第七十四話 富山の寒ブリ、うまし!
結局、飛騨の白雲さんの修行洞窟で丸二日足止めを食らって、天候が回復した日のお昼にようやく下山を開始することができた。
ちなみに山はもう完全な銀世界で、来るときに岩が露出していた熱源地帯もすっかり雪が覆い被さっており、そこに照り付ける太陽が反射して、まるで世界全体が輝いているように眩しかった、
「まさに一面の銀世界と、青い空が異世界のようです! 風もなく空気は澄んでいて、本当に美しい世界ですよ」
くろりんちゃんが三日ぶりのリポートを、ホイホイリフトに乗りながら行っていた。あの洞窟内では無線が届かずにみんなに心配をかけてしまったが、今日ようやく下山を始めて通信が回復したので早速おわびレポートをしている、というわけだ。
”雪崩とか気をつけて下さいね、いくらホイホイに乗ってるとはいえ、巻き込まれたらどうなるかわかりませんからー”
「りょーかいしました、周囲には特に気をつけまーす」
ちなみにラジオにもホイホイに乗って飛べることを公開している。今までは予想外の事故を心配して秘密にしていたが、私たちの無事を心配してくれているみんなを安心させるためにも、ついにここで明かしたのだ。
ただ、世界で聞いている何人かは既に知っていたらしく、ガケや川を渡る際に使ってる人もいるそうだ。まぁ確かにゆっくりとはいえ、空を飛べるのは便利なものだ。それが生き残った人たちを助けてくれるなら、ホイホイにもいい利用価値があるのだなぁ。
「そーいえばですねぇ、このホイホイ、トイレにもなるんですよー」
彼女がそう言った瞬間、ラジオの向こうから噴き出す声やずっこける音が聞こえてきた……気がした。
私が山形で実践した『ホイホイの中にトイレを想像して、尻だけ突っ込んで用を足す』やり方は大ウケで、下山するまでの間のラジオ放送を大いに盛り上げた。そりゃまぁなぁ、トイレットペーパーやウォッシュレットまで想像したら出てくるんだから便利この上ないのは確かだし。あ、でもホイホイを作った地球様の怒りを買うかもしれんなぁ……ま、いっか。
反面、今回の旅で知った『地球の意思』は言い出せないでいた。今となっては確信を得てはいるけど、それをラジオで話せばまた羽田さんが反発するだろうし、世界の放送からはこのホイホイが別の原理で発生していると主張する人たちも多いからだ。
このネタは一度石川に持ち帰って、どう報道するかをじっくりと検証する必要があるだろう、白雲さんもそれに賛同してくれたしな。
ふもとにある中継車まで辿り通いた時、ちょうど放送終了の時間だった。最後に松波さんが伝えてくれたのは、”富山に寄って下さいね、みなさんお待ちしてますよ”との事だ。
あの黒部ダム崩壊の一連の騒動では、あそこに生きていた人たちや近隣の協力者たちによって被害を最小限に抑えることが出来たのに加え、今までにない程の生存者を燻し出すことが出来ていた。ダムが崩壊したのは残念だったが、そのお陰でより大勢の方と、バルサンラジオの縁を繋ぐことが出来たのだ。
そんな彼らに出会えるのは嬉しい事だ、共に困難を乗り切った人たちと、この終わった世界で対面できることに思いを馳せる。
その道中で私たちは高山市や飛騨市に立ち寄り、放送を広げようと少しウロついてみたが、残念ながらどこも電気は来ていなかったので無駄足になってしまった。
「うーん、残念。富山方面はけっこう人いたみたいのにねー」
「ここから南に行けば岐阜市だからねー、みんなそっちに行ってるのかもしれない」
残念がるくろりんちゃんを慰めておく。人間社会が崩壊して都会の人口がスカスカになった今、あえて厳しい冬を山中で過ごそうとする人はそういないだろう、生き残った人たちが越冬のために平地に降りてくることは十分にあり得るな。
「なんか渡り鳥みたいですねー」
「自然に生きるんだから、それもいいんじゃないか? ねぇ」
そう言って白雲さんに目配せすると、彼はそうくるか、と目を丸くした後、頬をコリコリと書いて苦笑いでこう返す。
「ま、まぁ、時期によって住居を変えるのはひとつの自然との調和ではあるな」
うんうん、こういった自然に寄り添った生き方にし少しづつ変えて行ったら、ひょっとしてホイホイされた人達を呼び戻す呼び水になるかもしれない。私達現世の人間がそういう環境を整えて、帰って来る人を迎え入れられるようにしてあげれば、あるいは……。
成果が無かったのは仕方ないので、国道41号線を北上して富山市を目指す。目的地は松波さんに指示された富山県のラジオ局、”きときとらじお”だ。富山弁で『生き生き』という意味らしい。
駅から少し離れた所にある茶色いビルを見つけ、そこに車を向けた時だった。大勢の人がその駐車場から、こっちに向けて飛び跳ねながら手を振って歓喜しているのを見たのは!
「来た来たーっ!」
「ようこそ富山へ、お待ちしとったー!」
「くっろりんちゃーん、いらっしゃーいっ!」
「「椿山センセー、おひさしぶりーっ!」」
なんと百人は超えるであろう人達が私達を歓声を上げて迎えてくれた。見ればビルの下の方には、”富山県民の救世主、バルサンラジオのリポーター一同、ようこそ富山へ!”と書かれた手製の横断幕が張られていた。
車を止め、降りた私たちは大勢の人に囲まれ、その中から一人のネクタイを締めた人が前に出て、握手の手を求めて来た。
「どうも、富山県議会議員の
おお、政治家とは珍しい。思えば東京の国会議事堂に行った時すら政治家には出会えなかった。この世界の危機に政治を司る者が片っ端からホイホイに逃げるのは言語道断だと嘆いたりしたが、こうして現世に残って頑張ってる人もちゃんといるんだなぁ、と感心して、がっちりと握手を交わす。
「宣伝カーから降りて来た人を政治家が出迎えるって、逆だろ棟方さん」
野次馬の方のツっこみに思わず笑いに包まれる周囲。まぁ確かに選挙時にはこの逆の光景が日本中で見られるものではあるが。
「椿山センセー、また会えましたね」
続いて声をかけて来たのは、新潟で出会った訓明高校文芸部のみんなだった。彼らもまた黒部ダム崩壊の際、奔走して多くの人たちを救う一端を担ってくれたんだ。
「よく動いてくれた、みんなを救ったのは間違いなく君達だ」
「えへへー、まぁいい小説のネタになるし、今度こそ芥川賞モノのを書いて見せますよ」
大きく出たなー。というかそんな賞が復活するのは何年後になるやら。
「くろりんちゃん、マジ美人! 本気で小学生ー?」
「こりゃあ本当に美人さんじゃ、どうや、ワシの息子の彼氏にならんか?」
「ちょっと! この娘にはイイ人がいるの知ってるでしょ、ウチの石潰しになんかもったいないわ!」
ラジオ放送の花のくろりんちゃんはさすがに大人気だ。大勢の男女に取り囲まれて持てはやされている。そして彼女もまた、そんな周囲に愛想よく笑顔を振りまいて、ごく自然に受け答えをしている……男性恐怖症だった彼女が、今や平然と大勢の老若男女と接してるんだ。
くろりんちゃんのお母さん見てますか? 彼女は私達との旅を経て、とてもいい子に育ってますよ。
「さぁさぁ、つもる話は食事をしながらにしましょう、宴席を設けてますよ」
棟方さんにそう勧められ、私達三人はビルのロビーに向かう。おお、食事とは嬉しいね、なんせここ数日ずっと保存食ばっかだったから、少しでも暖かい物や腹に溜まるものが頂けるなら有難……い?
「うわ! すっごい大きい魚じゃがぁ!!」
「ほ、ほれは、ハマチ!?……いや、ブリや! 富山の『ひみ寒ブリ』ちゅうやつか!」
思わず方言ダダ洩れで驚愕する私達。無理も無いだろう、ホールの入り口に並べられているのは、丸々と太った富山名物の寒ブリ、全国ブランドの”ひみ寒ブリ”に間違いない! 料理番組やニュースでしかお目にかかれない全国級のブランド品……これ、頂けるんです、か?
「よくご存じですね。さぁ、存分にご賞味ください。富山名物ブリ尽くし!」
席で私たちを待っていたのは、平時ならおいくら万円払えば口にできるのかもわからないほどのご馳走だった。ブリの刺身にしゃぶしゃぶ、アラ焼きにブリと昆布の潮汁、ご存知ブリ大根に加えて中央に鎮座しているのはでっかいブリのアタマのカマ焼きだ。ああ、これ夢じゃ、ない……よな?
「漁師さんが何人かいましてね、是非今回のお礼にと提供してくれたんですよ」
棟方さんの言葉に、テーブルの一角からゴツそうな男衆が「イェーイ」と手を上げる、ああ彼らが漁師さん達か。
表の皆もテーブルに着き、いよいよ待望の食事会が始まる。ああ、もうお腹が鳴りっぱなしで、溢れる唾を飲み込んでなんとか空腹に耐えている状態だ、早く、早く食いたい……
「では、石川バルサンラジオの皆様に感謝して、いただきます!」
「「いただきまーすっ」」
長い訓示が無かった事に感謝しつつ、さっそく料理に突撃する私達。まずは軽くブリ大根を箸で割り、口に放り込む……
なにこれ! 美味すぎる!! 最初は軽くいこうと、ブリ本体を避けてダイコンに行ったのに、この濃厚な味と旨味は反則だろ、ごめんなさいブリ大根、全然軽くなかったよ。
「湊さん、これヤバいが! 刺身がおしょうゆ弾いて光っちょるが!」
くろりんちゃんが刺身を頬張ったまま、次の刺身を箸でつまんでしょうゆ皿にちょんちょんしながらそう叫ぶ。つられて私も刺身を取り、口の中に放り込んで咀嚼……
「んまっ! なんやこれ……ほんまに魚の刺身なんか?」
甘い、美味い、食感が最高、どれをとっても非の打ち所がないわコレ。
口に入れた途端、粘膜にしっとりと張り付くその表面。噛んだ瞬間に感じる確かな歯ごたえと、そこから溢れ出す旨味と甘味。咀嚼する度に口の中一杯に幸せが広がって行き、飲み込んだ途端に体に染みわたって元気の素になるような感覚。
間違いなくホイホイにが出現して以来最高の食事、いや人生で食べた中でも間違いなくNo1のご馳走だよコレは!
ああもうこんなの食べたら舌が肥える、これ以降の食事がマズくなってしまう、また富山に来たくなる、っていうかここに住みたくなるわいこんなん! などと思いつつも箸が止まらん、ああもう堕落してまうわ。ええか、ええわな。
美味に舌鼓を打ち、地元の人たちと楽しく酒を酌み交わし、生き残っている事に感謝をする。
本当に久しぶりに私は、「にんげん」の輪の中にいる事の幸せを、心から噛みしめていた――
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