第七十三話 すれ違う認識

(そういう、こと、だったのか)

 僕、白瀬ヒカルは今、どうしてこの『にんげんホイホイ』が発生したのか。その理由を、そのホイホイの中で知る事が出来た。


 このホイホイはあの山伏さんが言う通り、地球が人類を追放するために仕掛けた罠だったんだ。しかもそのエサが、あろうことか人間を忌み嫌う原因となった『現実逃避』なんだ。


 そうさ、考えてみればこの地球と言う星は、本当に何億、いやそれこそ何兆分の一の確率で出来上がった、まさに奇跡の天体なんだ。

 およそ生物が出現し、生きて進化を続けて行けるだけの極めてまれな環境を整えて、その果てに知的生命体である僕たち人間を生み出してくれた。


 でも現在、人類の大多数はその奇跡の青い星に感謝する事を忘れ、「もっといい世界を」と望み、そしてそれが敵わないと知った時には妄想に走り、そして……していた。


 そりゃ誰でも夢はある。地上最強になりたいとか大金持ちになりたいとか、ヒーローになりたい、スポーツ選手に、美人にモテモテに、そんな未来を望んだんだ。

 でも、現実は非情だ。大勢の人にとってそれは叶わぬ夢。だからみんな「現実はつまらないな」と心から嘆いただろう。


 この地球という、奇跡の天体に生まれた幸運を忘れて。


 そしてこの地球には、僕たちと同じような意思や感情があったんだ。五十億年もの長い間、自分と同じ感情を持つ生物の出現を待ち望んでいたのに、いざ現れたと思ったら、自分を愛する事を忘れてしまっている……だから。


 だがら地球は、僕たち人間に愛想をつかしたんだ。その答えが、この『にんげんホイホイ』なんだ。



 ふっ、と闇が、地球が、多数のホイホイが消え、病室の光景が戻った。



”もう十分じゃろう、理解できたかな、地球の想いが”


 あの山伏、白雲さんの声が自分のホイホイから聞こえて来た。その前からの会話から、湊さんとクロちゃんはどうやら『地球の意思』が聞こえる所に移動したようで、クロちゃんに抱えられている僕のホイホイからも、その言葉が聞こえて来たのか……。

 そしてそこから離れたから、僕のホイホイにも地球からの声が届かなくなって、戻って来たんだろう。


”あれが、地球の……私たち人間に対する、感情だというのか”

”すっごく、すっごく嫌われている気がしました”


 えっ? 湊さんとクロちゃんの言葉を聞いて、何か食い違いと言うか、おかしいと感じた。その後から聞こえてくる会話からして、何か僕の聞いた言葉と違う気がする。

 もしかして、向こうでは聞こえて無いのか? 地球からのは。ただ、嫌われているって言う感情を理解するだけで……僕は地球が作ったこのホイホイの中にいたから、直接地球の声が聞こえた、っていう事なのか?


”我らのように自然に生きる者には――”

”理解したかな。いかに地球が自然と人間の共存を望んでおるか”

”文明と称してこの地球を汚す行為をいかに憎んでおるかを”


 違う。そうじゃないんだよ、山伏さん!


 地球が望んでるのは別に人間が自然に帰って生きる事じゃない。無理にそんな生き方をしても、それをいれば結局同じなんだよ。


 大事なのはこの世界を、地球をもっと愛する事なんだ!


”もう、智美や、里香とは……会えない、のか”

”お母さん、お母さんっ、お母さん……っ!”


「違う、違うんだ―、湊さん、クロちゃんっ!!」



      ◇           ◇           ◇    



 私とくろりんちゃんが洞窟にへたり込み、失意の内に沈んでどのくらい経っただろうか。

 少し長い時間が立つと感情が冷めてしまうのは、やっぱり私がもうオッサンだからなんだろうなぁ。

 ひとつ息を吐いて立ち上がると、未だに体育座りをしたままヒザに顔を埋めているくろりんちゃんの肩に手を置いて、優しく語りかける。


「さ、まずはヒカル君を助けなきゃな。その後の事は後で考えればいいよ」

 その言葉に顔を伏せたまま「うん」と頷く彼女。そうだ、まずはやれる事を一つずつやって行こう。


 彼女の手を引いて立ち上がらせると、動物を集めて和んでいる白雲さんの所に歩いていって声をかける。


「白雲さん、どうかこれからもご助力をお願いします」

「ヒカ君を助けたいんです、お願いしますっ!」

 居並んで頭を下げる。今のところその可能性があるのはこの老人の力だけだ、彼が言うホイホイの中との縁とやらを繋いで、なんとか彼をそこから出してもらう。もしそれが実現すれば、世界中の人を助ける為のヒントが何か掴めるかもしれない。


 仮にそれが無理でも、ヒカル君を必ず助け出すという約束と、それを心の支えにして、今も砂嵐のホイホイに語り掛け続ける少女を救う事は出来る、それだけでも成してあげたい。


「うむ、拙僧もとりあえずはここに留まらぬつもりであった、あのオカルト女子の祝言を見届けたいでな」

 シワの多い顔をにやりと綻ばせ、私達二人に正対して居住まいを正す白雲。


 彼に導かれてここに来た事が、良くも悪くも私達に未来を見せてくれたことは確かだ。なら私たちは前に進もう、この先の未来を見据えて、悲しみを乗り越えて歩き出そう。


 さぁ、まずは十日後に控えた松波さんと羽田さんの結婚式だ。



「うわぁ……完全に吹雪ですよコレ」

 外は冬の飛騨らしい猛吹雪で、5m先すら見えない有様だった。いくらホイホイリフトがあるとはいえ、さすがにこれじゃあ下山するのは無理っぽいな。


「まぁ非常食は持ってきてるし、天気の回復を待てばいいさ」

 慌ててもしょうがない。さすがに十日も降り続くとは思えないし、ここにはサバイバルの達人の白雲さんもいるんだし、なんとかなるだろう。



「ね、ヒカ君。聞いてた? 地球さんに気に入られるために、自然と一緒に生きなきゃダメなんだって」

 空き時間、彼女はよくヒカル君のホイホイに話しかけていた。そう、彼を助け出すために、彼にもまた自然と調和して生きる決意を固めて貰わなければならない。地球に気に入られるために。


「げんしじんみたいに生きるのもいいかもねー、大きなホネ付きマンモスのお肉とか焼いて食べてさー」

「お、ずいぶん昔のアニメみたいだねぇ」

 私ですらリアルタイムで見れていないアニメの話で盛り上がる。まぁネット上でも有名なネタになる有名アニメだし、掲示板サイトの常連だったくろりんちゃんが知っていても不思議ではない……いや六年生じゃやっぱ知ってっるのは凄いわ。


「アレ大きな声出したら、セリフが地球よりおっきくなってたもんねー。ヒカ君もあんな風に『僕はやせいにもどりますー!!』って叫んだら、地球さんも戻してくれるかも」

「はっはっは、そりゃいいや」

「うむ、是非試してもらおうかな」


 吹雪が収まるのを待つ間、そんな話をする私達に、そのホイホイからの懸命の叫びは聞こえるはずもなかった。




――クロちゃん! 湊さん!! そうじゃない、そうじゃないんだーーーっ!!――


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