第二十九話 窓に映る、ふたつのココロ
「痛だだだだだ……いったーっ!」
「歯を食いしばってね、いきますよ……ほいっ!」
「ぐぬぅ!」
横浜市の空手道場にて、私は先の喧嘩で負った怪我を、ここの奥さんで師範代の
「よかった、大したことなくて」
くろりんちゃんが消毒液をガーゼに染み込ませ、切れている個所の消毒をしてくれている。彼女も頭突きの際に青あざを作った額に冷却シップを張っていた。ヒカル君は無傷だったし、本当にこの程度ですんで良かった良かった。
◇ ◇ ◇
あの後、鐘巻警部の指示で悪党どもを手錠や電気コードで後ろ手に縛り上げたうえで、それぞれの車と奴らのワゴン車に分乗し、最寄りの警察署まで連行して、中にある留置場に男女三人ずつに分けて押し込んでおいた。
鐘巻さんはそのまま取り調べをするために署に残り、他の全員は2kmほど離れた大熊さんの道場兼自宅に厄介になる事になった。
今はもう珍しい古風な日本家屋の中の道場に上がらせてもらって、早速私達は自分たちの素性を話しつつ、こうしてケガの治療をしてもらってるわけだ。
「ラジオか、面白いねぇ」
「徳島から来られたんですか。それはそれは、遠くからご苦労様です」
私たちの旅の軌跡やお互いの出会い、そしてラジオ放送を始めるキッカケから、それに応えて多くの人と出会えた事に、夫妻はいたく感心しきりだった。
「私達はねぇ、もうそろそろこの窓に入ろうかと思ってたところなんですよ」
師範の
「だから、あの放送を聞いた時、私達は本当に燃えましたよ」
蘭さんがそう続く。なるほど放送から間を置かずに飛んで来てくれたのは、武道家としての溜まりに溜まった使命感が爆発したからだったのか。
「はい、はい……みんな無事ですけど、湊さんだけはしばらく無理ですね、運転もあるし」
ヒカル君が無線機を持ち込んで松波さんと連絡を取っている。続けて来たラジオのリポーターだが、車を運転できなければ中継車の移動が出来ない。私は多少の怪我でもやる気はあったのだが、ヒカル君とくろりんちゃんの猛反対によりお休みを打診している所なのだ……大丈夫なんだけどなぁ。
”OKOK、全治まで安静にしてて。放送は心配ないよ、全国に散った大勢のゲストさんに出番を埋めてもらうから”
無線からそう返信が来た。どうやらしばらくはここにご厄介になって治療に専念せざるを得なさそうだ。ボコボコにされた車の修理(といってもミラーくらいだが)もあるし、まぁ仕方ないか。
「それじゃ、夕飯の支度しましょうか」
「あ、私手伝います!」
蘭さんの言葉にくろりんちゃんがそう返す。この道場も電気が生きており、台所には冷蔵庫やオール電化の調理器が稼働中らしい。まぁだからこそ彼らは健康に生活でき続けていたんだろうけど、おかげで本当に助かった。
夕飯は鍋物だった。かつてここで門下生たちとこうして鍋を囲んだものだそうだが、それをもう一度出来たことに夫妻自信が凄く喜んでいた。私達も命の恩人に感謝し、ありがたくお鍋を堪能する。
「ほう、鳥取にイオタSVRが! 乗ってくれば良かったのに」
「カウンタックとのツーショットは絵になるでしょうね。しかし
「バレたか」
私は優斗さんと酒を酌み交わしながら上機嫌でスーパーカー談議に入っていた。あのカウンタックはご主人唯一の道楽とやらで、門下生や子供達にも注目の的だったらしく、人を集めるのに一役買っていたとか。うん、わかるわかる。
ケガに鍋と酒が染みたのもあって、その後のことは良く覚えていない。痛みと酔いが、今自分が生き残っている事を実感させてくれることを喜びつつ、そのまま夢の中に落ちて行った。
◇ ◇ ◇
「ご苦労様くろりんちゃん、あとは私がやっておくから、一休みして」
そう言って蘭さんはキッチンに向かっていった。ちゃぶ台を片した後の道場には、湊さんと優斗さんが酒瓶を挟んで高いびきをかいている……もう、男の人って大人になるとこんなのかなぁ。
「ふぅ、すごい一日だった」
私の寝床にとあてがわれた部屋で、私は思わずそう嘆くと、今日の出来事を思い出して、そのままそこにへなへなと座り込んだ。
「こ、怖かったぁ~~~」
冗談抜きで今日は、私にとって人生最大の危機だった。もしあのまま暴漢に負けていたらどうなっていたか。湊さんは殺され、私はあの三人に散々エッチな事をされ、そしてヒカ君はあの女達に何をされていたんだろうか、想像しただけで身震いがする。
はぁ~、と息を吐いて気を落ちつかせる。思えば今日は初めて
そして何より思うのは、あのヒカ君の、ものすごい機転だ。
「本当に……凄いな」
私より三つ年上だけど、どこか頼りないと思っていたヒカ君。でも彼は今日のピンチに、暴力じゃなくて冷静な判断と作戦で私たちのピンチを見事に救ってくれた。
男の人なんて乱暴なだけの存在だと思ってた。私のお母さんの相手の人なんてみんなそうだったし、そんな男が嫌いだったから私は同級生の男子すら嫌っていた。湊さんに出会ってからも、もしかしたらこの人も、って警戒心はどこかにあったと思う。
でも、ヒカ君だけは違った。恨んでも恨みきれない両親の仇を討つためのホイホイにすら入らず、常に正しさを考えて行動する。そして今日はその冷静さで、あの大熊さんを呼んでくれた、湊さんと、私の命を、助けてくれた。
「……素敵、だな」
甘い声が漏れたのが自分でもわかる。今、私は彼にすっごく惹かれている。心も、そして体も。
宙に浮いている私のウィンドウ『にんげんホイホイ』を見上げる。そこには裸でベッドに寝そべるヒカ君がこっちを見て、にっこりと笑顔を向けてた……
(あーもうバカバカバカ! そこはデートの待ち合わせとか白馬の王子様とかでしょ! もう!!)
自分の育ちの悪さに赤面し、顔を押さえて首をぶんぶん振る……おかーさん、やっぱちょっと恨むわ。
「でも、そういう、こと、なんだよね」
私はヒカ君を求めている。自分の願望が叶うウィンドウが、今それをくっきりはっきり映し出している。
私が今、この『にんげんホイホイ』の誘惑に負けない為に。いや、そんなことはどうでもいい。私のこの気持ちの為に、私はヒカ君に伝えたい。
「好きです」と。
あれ? でも彼はどこにいるんだろう。道場には大人二人しかいないし、トイレだろうか。そう思って私は母屋に続く渡り廊下に向かった。
もうすっかり夜で、廊下は満月の月明かりが日本庭園を幻想的に照らしている。そして、その真ん中ほどに、ヒカ君はいた。
「……!」
その顔をくしゃくしゃに歪めて。
涙をぽろぽろ零しながら。
一定の間隔で、体をすん、すん、としゃくりあげながら。
(え、何……なんで、泣いてる、の)
彼の目の前にはホイホイがある。当然私には砂嵐にしか見えないけど、彼は時々その方向に目をやっては俯いて嗚咽を漏らしている。
私は動けないでいた。どうして彼が泣いてるの? あっ、まさか、今日の出来事を思い出して、改めて怖くなって……えーと、トラウマ、だっけ、とかいうのを感じてるのかな?
じゃ、私が慰めてあげなきゃ!
一歩踏み出したその時、私は両肩を掴まれて後ろに引き込まれた。「えっ!?」と言いかけた言葉を、口を防がれて止められる。
私を引っ張ったのは蘭さんだった。彼女は口に人差し指を当て、(しぃーっ!)と囁いて、気配を消させた。ヒカ君に気付かせないようにしたんだ。
「ここは、私に任せて」
そう囁いて廊下に出る蘭さん。私はちょっとがっかりしながらも縦格子があるだけの空気窓から廊下の様子を見る。せっかくヒカ君を慰めるチャンスだったのにー。
「あ、蘭さん」
彼女に気付いたヒカ君が、ごしごしと涙を拭って背中を向ける。大丈夫です、と小さく嘆いて、彼女の元をすり抜けてこっちに戻ろうとする。
「怖かったの?」
その言葉に、ヒカ君は静かに首を振る。え、違うの?
「じゃあ、情けなかった?」
その言葉に思わずびくっ! と反応して足を止める。そこから肩を震わせ、嗚咽を上げて再び泣き出すと、絞り出すように声を上げた。
「・・・・・はい! そうです。情けないです、情けなくて死にたいですっ!!」
泣きじゃくりながら蘭さんに向き直って返すヒカ君。え、何が、情けない、の?
「湊さんはあんな大ケガするまで戦いました! くろちゃんも、額にアザ作って、あいつらと戦いました、やっつけました・・・・・・小学生の女の子がですよ!」
一度言葉を止めて、息を吸い直して、しゃっくりでそれを邪魔されて、それでも、彼は次の言葉で自分を責める。
「だけど……僕は、僕は、逃げたんです。ビビって、怖がって、あの怖い女が来ても、戦いもせずに震えてたんです……僕は男なのに!!」
そんな! ヒカ君は自分が出来る事をやって、私たちを助けてくれたのに。ヒカ君があんな奴らに立ち向かっても、負けてひどい目に遭うのに。
「今の僕のこのホイホイ……あいつらをカッコよくやっつける、自分の姿が見えるんです、優斗さんや蘭さんみたいに! 湊さんや、くろちゃんを、男らしく、助ける姿が・・・・・・・うわあぁぁぁぁーっ!!」
そう言ってしゃがみ込んで泣きだすヒカ君。
私は蘭さんが、私が出て行くのを止めたわけが、やっとわかった。
ヒカ君が望むのはそんなんじゃなかったんだ。誰かに頼るんじゃなくて、自分自身が勇ましく戦う姿だったんだ。
彼だって、男の子なんだから。
しばらく泣き続ける彼の姿を、私は格子窓越しに、蘭さんは傍らで見続けていた。
嗚咽が収まった時、蘭さんがヒカ君の肩に手を置いて、優しい声で伝えた。
「じゃ、空手、習ってみる?」
「……え?」
驚いて顔を上げるヒカ君に、蘭さんはにっこり笑って一歩距離を取り、そしてその手を握って自分の前にかざす。
「フッ!」
気合いと同時、蘭さんのパンチがパパパパパッ、と空気を切って突き出される。
「あ、それ、あの時の」
「そう、よく分かったね。『正中線連拳』っていうの、結構必殺技なのよ」
「それを……僕が?」
できるようになるんですか、という顔をして蘭さんを見上げるヒカ君。
「ここにいる間だけだから、完全にとはいかないけど、基本なら教えられるわ。君になら、ね」
ウィンクしながらそう返す蘭さん。
「僕に、なら?」
「ええ。ウチは仮にも活人拳道場だから。乱暴を働く輩には教えられないわ。でも、仲間を助けたくて、それが出来なくて悔しくて泣くような子になら、教えてあげられる!」
拳をヒカ君の胸に押し当て、真剣な目で彼を見ながら、彼女はそう続けた。
「どう、やってみる?」
「僕は……僕は、強く、なりたいです!」
その返しに蘭さんがスッと拳を引くと、その両手を腰に当ててフフンと鼻息を鳴らす。
「好きな娘を守れるようにならなきゃねー、愛しのくろりんちゃんを♪」
隠れて見ていた私が、ぼふっ、と顔が赤くなるのを感じた。ちょっと、蘭さん、なんばいっちょるがぁ!
でも、当のヒカ君は、今まで見た事が無いような真剣な顔をして、大きく頷いた。
「はい! 僕に空手を教えてください、好きな娘を、くろちゃんを、守れるように!」
その言葉に、その眼差しに、今だ涙の跡が残るその真面目な表情に、私は胸の奥が溶けて行くような感覚を……そう、快感を、感じていた。
嬉しい、気持ちいい、楽しい、感動する、心が躍る、気持ちがすっと天に昇る。
全部の「いい」を詰め込んだ想いが、私の全身を駆け巡る。
私はさっきまで彼に抱かれに行くつもりだった。でも、止めよう。いつか、彼が私を自信をもって抱きしめてくれる、その日まで。
待ってる、から。
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