようとして、それを頑なに止められたのは、母親の醜い復讐の姿を見られたくなかったんだな。


「だから、もし、今もお母さんがそんなコトしてたら、もう……」

 見捨てたい、とでも言うつもりだったんだろうか。そんなコトできるわけがないのになぁ、まだ小学生なんだから。

「ヒカ君はちゃんと我慢できたのに、お母さんは、我慢できなくて、だから……」

 そうだったな。ヒカル君は親を殺した犯人を殺せる世界がホイホイの中にあったと言っていた。確か『ざまぁ』だったか。でもそれを良しとせずに現世に留まった、


 だからこそ彼女はあの時、ヒカル君に強く惹かれたのかもしれないな。



 でも彼女の心配は杞憂だった。再会した母親のホイホイはもう大きくなっていて、それは彼女がすでに復讐に溺れるのではなく、この世に帰りたいと切実に願っていた証明なのだった。

 ちなみにバルサンラジオはこの地域にも届いていたらしく、彼女は娘の全国を回っての活躍に心から感動し、その娘と再び会えるのを心のよりどころにして待ち続けていたようだった。


 そして今、ホイホイから救い出した母と娘が、その喜びを分かち合っている。数歩離れた所でそれを見ていた私達も、ほっと胸をなでおろしていた。

 よかったな、くろりんちゃん。


「どうも、彼女をしばらく連れまわしてしまいました、椿山 湊つばきやま みなとです」

「こんにちわ、白瀬しろせヒカルです。」

 落ち着いた所で二人そろって頭を下げる。あるいは誘拐犯扱いされるかとも思ったが、美鈴さんは娘を抱きしめたまま、柔らかい笑顔で頭を下げた。

「黒鈴を守って頂いて、本当にありがとうございます。特にヒカル君、クマと戦ってまで……本当にありがとう。お二人のお陰でこの娘も、男の人を怖がらなくなりました。重ねてお礼申し上げます」


「いや、それは彼女自身の強さで克服したんですよお母さん。私やヒカル君の方こそ彼女に様々なことを学ばされたのですから。な、ヒカル君」

 笑顔でうんうんと首を縦に振るヒカルを見て、二人ともふふっ、と笑顔になる。うん、笑うと本当によく似てるなこの二人、流石親子だ。


 その後は四人で懇談の場となった。お茶やジュースを飲みながら、くろりんちゃんの旅の話に聞き入って、時に感心し、時に大笑いし、そして涙した。


「よかったねぇ、いい人たちに出会えて」

「うん! 私、ふたりとも大好き」

「あー、私はヒカル君の百分の一でいいから」

 うりうりとヒカル君をヒジでぐりぐりしながら二人を寄り添わせる。ちょっと赤面している二人を見て、美鈴さんは幸せそうに笑って言葉を繋ぐ。

「私が男運最悪だったけど、その分黒鈴はいい人達に出会えたねぇ、私も嬉しいよ」


 親子の再会は文句のない物になった。さて、ここからは別の大事な要件がある。私は意を決して母親に向き直ると、真剣な目で話を切り出した。

「さて美鈴さん。ひとつ大事なお願いがあります」



      ◇           ◇           ◇    



(俺の人生って、一体なんだったんだろうな……)

 指定暴力団、亜桜あざくら会総長の権田原 宗之ごんだわら むねゆきは、窓の外にかつて自分が座っていた『権力のイス』を眺めて、心でそう嘆いた。

 子供の頃から悪ガキでケンカ三昧。だが弱い者イジメには興味がなく、格上ばかりに挑んでいた気質を買われ、ヤクザの組にスカウトされた。


 だがこの渡世、綺麗事じゃ渡っていけない。組に収める上納金を稼ぐために選んだ方法は、ある女のヒモになり、そいつに美人局をさせて金を稼ぐというものだった。

 その女も相当に歪んでいて、自分を抱いた男を困らせられるならと、喜んで悪事を共謀し続けた。


 だが、俺はそんな生き方が嫌だった。なのに彼女とコンビを組んで、ずぶずぶと悪事の沼にはまり込んでしまった。


 そんな俺に転機が訪れた。本家の総会長の娘さんに見初められたのだ、彼女は学生時代の同級生で、真っ直ぐだった自分の学生時代を覚えていたせいで自分に幻想を抱いていたのだ。


 本来なら下っ端の俺なんかが総会長の一人娘とくっつける訳はない。なのに組は何故か総力を挙げて俺に帝王教育を施し、次期会長に相応しい男へとなる事を要求していった。

 九州男児としての誇りを忘れず、侠客としての生き方を貫く。強きをくじき弱きを助ける、そんな生き様は、俺の信条にぴたりとハマった。


 だがそれは、今まで付き合っていたあの女、夏柳美鈴との決別をも意味していたのだ。ちょうど彼女が身ごもっていて、これから彼女とちょっとはマシな人生を送れるかと思っていた矢先の出来事だった。


 俺は彼女に手切れ金を置いて去った。組の金じゃ無く、今の俺に出来る限りの金を集めた。たった三百万ぽっちだが、それが誠意の形だと自分を慰めて。


 これが俺のする最後の外道だと、自分自身に言い訳を重ねて。



 そして俺は総会長の娘さんと結ばれた。そして知った、身の程知らずの縁談が叶った理由を。


 会長の娘、権田原 早苗ごんだわら さなえは白血病を患っており、あと一年も生きられない体だったのだ。

 余命いくばくもない愛娘に、せめてこの世の春を見せてやろうという父親の、そして上層部の親心が、彼女がひそかに想いを寄せていた俺とを結びつけたというわけだ。


 そして俺は妻を失い、後には九州全域を統括する暴力団組織の長としての立場だけが残った。その座を奪おうとする敵は多かったが、幾度もの死闘や策謀を乗り越えて、名実ともにその座を勝ち取って見せた。


 だが、あの日。世界中の人間に妙な窓枠が開いたあの時から、すべてがおかしくなった。

 末端の組員たちは、世間に嫌われる事と上からの要求に嫌気がさしたのか、次々とその窓の中に飛び込んで出て来なくなった。それはすぐに系列の組の幹部から親分にまで伝播し、亜桜会はいともあっさり無人の組織になってしまった。


 俺にもその窓は出た。中にいたのは……俺に全てを与えてくれた女、早苗だった。


 渡世と世間に絶望し、その中に入って早苗との新婚生活をやり直した。真面目に働いて彼女を食わせ、正道を行く侠客の生き方を貫いた。

 だが、そこは虚仮の世界でしか無かったのだ。俺一人が必死に血を燃やしても、周囲はまるで人形のように俺を称えるだけ、まるで世界そのものにナメられ、バカにされているとしか思えなかった。

 俺がその世界を否定した時、早苗も、部下たちも全て消え失せ、小さくなった窓は砂嵐の映像に切り替わった……俺には何も無くなったのだ。


 失意の日々が何日経っただろうか、突然あの小さな窓が元の大きさに戻り、そこに自分がいた事務所が鮮明に映し出されたのだ。戻れるのか? と思って入ろうとしたが。見えない壁のようなものに阻まれて入れなかった。ただ、何故か小指だけは向こうに通り抜けられるのだが。


 それからさらに幾日も過ぎた時、窓の向こうの事務所に、ある一人の女が入って来た。

(あれは……まさか、美鈴、か?)


      ◇           ◇           ◇    


「コイツだよ。亜桜会総長、権田原 宗之」

「どうも、お邪魔しますよ総会長さん」

 美鈴さんに続いて会長室に入る私と鐘巻刑事。両手にはこのビル内に浮いていた大ホイホイを残らず抱えて持ってきていた。いずれもヤーさん然とした面々で、正直ホイホイから出したくはない連中だ。


”な……誰だお前は”

「やーれやれ、私を捨てて得た椅子まで放り投げて、今はそのホイホイの中かい。いいザマだねぇ宗之」


 質問には答えずに悪態を返す美鈴さん。そう、この男がくろりんちゃんの父親に当たる男だ。権力に目がくらんで身重の彼女を捨て、九州最大勢力の反社組織の頭に収まった男。そして本来なら私など影も踏めないほどの大物の極道。


 私と鐘巻さんは持っていたホイホイを部屋中に広げる。このビルに常駐していたほぼ全員の組員が、ホイホイに囚われたまま私達に懇願し、あるいは怒鳴る。

「コラァ出さんかい!」

「ナメとったらあかんぞ、オドレの顔は覚えたけんの!」

「なぁ、頼むよ出してくれよ、金は払うから……一本ひゃくまんでどうだ?」



「権田原さん、単刀直入にお伺いします。あなたはですか、それともですか?」

 部下共を無視して会長さんにそう告げる。そう、返答によってはこの連中をこっちに戻すつもりは無い。だが逆の返事が聞けたなら、危険だが彼らに働いてもらう必要があるのだ。


「今、世界はあなた方がいる『にんげんホイホイ』によって人が少なすぎる状態です。もしあなた方がこっちに戻ったとして、その後どうしますか? 食料も無い、電気も水道も来ていない、枯れつつあるこの世界で」


”世界中の人が、コレに飲まれているのか?”

「そうです。ですがあなた方同様に今、人類が次々とこっちに戻ってきています」

 そこで一度言葉を切り、ひとつ深呼吸してから相手を真っすぐに見て、言うべき言葉を叩きつける!


「あなた方が困窮する世間の人たちを食い物にするなら、このまま全員を封印します。ですが、戦後の日本のように、混乱にある世界をまとめ上げ、奉仕の心で社会を復活させることに尽力するなら、力を貸して頂きたい!」



 くろりんちゃんの家に向かう際、鐘巻刑事が無線でとんでもない情報を送ってくれた。なんと彼女の父親は九州最大勢力のヤクザ組織の頭だというのだ。もし不用意にそんな輩を助けたりしたら、治安維持が極めて困難になってしまうだろう。


 だが、令和の時代はともかく、昭和の戦後ごろのヤクザは、警察の手が回らない治安や復興に尽力する漢、『侠客』と呼ばれる者達が確かにいたのだ。

 そして鐘巻さんの情報によれば、その亜桜会という組織、末端はともかく中央部はその侠客の精神を持ち続ける連中だと伝えられた。


 もしうまくコントロールすることが出来たら、復興の力になるかもしれない、と。


「この会話はラジオを通じて世界中の人たちが聞いています。今からあなたが発する言葉は、世界に対してのである事を自覚してください」


 幾分脅迫じみたやり方ではあるが、それでも予防線も無しにヤーさんと張り合うよりはマシだろう。うまく行けば復興の力になるだけでなく、この世界に戻って悪事を働こうとする輩への有効な抑止力になるかもしれない。


”俺は自分が胸を張って、『侠客』と言えるだけの人間とは思わない”

 権田原は下を向いてそう答える。まぁ無理もないわな、目の前に自分が捨てた女性がいるんだから、そいう言わざるを得ないだろう。


 しばし沈黙する彼に、周囲のヤクザ共がホイホイの中から檄を飛ばす。

”会長! 受けて下さい。俺らがチンピラとは違う事を見せたりましょう!”

”飯さえ食えりゃサツより役に立ったりまさぁ”

”下のモンの押さえならワシらがやりますけぇ、亜桜会の看板を金にするチャンスですぜ!”


 部下たちの推しに、しばし沈黙していた権田原が、その重い口を開く。

”もし、もしもう一度チャンスを貰えるなら……俺は本物の『侠客』になってみせる!”


 そして美鈴さんに向き直り、ホイホイの向こうで彼は深々としてみせた。


”この権田原宗之、決して世間に迷惑を掛けず、世の復興に尽力して見せる。今までの悪事も出来るだけ償う、まずは美鈴、お前だ。俺をここから出してくれたら、どうされたって構わねぇ! だから……頼む!!”


 しばし頭を下げていた権田原がその顔を上げた時、彼の前にはひとりの少女がマイクを彼のホイホイに向けて立っていた。その隣には、顔に向こう傷を走らせた少年が、機材を抱えて周囲の視線を押さえ、少女をヤクザ達の恐怖からしっかりと守っている。


「たしかにお聞きしました。貴方の宣言は世界に届きました、嘘偽りはないですね」

”お前は……誰だ?”


 その質問に彼女、くろりんちゃんはひとつ息をつき、正面から相手を見据えてこう告げる。

「私は、黒鈴。このバルサンラジオのリポーターをやっています」


 それに続いて鐘巻さんが、私が、ヒカル君がそれぞれの言葉で、彼女を語る。


「人が消えた世界で日本中を飛び回り、生きている人に声をかけ続けて、世界をここまで元に戻した、だよ」

「頑張り屋さんで、いつも一生懸命に放送して、私たちを助け癒してくれた、世界に希望を振りまいた使だ」

「僕を強くしてくれて、恋を教えてくれた、です」


 権田原は目を丸くして固まっていた。夏柳の名を名乗った以上察しただろう、彼女が自分の娘だと言う事を。


「もう一度聞くよ。が、アンタに出来るのかい?」

 美鈴さんがずいっ、と権田原のホイホイに詰め寄ってそう凄む。


 あの日、総長への道が開けたその日に袂を分かった母と娘。その一粒種は彼の想像をはるかに超えた偉業を、何一つ後ろ盾がない状態でやり遂げていたのだ。


 そんな娘に、父親として、もう一度応える。そのチャンスが今、目の前にあるのだ。


”やる! 俺の全てをかけて、必ずこの世界に尽くして見せる!!”


””うおおおおおぉぉぉぉぉーっ!!””


 会長の言葉に応えて部下たちが雄叫びを上げる。彼らは皆、すでにヤクザの顔ではなくなっていた。この小さな少女に負けない活躍をして、自分の漢を上げようと決意をしている、侠客の顔だった。


 鐘巻さんが(いいでしょう)と頷いて私達に合図する。それに応えて美鈴さんが権田原のホイホイに手を伸ばし、小指をぴっ、と立てて「さ、早くしな」と伝える。

 ホイホイから出て来た彼の小指を絡め取り、彼女はその男を、後の日本の復興に大きな役目を果たすその組織の長を……


 勢いよく、この世界へと引っ張り出した。

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