第三十五話 諦めるな!
夕方。東京から逃げ出した私達三人は、ひとまず川崎市のホテルに入って、一階のロビーで体と心を休めていた。
「す、すいません。ご心配をおかけして」
ソファーに寝っ転がって頭を冷えピタで冷やしているくろりんちゃんが、すまなさそうにそう言う。
「大丈夫、ゆっくり休んで」
「今は僕たちに任せて、寝てもいいよ」
私とヒカル君が優しく返すと、彼女は安心したように毛布を羽織り直して寝っ転がると、ヒカル君に右手を差し出して言った。
「ね、手、握ってて」
「うん」
ヒカル君は答えて彼女の手を両手で包む。それで安心したように目を閉じると、ほどなくすやすやと寝息を立て始めた。
彼女が憔悴するのも無理もない事だ。あの東京の惨状はまともな神経で居られ続けるものではない、まるで人類滅亡の縮図を目の当たりにしたような物なのだから。
「酷い、光景だったな」
私の言葉にヒカル君も無言でうなずく。しばし無言だったが、彼は何かに気付いたように言葉を発する。
「そうだ! ルイさん達のジムも東京にあったって言ってました、あの人たちもあの光景を見たんでしょうか」
ああ、と彼らの事を思い出し、そして彼らの経験を想像して心に納得の感情が落ち込んだ。彼らがあんなにやさぐれていたのは、あの光景で世界に絶望して自暴自棄になっていたせいもあるのだろう。
「だろうね……あんなのを見たら、誰だって不安になるよ」
「でも、どうして東京だけ、街中にあんなにホイホイがあったんでしょう」
そう、それだ。普通はあの『にんげんホイホイ』、本人の意思で中に入る物だ。しかも入った後はその欲にまみれた世界が外から見えてしまう。ならは自室とか、人気のない所で入りたいものだろう。
でも東京ではあのホイホイは、ビルの谷間の道路にまるでイナゴのように散りばめられていた。あんな大勢が見晴らしのいい道路の真ん中で、自分の欲望の世界に入って痕跡を残すなど、ちょっと普通じゃない。だた……
「考えられる事はある。ヒカル君、あそこで自分のホイホイを見たかい?」
「え、いえ……そんな余裕は」
だろうね、と息をついてから、私が見たホイホイの中身を話す。それは本来の東京のあるべき姿、人と車がごった返し、雑踏と混雑という活気に満ち溢れすぎた、マンモス都市東京の光景だったのだ。
「じゃ、じゃあ……」
「うん、同じ光景を見た人が、ウィンドウの中が本当の東京だと思って、いや、『思いたくて』あの場でホイホイされた可能性はある」
私の見解に「まさか……そんな」とこぼして青くなるヒカル君。
「じゃ、じゃあ……あのホイホイの山は」
まだまだ想像の域は出ないが、あのホイホイが出現して社会が崩壊した時、生き残っている人は日本の首都、東京に詰めかけて真実を知ろうとした者は多かっただろう。
そこであの光景を見て、パニックに陥ってその場でホイホイに、本来の東京が見えるウィンドウに入ってしまった人が大勢いるのではないだろうか。
現に私も思わすそちらに、『想像していた東京』っぽいウィンドウに入りたい衝動にかられた。保護すべきヒカル君とくろりんちゃんがいなければどうなっていたか。
そして、それを幾度となく繰り返すうちに、東京の道路は捕獲済みの小さなホイホイで埋め尽くされてしまったのだとしたら、一応の説明はつく。
「どうしても、人類を飲み込みたいんですかね」
ヒカル君が嫌悪感をあらわにしてそう嘆く。うん、私も同意見だ。この周到さは人類を連鎖的にホイホイしたいという仕掛け人、宇宙人か地球の意思かは知らないが、そいつらの人に対する悪意がビンビン伝わって来る。
「小さくなったホイホイは動かせる。だったらあの街中に溢れているホイホイは、誰かの手で建物や家の中から回収されて、街中に撒かれたのかもしれないな。
「そんな……ホイホイにかかった人たちを、さらにオトリにしたって、言うんですか!? 一体だれが、そんなこと……」
「ヒカル君は羽田さんの『宇宙人説』推しだったね。その宇宙人がやったと考えられないか?」
絶句する彼。まぁ無理もない、今まで漠然と考えていたホイホイの仕掛け人。その悪意と殺意が自分の間近に迫っていて、それを体験させられたとなれば冷静でなど居られないだろう。
「だ、だったら!こんなまどろっこしい事しないで、人類を直接攻撃すればいいじゃないですか! こんな、こんな……人間の欲を使って、人を弄ぶようなことをするなんて!」
「宇宙人イコール人類を殺せる兵器を持ってる、とは限らないよ。仮に宇宙人の仕業だとして、こうするしか無かったのかもしれない」
っと、いかん。ヒカル君の顔色がますます悪くなってきている。もう話は切り上げて彼も休ませないと。
「……あ」
そう思った時、ヒカル君は握っていたくろりんちゃんの手を見る。彼女は繋いだ手をぎゅっ、と握り込み、そのまま仰向けからヒカル君の方に寝返りを打って、横寝の状態になる。おお! ナイスだくろりんちゃん。実は起きてるんじゃないのか?
「さ、ヒカル君ももう寝なさい。局への報告は私がやっておくから」
そう言って長ソファーの間の机をどかし、ふたつのソファーをぴったりと並べる。二人が不安なのはよく分かる、だったら手を繋いだまま、お互いの体温を感じていれば少しは安心できるだろう。
正直、もう二人の間に何か、性的な間違いがあってもいいような気がしていた。今の彼と彼女は、この終末世界においてお互いを認め合い、助け合い、そして慰め合ってもいいような存在に思えていたから。
「おやすみなさい」
「お休み」
手を繋いだままソファーに寝転がるヒカル君に毛布を掛けてやると、私はホテルを出て中継車に向かい、無線で石川のラジオ局に連絡を取る。
東京の惨状、そして今夜は彼女のリポートが出来そうにない事を伝えると、松波さんと羽田さんが残念そうに言葉を返した。
”NHKtの電波は、確保できそうにありませんか”
”いよいよ宇宙人が動き出したのね! ああ~私もそっちに行きたかったぁ~”
いや羽田さん、悔しがるポイントずれてますから!
それにしても本当に松波さんの言う通りだ。もしNHKtの電波が手に入ったら事態は一気にいい方向に進むと思っていた。まるでそれを阻止するかのような現状に、思わず悔しいため息が漏れる。
もしかして奴らは、私たちの行動を察知した上で、最も効率的な嫌がらせを仕掛けているんじゃないだろうか。
このままくろりんちゃんやヒカル君の精神が持たなければ、あの真っただ中に入って行って局をジャックし、放送を流すなんてできっこない。無理強いをして二人が自分のホイホイに入ってしまったら一巻の終わりだから。
「くそっ! 何か、何か方法は、ない、のか……!」
拳と手の平をバチンと合わせて嘆く。ここまで来て思わぬ計画の頓挫に怒りが湧いて来る、なにか、何か方法は無いのか……
その時だった。無人で無音のはずのこの都会、夜のとばりが降り始めた世界に、空気を引き裂く轟音が響き始めたのは――
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