第七十五話 政治屋、棟方 潮

「ふぁ、もう、朝か……あだだだだっ」

 富山県、ラジオ局「きときとらじお」の仮眠室にて目覚めた私は、身を起こすと同時に強烈な頭痛を感じてしばし悶えた。いかん、昨夜は調子に乗って明らかに呑み過ぎたなこりゃ。


 昨日の夕方にここに着いて、夕食で熱烈な歓迎を受け、ご馳走攻めにされて潰れた私がここに担ぎ込まれてきたまでの記憶はある。いかんなぁ、こうも厚意に甘えっぱなしじゃあ。

 というわけで私も何か役に立とうと、痛む頭を押さえて部屋を出る。階段を降りる最中に偶然くろりんちゃんとも合流し、一緒にロビーへと降りて行った。


 昨日の宴会場だったそこには大勢の女性がテーブルを並べて調理の最中のようだ、これは何か手伝わなければ。


「ひゃっ! 腐っちゃってる、昨日のブリが、もう!?」

 くろりんちゃんが思わず叫ぶ。昨日美味しく頂いたブリの刺身が、今日にはもう納豆のように糸を引いているじゃないか……気温は低いのに、痛みアシの早い魚なのかな?


「違うがよーくろりんちゃん。コレ昆布締めなのちゃ、食べてみっしゃい」

 気の良さそうなおばさんが刺身を一つハシでつまんでくろりんちゃんに差し出す。「えー?」という顔をしながらも、恐々とそれを口に入れる彼女だが……


 それを咀嚼したまま、その場で歓喜のタップダンスを踊り出す。

「んん~~~~、めっちゃうまいがぁ! コンブの風味と刺身がベストマッチングたい!」


 私も味見させてもらって驚いた。糸を引いているのはコンブに含まれるうまみ成分、ムチン酸というらしく、それが刺身に非常に上手くマッチングしている。これなら醤油無しでも十分イケる!


「保存効果もあるんよ、これをバルサンラジオの松波さんと羽田さんやったけ? 二人の結婚式のお料理に送ろうと思うてねぇ」

「あ、それいいです! 松波さん達きっとすっごく喜びますよ」


 確かにそれはいいアイデアだ。結婚式といってもこのご時世じゃまともな料理は期待できないだろうし、そこに富山のひみ寒ブリとなれば確実にメインディッシュを張れるだろう。

「昆布は結婚式には縁起物やしねぇ」

「そうそう、子宝にも恵まれるわよ」

「そうなんですか?」

 女性陣の話に興味津々のくろりんちゃん。うんうん、大人の女性に人生勉強をさせてもらうのは良い事だ……


「ほら、糸引いてるのがまたいいんちゃ」

「夫婦のおしとねは糸引くほどにねっとりと、ねぇ」

「おあの亭主は淡泊で参るわ、ねー」


 こらこらそこ、生々しい話を教えない! ほら、くろりんちゃん真っ赤じゃないか。

「え、あれ……ひょっとして意味分かっとる?」

「しょ、小学生、やろ……?」

 うーん、おばさま方の井戸端会議に混ざるには彼女はまだ早かったようだな、なまじ知識があるだけになぁ。



      ◇           ◇           ◇    



「と、いうわけでっ! 夕べはたらふくブリをご馳走になりましたー! 美味しかったですっ!」


 朝のバルサンラジオ放送、彼女は早速昨日のネタをリポートしている。


「お二人の結婚式にも昆布締めして送ってくれるみたいですよ~、昆布締めは糸引きますから、夫婦でしっとりねっとり、との事でーす。どーいう意味かなー?」

 おいおい、明らかにすっとぼけた口調で放送に下ネタを流すなよ、おませさん小学生! ほら、後ろのおばさま方が何とも気まずい顔してるじゃないか……。


”え、えーと、羽田さん、解説どうぞ”

”それ私に振るー!? 富山の人らも小学生になに教えとんがいね! ちゃんとそっちで説明しまっしま!"


 あーあ、松波さん達もすっかり手玉に取られてるよ。羽田さんも方言出てるし、恐るべし早熟少女、夏柳黒鈴。こりゃヒカル君も苦労しそうだなぁ。


「で、こちらが富山県の県議会議員、棟方 潮むなかた うしおさんでーっす」

「どうも、棟方です。バルサンラジオさんには大勢の方の命を救っていただき、感謝に耐えません」


 下品な朝のジョークの後に、棟方さんがラジオのゲストとしてお喋りを披露する。彼は昨日もそして今日も、ここで生き残っている大勢の人の指揮を取り、仕事を割り振ったり相談に乗ったりと、まさに八面六臂はちめんろっぴの活躍ぶりだった。

 ううむ、政治家なんて金欲や権力欲にまみれた輩だと思ってたけど、立派にリーダーシップを取っている人もいるもんだなぁ。


      ◇           ◇           ◇    


「椿山さん、少しお話したいことがあります」

 放送終了後、私はその棟方さんに声を掛けられ、白雲さんと共に会議室に通された。そこには他にも六人ほどの男女が座っており、その末席に着いて話が始まるのを待つ。


「さて、椿山さん。貴方はこの窓……ホイホイに囚われた方々を助け出したいそうですね」

「ええ、私の家族もそうですし、是非その方法を見つけて救いたいと思ってます」


 私の決意の言葉に棟方さんはふぅ、と息をついで、そして厳しい目をして言葉を返す。

「仮にそれが実現したとして……そう例えば、今この瞬間に世界中のホイホイが割れて、中の人たちが全員解放されたとしましょう。そしたら、どうなると思います?」

「いや、そりゃ社会が普通に戻るのではないですか?」

「食料も無く、インフラもほとんどがストップしているこの状況で? 流通も滞り、生産ラインも農業も機能停止してるこの世界で、何も出来ない人間だけが一気に戻ったらどうなるか、お考えですか?」


 その言葉に愕然とする。言われてみて初めて気づく事実、そこまで想定しては考えていなかった自分に気付いて、慌てて自分なりの理論を考えようとする。が、考えれば考えるほど破綻するだけだった。


 もし今、世界中の人間が一斉に元に戻ったら、それこそ世界中で混乱が起きるだろう。まず確実に起こるのは、限られた食料の奪い合いだ。それはこの日本でも例外ではあるまい、あくまで今は少人数だからこそ、バランスが取れているのではないか。


「さもしいことよのう。誰もが『足るを知る』考えを持てば、自然の中で生きて行く事も出来るであろうに」

 白雲さんがそう告げ、ホイホイから解放されるには地球を汚す文明を捨てて自然に帰るべきだ、と説く。

 確かに誰もが謙虚になり、自然と調和して生きようとするならば、欲をかいた争いはずっと少なくなるだろう。


 だが、その意見に対して棟方さんは、強烈なまでの反論をぶつけた。

「自然の中で生きて行く……それは言葉を変えれば『弱肉強食』ですよ」


 この言葉には、さすがに白雲さんも鼻白んだ。確かに人間が動物のように野生で生きようとすれば、当然のように争いや略奪が横行するだろう。秩序があって社会があってこそ、人間は社会的生活を営めるものだ。


「社会を健全に回すもの、それはです。政治屋の私が言うと詭弁に聞こえるかもしれませんが、お金は社会の血液なんです」


 彼は語る。人間は己の欲や野心を『お金』という形で確保できるからこそ、社会の中で法に背かずに生きていけるのだと。

「警察官にお給料が出なかったら、だれが危険を冒して悪人を逮捕するでしょう。報酬無き裁判官が、被告人に有罪判決を下せますか? その人や家族に激しく恨まれるというのに」


 まさにぐぅの音も出ない正論である。そのお金が社会を回していない以上、ホイホイの中の人たちが一斉に出てきたりしたら、人間の社会性は一機に壊れるだろう、略奪や独占確保、戦争と言う形で。

 そして、思えば忘れがちだったが、先にホイホイに入った人たちは、私たちに自分の欲望の世界をのだ。そんな恥を晒した人たちが戻って来て、私達と対等に付き合えるだろうか……あるいは自分の恥部を見た人間に対して、殺意すら抱くこともあるかもしれない。


「ここにいるのは富山の各地区の漁業、林業、農業や流通業の方から選ばれたリーダーの皆さんなんです。私達は今後の方針を決めるべく、毎日こうやって話し合ってきました」

 棟方さんに続いて、昨日呑み明かした漁師の親父さんが口を開く。

「放送でアンタがホイホイの中の人を助けるつもりじゃっちゅうて、驚いたもんだわ。その後にどんなすごい手を考えているのかと、ねぇ」

 いや、なんにも考えてなかった。ただ人が戻れば、人間の世界が戻って来るものだとばかり思っていた……甘かった、んだ。


「あ、別にあなたを責めるつもりでは無いんです。ただ、私達もできれば戻ってきて欲しい人は大勢います」


 そこで一度言葉を切り、神妙な顔で続きを語る棟方氏。


「ですが……戻す人間は慎重にだと思っています」




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