第三十三話 さらば横浜!


 夕焼けに染まる大熊空手道場に、一人の気を吐く声と、乾いた打撃音がこだまする。

「はっ! やっ、せぇいっ!!」

 パン! ボスッ、ピシィッ! スッパァァン!!

 大柄な女が構えるキックミットに、頭一つは背の低い少年の放つ拳が、蹴りが、掌底撃ちが、吸い込まれるように命中していく。


「おお……すげぇ!」

「奇麗なフォームだな、さすが大熊道場」

 道場の隅で見ている青木が思わすこぼし、プロである天藤がアゴをなでて感心する。


「初日とは別人じゃないか……」

 私、椿山湊つばきやまみなとも思わず言葉が出る。稽古の初日、彼が見様見真似で出した上段蹴りは、軸足も蹴り足も延ばし切れずに曲がっており、しかもバランスを取るために体はぷるぷると震えていて、蹴りというより単に足を上げているだけだった、それでも相手の胸まで届いていなかったというのに・・・・・・


 パッチィィィン!


 今の彼が放った上段前蹴りは、両足が見事に直線を描いており、受け手の虎米ルイが構えた前頭部に、一本の航跡を描きながら命中して炸裂音を響かせる、お見事!


「すご、恰好可愛かっこかわいー」

「すげーじゃん彼氏、うりうりうり」

 風川や南丘のお褒めの言葉に、くろりんちゃんは「えへへー」と赤らめた頬に手を当ててご満悦の様子だ。

 彼女と旅を始めた時、いつか相応しい彼氏と出会えたらなんて思ったものだが、思った以上にぴったりな男の子が見つかったものだなぁ。


「おらおらぁ! なんだその軽い攻撃は、ミットごとあたしをぶっ飛ばしてみろ!」

 ミットを受けるルイがハッパをかける。確かに彼女の言う通り、ヒカル君の技は型として綺麗ではあるが、いかんせん体格と筋力の無さから、まだまだ大人に敵うレベルには達していない。


 その挑発にヒカル君は、ぐっ! と体を沈め、勢いを付けて右の上段回し蹴りを放つ。弧を描いて放たれたそれは、直前でミットと体を引いたルイによって空気だけを薙ぎ、空振りする。


 ダンッ!

「しぃっ!」

 大技の空振りでバランスを崩すかと思いきや、ヒカル君は身をひるがえしながら両足を地面に着地させ、そこから裏拳の要領で左手刀チョップを放つ!

 ボン! と音を立ててそれをミットで受け止めるルイ。まるでお互いが示し合わせたような攻防に、思わず師匠の蘭さんの方を見ると、彼女は目を細めて微笑みを見せていた。


      ◇           ◇           ◇    


「いいかい、戦うって事はまず『相手を尊敬する事』から始めるんだ」

稽古の初日、基本的な礼の所作を教えながら、蘭さんはヒカル君にそう説いていた。


「君くらいの年頃の子は、どうしても敵を『自分がかっこよく倒す存在』と思ってしまう。でもね、相手にも必ず意思があり、生きて来た人生があり、この戦いにかける意気込みっていうのがあるんだ。それを感じ取る事が武道の基本であり、奥義でもあるんだよ」


 いわゆる『敵を知り己を知れば百戦危うからず』というヤツだ。特に一対一の戦いなら、相手の心理を読み取った方が有利なのは言うまでもない。そして相手を知るには、決して侮ってはいけない。むしろ尊敬するくらいの意識を持ってこそ、戦いの中でその裏を取る事が出来るのだ、と説く。


 今、まさにその教えが実践されていた。大技の回し蹴りを放ったヒカル君は、その直前のルイの挑発が、自分に大技を出させてそれを空振りさせる意図がある事を読み取った。だからこそあれだけ派手に空振りしたのにもかかわらず、間を置かず次の技を繰り出せたのだ。


 そしてそれを受け止めて見せたルイもまた、そんな彼の行動を読んでいた。彼女もまた、あの時の乱暴者ではない。武道の相手をする者として、自らのキャリアをその場で実践してみせていた。


 玉の汗が西日に輝きを放ち、ヒカル君の技と共に舞い踊る。その美しい光景はやがて、道場に響く太鼓の音で終わりを告げた。


      ◇           ◇           ◇    


「白瀬ヒカル。貴方の心身の鍛錬を評価し、ここに初段を認定するものとする」

 テスト後、大熊優斗師範より認定書が、蘭師範代により黒帯が手渡されると、道場の中は温かい拍手に包まれた。

「師範、師範代。本当にありがとうございました、押忍っ!」

 感極まって涙声になりながらも、最後は気合で押して忍ぶ。この横浜での十日余りの滞在は、一人の男の子を大きく成長させる日々になった。


 その後、例の六人や鐘巻刑事も交えての夕食会となった。その仕込みは私の発案だ。この時の為に冷凍の肉や野菜を探し集め、ビールやチューハイを多めに用意して、横浜最後の夜を宴会へと変貌させてやった。


「椿山さんってドカタなんすか……埋められるかと思った」

「人聞き悪い事言うなって、営業だ営業、第一それヤクザやないか!」

 酔った勢いもあって馴れ馴れしくなる連中にツッコミを返すと、子供二人も道場主の夫婦も鐘巻刑事も、そしてワルガキどもも皆、屈託なく笑う。


 そう、根っからの悪人、根っからの善人なんて存在するずもない。蘭さんの言う通り、人間は善と悪の間で揺れる振り子のようなものだ。このホイホイが出現してから彼らはその振り子が悪い方に振り切っていただけ。だったら我々大人がきっちり言うべき事を言ってやり、振り子を戻してやればいいだけなのだ。


 あとは楽しく飯でも食って酒を飲めば、もうお互いは敵ではない。最後にこの楽しい記憶があれば、それ以前の確執なんぞするのは難しい事ではない。彼らも、そして私たちも。

 私はずっとそうやって、建設会社に関わって来る悪ガキ共と付き合ってきたのだから。



 食って呑んで騒いで寝て、そして夜が明けたら、別れの時だ。



「じゃ、俺らもラジオに出来るだけ協力しますよ」

 そう言って悪童たちは自分の出身地へと旅立っていく。天藤と風川ハートちゃんは同じ埼玉の出身で、青木と南丘は隣県である山梨と長野、ルイと山根も同じく隣県の和歌山と三重の出だそうで、それぞれ連れ立って旅をする事になった。


「私も神戸に戻ります、みなさんお元気で」

 鐘巻さんも地元に戻る。現役の警官である彼が生き残っている事は、全国の皆にとって心強い存在になるだろう。


「それでは優斗さん、蘭さん、本当にお世話になりました!」

「いつまでも仲良くしてください、お子さん期待してますよ」

 握手しながら大熊夫妻に頭を下げる私に続いて、くろりんちゃんがマセた事を言うと、なんと夫妻は少年少女のように真っ赤になって彼女にゲンコツをセットで落とした(無論軽く)。思わぬところでいい『お返し』が出来たものだ。


「師範、師範代。きっとまた稽古に来ます!」

「うん、日々の鍛錬を怠るなよ」

「くろりんちゃんをしっかり守ってあげなさい」

 そう言って夫妻の拳に拳をコツコツと合わせるヒカル君。彼にとってここは新しい『戻るべき場所』になった。


 名残を惜しみつつ、大熊道場を後にする私たち三人。


      ◇           ◇           ◇    


「さぁ、いよいよ東京だ。大仕事が待ってるよ!」

「「はいっ!!」」


 いよいよ首都、東京へと向かう私達三人。そう、我々はラジオ局をジャックして、日本中に『バルサンラジオ』をお届けするのが旅の目的だ。


 ならば日本の国営放送、日本放送協会通信『NHKt』の電波ゲットは至上命題と言っていい。この放送を押さえることが出来たなら、我々の声を全国は持ちろん世界にすら届けることが出来るかもしれないのだから。


 そうなれば、いよいよ多くの人たちをバルサンラジオで燻し出す事が出来るかもしれない。そして、やがて多くの人たちの英知が、このウインドウ『にんげんホイホイ』に囚われている人たちを解放する方法を、きっと見つけてくれるだろう。


 ただ……何かが引っかかっていた。何か大事なことを忘れているような?


     ◇           ◇           ◇    


 車が海岸道路を走り、一件のサーファーカフェを通過する。特に気にも留めずに通り過ぎたそのカフェの中に、いくつかの小さなウィンドウ、すでに人を飲み込んだ『にんげんホイホイ』の成れの果てが漂っていた。


 そのひとつには、50mはあるビッグウェーブを華麗に乗りこなすサーファーの姿があった。しかも両手に美女を抱えて、さらに別の美女を肩車しながら華麗に波を切り裂いていく。

 ご満悦のそのサーファーの脳裏にふと、ある心残りが思い出されていた。


(あの掲示板の人たち、さすがにもうウィンドウの中に入ったよな、こんなに素晴らしい世界なんだし)


 ――彼はすぐに、思い出してもしょうがないなと息を吐き、自らの欲望の世界に溺れて行った――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る