第三十二話 罪と罰と昇段試験

「じゃあ椿山さん、私の拳銃を使ってください」

 私、椿山湊つばきやまみなとが、拳銃を持ちたいと提案した時、兵庫県警の鐘巻さんはしばし考え込んだ後、自分の懐から一丁の拳銃を出して、私の前に置いた。

「え、でも……鐘巻さんがお困りでは?」


「私は神戸に帰れば別のを用意できます。その……警察官として第三者が署から拳銃を盗むというのは、立場上容認できません」

 言われてみれば確かにそうだ。私が回転砥石グラインダーを使って鍵を破壊して銃を盗んだとなれば、平時じゃなくても大事だろう。もしその現場をいつか誰かが見たら、マネをして銃を盗み出す者がいるかもしれない。


「ただ、これを持つならひとつだけ、絶対に忘れないでください。銃というのは『銃口を向ける側』と、『向けられる側』に、大きな隔たりがあるのです。

 彼は語る。撃つ側にとって拳銃とは、火薬を爆発させて鉛弾を高速で飛ばす、ただそれだけのものだ。決して引き金を引くだけで相手を殺せるような魔法の筒では無い。

 対して撃たれる側にとって、銃口を向けられた瞬間に生死の狭間に立たされ、人生の運命を否応なしに判断せざるを得なくなるのだ、と。


「撃つ側と撃たれる側には、命というものの認識に対して、あまりに大きな差があります。どうかそれを忘れないでください」


 その通りだ。相手に銃を向けると言う事は、すなわち向けられる側が『死』をはっきりと意識するということだ。それで相手が怯えるとは限らない、逆に決死の覚悟で、半狂乱となってこちらを殺しに来る事も大いにあり得るだろう。


 ならば余程のことが無い限り、銃口を人間に向けるのは良くない。壁に貼ってあるポスターを見上げ、心で復唱する。


”取り出すな・指を入れるな・向けるな人に”


「すいません。私は多分これから、この禁を破ります。なので弾丸を抜いておいてくれませんか」

「分かりました、それならいいでしょう」


 そして私達三人は、地下の留置場に向かった。あの六人の悪ガキどもに更生の可能性があるかを、を使って問う為に。


      ◇           ◇           ◇    


「と、いうわけで私はこれを持つことになったよ」

 夜、大熊道場に帰ってから私は、ヒカル君とくろりんちゃんに銃を見せてそれを告げた。予備の弾丸は20発ほどあり、別の専用ケースに収まっている。

「うわー、本物だ」

「あ、私見た事あります。お母さんのお客さんが持ってたことが……」

 こらこら修羅の国きたきゅうしゅうの小学生女児どんだけだよ。と、まぁそれはさておき、一緒に旅する二人にも、銃の恐ろしさはちゃんと認識してもらっておいた方がいい。

 これを向ければ、相手は死ぬ気で殺しに来るかもしれないのだから。


 ちなみにあの連中には償いとして、これから色々とやってもらう事になっている。ただヒカル君には諸事情で詳しく放すことは出来ず、逆にくろりんちゃんには綿密な計画に付き合ってもらわなければならない。

 幸いヒカル君は日がな一日空手の修行に打ち込む毎日が続いていて、私たちの裏での行動を気にとめる余裕はなさそうだ。

 ちなみに、ヒカル君の空手は日ごとに形になって来ている。男子三日合わざればなんとやら、とはよく言ったものだな。


      ◇           ◇           ◇    


 十日後。湊さんの怪我も全快し、リポート再開の日が、長らくお世話になった大熊師匠達との別れの時が間近に迫って来た。

「私達はレポートに行って来る、ヒカル君は最後の稽古だ、頑張って!」

「押忍っ!」

 腰下で十字を切って、出かける湊さんとくろりんちゃんに挨拶する。僕、白瀬しろせヒカルはこれから師範代に最後の稽古をつけて頂いて、明日の朝にはここを発たねばならない。名残惜しいけど、僕の役目は旅の先、バルサンラジオを全国に広めることにあるのだから、行かなくちゃ。


「型はだいたい教えたし、形になってきているよ。あとは体力と筋肉を付けて、毎日基礎を繰り返す事。さ、お昼にしようか」

 午前の稽古が終わり、師範代の蘭さんと昼食に入る。ただ毎日の事ながら稽古が終わると、蘭さんはやたら僕とくろりんちゃんの仲を冷やかしてくるから、やりにくいんだよなぁ。

「私達ももう少しこの世界で頑張ってみるから、結婚式には呼びなさいよ」

 ほらこれだ。というか蘭さんも優斗さんとの子供作ればいいのに……なんて言うとゲンコツが飛んできそうなのであえて言わないけど。


 ―ザ、ザッ―

”ハーイ始まりました、松波ハッパのバルサンラジオ、今日からラジオカーのリポートふっかーつ! と、いうわけでくろりんちゃーん! 聞こえてますかー?”


 お昼のラジオが始まった。クロちゃんも久々のリポートだし、僕もまた機材の設置や放送域の拡大など、明日からはやらなきゃいけないことがいっぱいだ。


”はいはーい、くろりんでーっす。今日は何と、横浜市の警察署にお邪魔してまーす。”


 え、警察署に? そこって確か……


”今日は『檻の中のもうこりごりな面々』と題して、私たちを襲った人たちに突撃インタビューでーす!”


 ぶっ! と思わずご飯を吹き出す。え、ええ!? クロちゃん、あいつらに会いに行ってるの?


”あー、ども。ロクデナシーズのリーダー、天藤巽てんどうたつみです。キックボクシングやってましたが、見事にボコられて檻の中で反省中です”


「な、な、な……なんで?」

 事態が理解できない。なんであいつらがラジオに出てるんだ! 


青木実あおきみのるッス、湊さんに何回も投げ飛ばされちゃいましたー”

山根やまねタクトです。くろりんちゃんに股をおもいっきり蹴られました……何かに目覚めそうです”


 あの時の連中が次々と自己紹介をしていく。一体どういう事? 僕たちを襲ったあいつらが、僕たちのラジオで何ヘラヘラして喋ってるんだ!


風川逆桃かぜかわハートです。逆さまの桃って書いてハートって読みます、こんな名前付けた親を恨みます、よよよよよ……

 わざとらしい泣き声に、各地のラジオから笑いが起こる。確かに、どんなネ-ミングセンスしてるんだこの人の親は。


南丘五葉なみおかいつはです、電気機器は正しく使いましょう!

”お前が言うな、スタンガン女!”

 湊さんとくろりんちゃんのツッコミが入った。このノリは明らかに打ち合わせをしている、僕が修行している間に、わざわざこんな事を?


”女子プロレスの虎米瑠衣とらごめるい、リングネームはピューマのルイです!”

 ざわっ、と身の毛がよだつ。この声はあの時の、僕たちの車を蹴飛ばして僕を引きずり出そうとした、あの女の声! 歯を噛みしめ、握る拳に力が籠る……



――くろりんちゃん、ヒカル君、本当に、ごめんなさいでしたぁーっ!!――


 え?


”粋がって悪い事しました、反省してます。今すぐにとは言いません、いつか、許してくれると嬉しいです”

”私らがバカでした。みんな世界がこんなでも真面目に生きてるのに、本当にゴメン”


 次々と謝罪の言葉を述べるあいつら。でもなんでわざわざラジオで?


「これであいつらも真面目にならざるを得ないね、なんせ全国にこんだけ恥を広めたんだから」

 蘭さんがふっと笑いながらそう告げる。そう、このラジオは全国に散った人たちも聞いているはずだし、奴らが僕たちを襲った事も知れているはずだ。なら彼らに対して怒る気持ちはあるだろう。


「じゃ、じゃあ、そのためにあいつらをラジオに?」

 あいつらはラジオを通して全国に自分たちの悪事と、そして反省の意思を宣言した。もしこれで再び悪事を働くようなら、もう誰も彼らを信用しないだろう。

 生き残っている人たちの輪から完全にはじき出され、二度と戻ることは出来ないだろう。


「それだけじゃないよ、あいつらみたいな悪党が他に居ても、この放送聞いてたらマトモになるかも知れないしねぇ」

 そうか、あいつらに謝らせ、反省させることで防犯の効果もあるんだ。世界はまだまだ良識と倫理で繋がっている、とアピールすれば、悪い事をしようとする心を押さえるブレーキになるだろう。


 その後の放送は、クロちゃんと湊さん、鐘巻刑事と優斗師範を交えた、奴等との会話になっていた。当然ながら各放送局からも奴らを非難し問い詰める意見が相次いだが、そのすべてにあいつらは謙虚に謝罪を繰り返した。


 そして話す内に、しだいに会話が柔らかく、くだけたものになっていく。


 クロちゃんが十二歳だと知って驚きの声を上げ、女たちが皆、胸を押さえて「ま、負けた……」と嘆いたり、奴らがホイホイに入らなかった理由(仲間意識が強かったり、格闘技の試合が近かったりした、等)を語ったり、空手道世界王者の優斗師範にボコボコにやられた過程を語って「勝てるわけ無ぇ」などと自虐したりと、放送が終わる頃にはすっかりラジオに溶け込んでいたし、もう彼らを非難する者もさすがにいなかった。




「あいつら、本当に反省したんですかね」

「さぁね。人間の善意と悪意なんて振り子のように振れるもんさ。さ、他人は他人、私たちは私たちだ。稽古再開するよ!」

「お、押忍っ!」


 確かにそうだ。あれが湊さん達の彼らに対する罰なら、僕なんかがどうこう言う筋合いじゃない。もしまた暴力を振りかざして来たら、その時の為に空手を習ってるんじゃないか。


 夕方まで稽古を続け、終了の体操が終わった時、ちょうど湊さんと優斗師範、そしてクロちゃんが帰って来た。

「お、がんばってるねぇ」

「おつかれー」

 しれっと笑顔の二人。放送聞きましたよ、まったくもー。


「さて、白瀬ヒカル。これからを始める、受ける気があるか?」

「……え?」

 師範の思わぬ声に『押忍』の返事を返し損ねた。昇段試験、って……空手の段なんて何年も修行してやっと貰えるものだと聞いた。それを入門十日目の、僕が?


「君は特別だよ、世界が世界だしね。これから行うテストに合格すれば、君も立派な有段者だ、私がお墨付きを与えよう」

「お、おう―っすっ!」

 僕が空手の有段者に? こんなサプライズ聞いてない。でもやらないわけがない。これはこの道場が、わざわざ僕の為に用意してくれたものなんだから。


「じゃ、どうぞ」

 くろりんちゃんが出入り口に向かってそう告げると、数人の人間がぞろぞろと道場に入って来る。

「なっ!?」

 思わず身構える。入って来たのはだ! 牢屋に入ってたんじゃ無かったのか?


「久しぶりだねボーヤ。ちょっとはマシになったか、アタシが見てやるよ」

 あの時の金髪女、確か虎米ルイとか言ったか。壁にかけてあるキックミットを両手に装着する。勝手に触るな、と言いかけた僕を師範代の蘭さんが、肩を掴んで止める。


「今から三分、彼女がミット受けをする。ここで習った成果を存分に見せてみたまえ!」


「!!」

 そうか、そういう事か。


 その意味が分からないほど馬鹿じゃない。あの時、僕はこの女にビビって何もできなかった。その奴が今、僕の攻撃を受けて立つと言ってるんだ。


 僕が。そして、稽古の成果を出すことができるか、それを試されているんだ!


「押忍っ!」

 恐怖と、憎しみをしてぶ。拳を固めて気を入れる、いざ!


「始めいっ!」

 ―ドンッ!―


 開始の太鼓が打ち鳴らされる。僕にとっての初めての試験、そしてここで習った事の全てを試される時間が今、始まった。

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