第七十一話 地の底からの感情

 山小屋を発った私たちは、今度は白雲さんの先導でホイホイリフトを進めて行く。

「ここから脇に逸れるぞ、こちらだ」

 山頂まであと二合ほどの地点で、私たちは登山道を外れて笹藪の上を飛び始めた。どこに? と思ったが、ほどなく獣道のような所に辿り着く。


「ここは?」

「我らの修行場への道じゃ、ここからは降りて歩くぞ」

 そう言ってホイホイから降りる白雲に続いて、私達も地面に降り立つ。今まで足を暖房の効いていたホイホイこたつの中に突っ込んでいたせいか、外に出ると下半身が冷えるなぁ。


「うわ、寒い~、なんで降りなきゃいけないんですか?」

「修行場の近くでくらい、見栄を張りたいのじゃよ、ふぉっふぉふぉ」

 あらららら、とズッコケそうになる私とくろりんちゃん。あんなぁアンタ……


 仕方ないので付き合って細い獣道を歩く。今までの登山道と違ってここは左右を山に囲まれているせいで風が無く、雪が静かにしんしんと降り注いでいる。なるほど通路からして何か神聖な感じがするな。


 やがて正面の山壁に、ひとつの洞窟が見えてくる。白雲が「あそこじゃ」と示すその洞窟の入り口には、なんと鳥居が門のようにしつらえてあった。

「鳥居って……あんた坊さんだろ」

「神仏習合、という言葉をご存知かな? 神道と仏教は宗派によっては密接に結びついて居る物じゃよ」

「あ、そういやお寺と神社って、よく近所にあったりしますね」

 くろりんちゃんの感心したような言葉に、私もそういえば! と思う。地元の徳島でも、県内最大級の神社と四国八十八か所の一番札所のお寺はすぐ近くにあった。なるほど、そういうものか。


「では、参ろうか」

 そう勧められて洞窟に入って行く……一歩踏み込んだ時からそこが別世界である事が顕著に感じられた!

「……あったかい」

「ここも火山の影響があるのか?」

 今までの寒さはどこへやら、入った途端にまるで暖房の効いた部屋にいるかのような熱気に包まれる。となるとこの洞窟の先は、火山の影響が強い所らしい。


 二十メートルほど進んだところで、視界が開けた。

「あ……広い、なにここ?」

「なんだ、すごい規模の空洞だな」

 そこは小さな学校の運動場ほどの大きさの、丸くえぐれた空間だった。足元は大きなクレーターのように中心に向かってえぐれており、上はドーム球場の天井ようになっていて、その天井の一点に大穴が開いていて、そこから空が見えて光が注いでいる。


「ここが修行場じゃ。かつて噴火のあった火山の溶岩だまりの後じゃよ」

 白雲は語る。かつて火山が噴火した時、外に噴出し切れなかった溶岩がここに溜まって周囲の岩を溶かし、やがて活動が収まったことで山の内部に出来た空洞だそうだ。    

 なるほど確かに火山のイラストなんかに、噴火口のすぐ下にこういう空洞のある絵面を見た気がする。


「白雲さん以外にも修行してる人がいるんですか?」

 くろりんちゃんの質問に、白雲はふふん、と鼻を鳴らして答える。

「あの天禅院霧生てんぜんいんきりゅうもここで我らと共に師匠に指導を受けておってな、他にも何人もの高僧や名だたる神主が共に在ったものじゃよ」


 彼は語る。彼らの師匠はここで自然と共に在る事を最大の悟りとし、その志を唯一継いで山伏と成ったのがこの天禅院白雲だというのだ。

「霧生、赤銅しゃくどう紫蘭しらん大儀たいぎ、名だたる僧たちが師に教えを請うた。だが師と同じ生き方を選んだのは、わしのみであった」


「って、湊さん! 何かいる!!」

「……動物か!」

 洞窟内に蠢く影を見つけて思わず身構える。ポケットの中の銃に手を掛け、ごくりと唾を飲む。

「案ずるでない、こ奴等も冬の寒さは厳しいでな、弱き者はここに来て冬を凌いでおるのじゃ、害はあらぬよ」

 白雲がしゃらん、と杖を鳴らすと、動物たちは皆トコトコとこちらに寄って来た。見れば鹿や狸、ニホンザルにテンやイタチ、子供ウリボウを連れたイノシシ、そして……熊もいる!


 一歩二歩と後ずさる私たちをよそに、白雲は寄って来た動物たちを撫で、目線を合わせて柔らかに話しかける。どうみても野生の動物なのに、まるでペットに接するように。

「わしは自然と共に在る。なればこ奴等もまた良き友なれば、な」


 ひとしきり動物たちと戯れていた白雲は、やがて彼らを解散させると、静かに立ち上がって私達二人に相対して、静かにに入った。

「さて、椿山殿、夏柳嬢。これよりお二方に『地球の心』を感じて頂こうか」


 来た! と心で身構える。この白雲の主張として、『にんげんホイホイ』は、地球が人類を排除するために生み出したものだという。そして彼は自らのホイホイを砂嵐映像から別のそれに操作してみせた、お陰でその説を信じざるを得なくなってしまって、わざわざこんな雪山まで来たのだ。


「来なさい」

 白雲はここの中央、まるでアリジゴクのようにえぐれたクレーターの中央部に私達を案内する、降りて行くごとに熱気が強くなっていく。やがてクレーターの真ん中に辿り着く……そこには石で組まれた、簡素な井戸があった。


「心静かに、この井戸の中を覗いて見られよ」


 私は両手を握りしめ、くろりんちゃんはヒカル君のホイホイが入った胸をぎゅっ、と抱え込んで、井戸の中を覗き込む――


 目に映ったのは、遥か遥かな下にある、小さな赤い光、溶岩。


 地球のの、剥き出しの部分の外皮。


 それを見止めた瞬間だった、私の心をざわっ! とえぐるように揺さぶった感情が襲って来たのは!!


 ――ざわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……――


「ひ……嫌、っ」

「ぐっ、何だ、このイヤな感じは」


 遥か下から立ち上って来るのは、熱気だけでは無かった。まるで心の芯に叩き付けるかのような、不快を誘うだった。


「ヒカ君……っ!」

 くろりんちゃんが自分の胸を抱きしめたまま、すがるようにそう漏らす。そして私はこの向かって来る感情が、どこかで経験したものであることを感じて、その正体を探りにかかる――


(ああ、これは、、か)


 覚えがある感じのはずだ。かつて営業で訪れたお客さんの家の犬に激しく吠えたてられた時の感じ、親戚の家に出産祝いおめでたに行った時、赤ちゃんを抱かせてもらった際に大泣きされた、その時の赤ちゃんから受けた感じ。

 そして娘の里香が小学校五年生の時、急に私に対して向けられた拒絶と嫌悪の感情。後で妻に「性教育が始まったのよ」と教えられ、男性の汚らわしさを知って向けた嫌悪の感情。


 そんな嫌悪の感情が、とてつもなく大きなものとなって、肌にビリビリと感じるほどに叩き付けられているんだ!


 これがか、私達人間に対しての……。


「くろりんちゃん、下がって」

「ううん、大丈夫……私も、ここにいる!」

 気を遣う私に対し、きっ! と顔を上げて井戸の下を睨むように見下ろす彼女。胸に抱いたヒカル君の為に、彼を救い出したいという願いを叶える為に、この嫌悪感に負けずに向かっていく……強い娘だな、君は。


 ほどなく私と彼女は、白雲によって両肩を掴まれ、その井戸の縁から引きはがされた。

「もう十分じゃろう、理解できたかな、が」


その場に尻もちをつく、熱気と感情で全身が汗にまみれている。それが熱い汗なのか冷や汗なのかすら、よく分からない。心臓は早鐘を打ち、呼吸は肺が悲鳴を上げるほどに荒くなっていた。


      ◇           ◇           ◇    


「あれが、地球の……私たち人間に対する、感情だというのか」

「すっごく、すっごく気がしました」


 少し離れた場所で腰を下ろし、円座になって話し合う。やはりくろりんちゃんもそう感じたのか、となるとやはり、白雲の言う通りなのか。


「拙僧はのう、あのホイホイが現れた日、あの井戸より啓示を受けたのじゃ。人を世界から追い出す、なので人と出会ったらこの窓に、とな」

「それって、あの、熊の!」

 仙台で相対したあの熊、そして鹿。野生である事を忘れて私を、ヒカル君を、そしておそらく狭間君をホイホイに追い立てようとした、その指令を白雲も受けていたというのか?


「我らのように自然に生きる者には等しく送られておるのよ、ほれ、見るがよい」

 そう言って自分のホイホイに錫杖をかざす。その瞬間、砂嵐だった映像が切り替わり、夕暮れの大地を映し出す。

「これって……外国?」

 日本とは明らかに違う広大過ぎる地平線。そこに何人もの黒人が焚火の周りに群がって、宴のような踊りを楽しんでいる。


 そして、なんとこちらを振り向いたかと思うと、まるでこっちが見えているかのように笑顔を見せた!

「アフリカのマサイ族、とか言ったの。彼らもまた自然と共に生きる者として、拙僧と同じように地球からの天啓を受け、自然と共に過ごしておるのじゃ」


 さらに錫杖をしゃらん、と鳴らすと、また別の映像が映し出された。


 輝く朝日、切り立った岩場、そしてそこでテントから出て来たのは、いずれも頭に羽根飾りを付けた人々だった。

「これは……インディアン、いや、ネイティブアメリカンという人達か」

 白雲がにやりと笑う。ああ、彼らもまた自然と共に生きる人達だ。やはり彼らも地球に認められ、他人をホイホイに誘導する指令を与えられているのか。


「拙僧も彼らも、積極的に他人をホイホイに追い込むようなことはせんよ」

 まるで私の思考を読んだかのようにそう返される。確かに彼らはどこか自分達は自分達、他人は他人と考える所がある。そんな少数民族だからこそ文明社会には無縁で、こうして自然と共に暮らしていけるのだろうか。


「でも、あの人たちにも、ホイホイはあります」

 確かに。この白雲もそうだが、彼らにも自らの欲望の世界を映す窓が傍らに浮いている。もし彼らが人類を滅ぼすために指令を受けているなら、自らにホイホイがあるのは不自然だ。


「彼らの中にも、裕福な暮らしに憧れる者はおるものだ」

 白雲の言葉に、ああ、さもありなんと思う。親や老人がいかに自然と暮らすを良しとしても、若者はよりよい生活を求めて都会を目指しても不思議はない。

 そしてそんな人たちは、あのホイホイの餌食になってしまったのだろう。


「理解したかな。いかに地球が自然と人間の共存を望んでおるか、文明と称してこの地球を汚す行為をいかに憎んでおるかを」


 映像を消した白雲がそう語る。その言葉に私達は、抗う術を持たなかった。


「そう落ち込むことはあるまい。そなたらも我らのように自然と共に生きれば、この先も命を紡ぐこともできようぞ」


「でも……ヒカ君が、ヒカ君がっ!」

「そうだ! ヒカル君が戻れるかもと言ってたな、あれはどういう事だ?」

 泣きそうなくろりんちゃんを助けるべく私は白雲に詰め寄った。今さら気休めとか言われたらただじゃ済まさんぞ!


「かの少年なら、自然と共に暮らす事も成せるであろうよ。もしこちらとの『縁』が強く結ばれ、彼が自然との共存を望むなら、あるいは地球に認められるやもしれぬ」

「……えん?」

「左様。今この世界とホイホイの向こうは、いわばその縁が切れておる。分かり易く言えばが断たれておるのじゃ」


 確かに。こちらから彼のホイホイには入れないし、映像も砂嵐になって見えない、ただ声が届くだけだ。ましてや向こうからはその声すら届かないのだから。


「その縁が繋がれば、ホイホイから戻ってこられると? ヒカル君だけじゃなくても?」

 もしそうならヒカル君も、そして智美つま里香むすめもこちらに戻ってこられるかもしれない。想像していた世界の回復とはだいぶ違うが、それでももう一度みんなと会えるなら贅沢は言わない!


 だが、そんな私の希望は、次の白雲の言葉で一刀両断される。


「あらゆる世界におる者が、自然の世界になら、ではあるがな」


「……あ、ああ、っ」


 そうか、彼が以前言っていた『ヒカル君ほどの芯の強さがあるなら』というのは、実はそう言う事か。確かに彼なら、かつてホイホイの中に何も見えなかったほどに欲に溺れない彼なら、こちらへの帰還も可能かもしれない。


 だけど、そうでない人に、自然に帰って不自由に生きるか、あらゆる欲望が叶うホイホイの中に居続けるか、どちらを取るかと言われたら……


「もう、智美つまや、里香むすめとは……会えない、のか」


 絶望に涙がぽろぽろと零れ落ちる。いままで耐えに耐えて来た心のダムが決壊し、嗚咽が、嘆きが、そして諦めが、心を支配する。

「智美、里香……」

 あの日。あの日がまさか今生の別れになるなんて。最後に交わした言葉は、今でもはっきりと覚えている。


『智美! 里香っ! さっさと学校に、仕事に行くぞっ!』


 あんな、あんな怒鳴りつけが、最後だなんて……あんまりじゃないか!




「お母さん、お母さんっ、お母さん……っ!」


 くろりんちゃんも嗚咽を漏らしていた。ああ、私だけじゃない、彼女もまた二度と会う事の出来ない別れを決定されてしまったんだ。


「お母さん……ねぇ、お母さん、帰って来てよ。私、好きな人が出来たんだよ」

 ヒカル君のホイホイを抱えたまま泣き崩れる彼女。


 ふたりして、絶望に沈んでいた。だから、ではないが、私達にはその『声』は、届かなかった。



 ――違う、違うんだ―、湊さん、クロちゃん――

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