第七十二話 そのとき、地球が思った
――いつか出会う、愛しいあなた――
――私は待っている。私と同じ意思を持ち、いつか私と出会ってくれる、そんな
――そのために、あなたにふさわしいおもてなしをしよう――
――かがやく光を、満たされた海を、私とあなたの全身を流れゆく
――あなたの体を作り、心を育む実の種を大地に落とそう、貴方が喜ぶ糧となる水を、肉となる命を、その元となる種を、あなたのために、生み出そう――
――あなたの目を楽しませる美しい光景を、あなたの耳を満足させるせせらぎを、あなたの体をうるおす
――あなたのために、用意して、待っています――
◇ ◇ ◇
「また、あの夢か……」
まどろみから覚めた僕、
ここ、『にんげんホイホイ』の中に入って以来、体が痛まず安らかに眠れた時に限ってみる、誰かの独白のような夢。
それは、まるで愛しい誰かとの出会いを確信して、その人の為にいろいろなもてなしをし、出会えてからもその人に尽くそうとする、献身的で愛おしさを感じる、まるで会った事のない婚約者の王子様を待つ女性のような、そんな想い。
……ってさすがにそれは中二病がすぎるかな。とにかく、ここに来てからそんな夢をよく見る。
「おはよう、具合はどうかな?」
身を起こしたところで、僕の専属のドクターが入室してきてそう問う。そう、僕は仙台でクマに襲われ、最後の手段として僕のこの『にんげんホイホイ』の中に入って、最新鋭の医療を受け続けている最中だ。
何でも願いが叶うこの世界で、僕が望んだのは『嘘偽りのない真実の治療』だ。この世界のご都合主義で体を治すのではなく、あくまで常識的な治療と投薬、そして自身の回復力だけを頼みに、現実的な治療を完成させることだ。
いつか、現実世界に帰れた時に、ちゃんと直っているように。
「順調ですよ、まだ麻酔が切れたらズキズキしますけど」
「うむ、神経はしっかりと繋がっているようだな。じゃあ今日もリハビリを始めよう」
驚くべき事なんだけど、この世界はちゃんと自分の体に対応した治療や薬品、そして回復のためのリハビリまで実際の体に効果がある。つまりちゃんとホイホイの中の医療が自分の体にしっかりと影響していると言う事だ。
つまり、あのとき僕をホイホイに押し込んだ湊さんの判断は、大正解だったと言う事なんだ。
あのクマ騒動で僕は踏まれた左足を骨折および内出血し、左肩は肩骨を噛み砕かれていた。おかげで今は左半身の上から下まで、ヨロイのようなギブスで固められている。
また、爪で引っかかれた顔には、左こめかみから頬にかけて爪痕が残っていて、おそらく一生消えない傷になるそうだ。くろりんちゃんが見たら引くかもなぁ。
でも治療が遅れていたら命が危なかったらしく、そうなればもう健康体で元の世界に戻ることは出来なかっただろう。そう思えばこのキズはむしろ勲章にさえ思えた……まぁ未だに麻酔が切れるとピリピリと痛いんだけど。
「んっ、んっ、ふんっ!!」
ベッドに腰かけた状態で、右手でゴムボールを握りながら、右足首をゴムで結んだ状態でヒザ曲げ伸ばしするリハビリを続ける。ダメージが左半身に集中してるため、動けるようになるまでに右半身を鍛えておいて、やがて来る左側のリハビリに備えなければならない。
「はい、お疲れ様」
「押忍っ!」
朝のリハビリが終わる。ちなみに時間の流れも現実と同じにしてもらっている、その理由は……
”ハーイ今日も始まりました、松波ハッパのバルサンラジオ。中継車のくろりんっちゃーん、聞こえてますかー”
”こちらくろりんでーっす! 今は白雲さんの修行場に向かうラジオカーの中です、一面の銀世界、九州生まれの私にはとても新鮮でーす”
うん、やってるやってる。
僕のホイホイに耳を押し当てて聞こえてくる声に思わず笑顔になる。そう、僕がくぐってきたこの小窓、映像は砂嵐だしこっちからの声も届かないけど、向こうからの声や音だけは聞こえてくるのだ。なのでその時間は予定を開けて貰って、向こうからの彼女の声を楽しませてもらっている。
朝と夕方の放送時間、頑張るくろりんちゃんの声に力を貰い、そして夜に”おやすみ”の言葉をかけてくれる彼女の声は、この世界に閉じ込められてからの僕の何よりの宝物だ。
昨日までは向こうでも大変だったみたいだ。なんでもあの黒部ダムが決壊して、彼女たちは下流域の被害を食い止める為に奔走していたって言うんだから、相変わらず行動力があるなぁ湊さん達は。
そしてそれ以前にも、怪しい宗教団体とひと悶着あったり、生き残っている高校生たちとスポーツを楽しんだりしてたみたいだ。あー僕も混ざりたかったなぁ、と思う反面、くろりんちゃんや湊さん達がいつまでも僕の事を気にかけてくれている事に感謝し、そしてそれに対してお礼の一言も伝えられないのに、申し訳なさでいっぱいだった。
もし、このままずっと戻れなかったら……その時には、くろりんちゃんには僕の事を諦めて、誰かと幸せになって欲しい、そんな風にも思う。
でも、僕は忘れない。忘れたくない。大好きな彼女の事を。
”くろりんちゃん……ヒカル君の、ホイホイは?”
”ブラの中に押し込んでいます、絶対に落としませんよ、えへへー”
ぶっ!!?
耳に押し当てていたホイホイから爆弾発言が飛んできた! この窓のすぐ向こうって……くろりんちゃんの、ブラジャーの内側?
ぽた、ぽたっ。
「ぎゃあ、鼻血が、鼻血がっ!」
慌てて鼻をつまんで上を向く。ただでさえ血が足りていないのにこんなんで無駄使いしちゃだめだよ僕! ちゃんと左半身に血を送らなきゃ……って下半身に集まってどうすんだよ僕のアホー!
リハビリを追加してなんとか血を沈め終えた頃、彼女たちはどうやら白雲さんの修行場とかに着いたみたいだ。なんでも白雲さんの主張『ホイホイは地球の意思が生み出した』ことを証明して見せると言うらしい。どっちかと言うと僕は羽田さんの宇宙人説派なんだけどなぁ。
”さて、椿山殿、夏柳嬢。これよりお二方に『地球の心』を感じて頂こうか”
その言葉を最後に、僕はその『宇宙人説』を完全に否定せざるを得なくなった。
◇ ◇ ◇
世界が暗転した。病室も、医師も、全てが漆黒に覆われた。
代わりに目に映ったのは、足元に大写しになった、『地球』の姿。
そして、あの夢で聞いていた、声。
――どうして?――
――ようやく、あなたと出会えたのに、一緒になれたのに――
――どうして、あなたは私を見てくれないの?――
――どうして、私以外の世界に、思いを馳せるの?――
それは、まぎれもない、地球の嘆きだった。
――あなたが望む水を、空気を、いっぱいいっぱい用意した――
――あなたが太陽の光線に汚されないよう、濃い
――あなたが満足するように色とりどりの景色で、世界を
――あなたが私を愛してくれるように、私は貴方が生まれる前から、あなたに尽くし続けた――
――なのに、
ぞっ!と悪寒が駆け抜ける。地球は、その意思は、愛しい人類の『想い』が、自分に向かっていない事に対して憤りを感じているみたいだ。
まるで、妻である自分を見ずに浮気する夫に向ける、失意と怒りの感情のように。
――
――でも、でも――
――どうして、
――違う世界を、望もうとするの――
ああ、そうだ。人間は今の環境を『当たり前』と思って、別段感謝したりしない。むしろ「もっと上を」「もっと欲を」と求め、妄想するもんだ。
例えば、今時の物語で流行りの『異世界』なんかを……
――どうして、同じ人間を憎むの? その人を踏みつけて上に行く世界を望むの――
――どうして、命を輝かせて糧を得る行為を否定して、何もせず全てが得られる世界を望むの――
――どうして、自分が誰からも認められる世界を望むの? 否定が無ければ肯定もない。だから私はこの世界の感情に、両方からの考えを生み出したのに――
地球は嫉妬しているんだ。誕生から五十億年もかけて、人間に最適な星を作り上げて来たのに、肝心の人間たちがそれに満足しないから、この地球を愛さないから、別の世界に行きたいという、過ぎた望みを持つから……
――ああ、それなら、もう、いい――
――
――わたしが、
――だから、
――出て行って!――
パパパパパパパパパッ!
「!!!」
視界に映る地球の映像、そこに無数の小さな枠が出現した、出現し続けた。
パパパパパパパパパパパパパパ……
途切れることなく増え続ける窓枠、それは確かに僕のよく知ってる『にんげんホイホイ』そのものだった。それが幾千、幾万、そして幾億と生み出されていく!
――異(ちが)う世界がお望みなら、そっちへ行ってしまえばいい――
――そっちへ
――でもね、そっちは貴方の狭い世界。貴方が望んだ、ちっぽけな世界、入ったらそれっきり、もう私の元へは戻れない――
――ざまぁみろ、後悔しても、もう遅い――
その時、地球が、こう思った。
――そうだ、人間を滅ぼそう――
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