第十二話 白瀬ヒカル

 ヒカル君のアパートに到着して彼の住む203号室に招かれた後、早速お風呂の準備をはじめてくれた。このアパートはもうかなり古いもので、非常階段やら屋根裏の雨樋なんかはもうかなり腐食が進んでいた。

 中庭にある太陽光パネルだけが真新しく輝きを放っているおかげで電気が使えるという状況が、古くを良しとして新しい時代に対応しようという京都の人らしい発想といえるのだろうか。


 彼の住居もかなり古めかしい感じがあったが、それでもキッチンだけは新しい器具が取り付けられている。多分太陽光パネルの設置に合わせてオール電化にリフォームしたんだろうな、お陰で今日は少し文化的な生活に戻れそうだ。


「お風呂沸いたから入れますよー」

「うわーい! お風呂お風呂ー♪」

 建設会社員の職業病な妄想をしているうちに、ヒカル君の声に続いてくろりんちゃんの歓喜の声が響いた。

「じゃあ、夏柳さんから入りますか?」

「お、レディファーストだねぇ、関心関心」

「「えっ?」」

 女子を優先するヒカル君の態度を褒め称えたつもりだったが、二人まとめて首を傾げられた。うーんレディファーストって、今どきの子供は使わないのかな?


「じゃ、じゃあお先に。本当に覗かないでくださいよ!」

 そう口をとがらせて風呂場の中に入っていく彼女に、「ゆっくり入ってていいよー」と声をかける。我が家でも妻や娘の風呂はかなり長かったものだ、ましてこの夏の最中、数日はご無沙汰だったのだろうしゆっくりと堪能してもらった方がいいだろう。


 と、ヒカル君にぽんと肩をつかまれ、ちょっと深刻な表情で言葉を声をかけられた。

「椿山さん、ちょっとお話があります、来てもらえますか?」

 その真剣な表情に何か只事ではない気配を感じて「わかった」と頷いて脱衣所から離れる。いったい何だろうか。


「裏手のベランダに出たらお風呂覗けますよ~」

 にひひと笑ってそういう彼に、ごんっ、とゲンコツを落とす。もちろんツッコミレベルに手加減はしたが。

「あはは、冗談ですって」

「くろりんちゃんに聞かれたら、当分口きいてもらえないぞ」

 中学生にとっては男子らしいジョークで済むんだろうが、小学生女児の、ましてや早熟の体と男性恐怖症を併せ持つくろりんちゃんにとっては、そういうちょっとした言葉がきつく刺さるものだ。

「わかりました、気を付けます」

 と、おどけた態度から一変し、神妙な顔でそう言った後、彼はひとつの襖の前で足を止めた。


「ここ、両親の部屋です」

 え? 両親居るのかと訝しがる。あ、いや、今はあのホイホイの中に入っちゃってるんだろうなとは思っていたが、わざわざその部屋に自分を案内したっていう事は、何か別の事情が?


 すらっ、と襖を開ける。その部屋を見て、その中の色合いのカラフルさに思わず引いた。

 壁中に張られたイラストのポスター、窓際にある机はまるで製図用のようなワーキングデスクになっていて、ガラス張りの天板が傾けられるようになっている、その隣にはパソコンとプリンターが机側を向いて置かれていた。建築で使うCAD製図の部屋ような印象があるが、周囲のポスターが明らかな違和感を醸し出している。


「ウチの両親、CG系のデザイナーだったんですよ。漫画やアニメのポスターとか」

 ああ! と心で手を打つ。なるほどなるほど、それで全部納得がいった。単なるアニメ好きじゃなくて本職の人だったか。今思えばヒカル君の物言いや態度もどこかそっち系っぽい空気があった気がする。さっきの「覗けますよ」も、こういうシチュエーションのお約束なのかもしれないな。


 彼は部屋の奥に進むと、隅っこにある仏壇に正座をして鐘を鳴らし、合唱して「ただいま」と呟いた。あ、彼のご両親はひょっとして、もう……


 と、心の奥底でなにか、ざわり、としたモノが走った、気がした。


 彼に習って私も仏壇に手を合わせた。心の中で(お邪魔します、一夜の宿をお借りします)と報告しておく。もしかしてヒカル君は私をここに案内することで、私の人柄を試したのだろうか。



「ねぇ、椿山さん。『ざまぁ』って言葉の物語、知ってます?」

 本棚から一冊の漫画本を引き抜きながらそう聞いてくる。ざまぁ? ざまぁみろって事かな?

「恨みつらみのある相手に、手ひどい仕返しをするお話をそう呼ぶんです、例えばこんな」

 そう言っていくつかの漫画本のページを開いて渡される。ぱらぱらとページをめくって流し読みしつつ……


「どれもこれも、胸糞の悪くなるお話だな」

 読み終えて、そう感想を述べた。それは簡略すれば「いじめられっ子がいじめっ子に陰惨な復讐をする」系の話のオンパレードだった。


 そもそもいじめっ子の方が『コレ本当に人間か?』という程の悪党、いや悪魔として描かれており、とても日本でまっとうな教育を受けて来た人間とは思えない。


 仕返しする主人公側も明らかに一線を越えた犯罪行為を平然と正当化していて「得た力で一方的に虐殺する」「薬物を飲食物に混ぜて苦しめる」「陰湿な罠に嵌めて社会的地位を奪って破滅させる」など、理性や倫理を投げ捨てた狂人の行為を堂々と物語の主人公にさせて、さもそれが当然であるかのように描かれている。


 そこには認め合う事も、許し合う事も存在しない、純然たる勧善懲悪の世界が、よりによって子供の社会を舞台に繰り広げられていたのだから、見るに耐えなかった。


「ですよねー」

 本を受け取って棚にしまいながら、彼はそう嘆いて続ける。

「僕、こういう話好きだったんですよ。それが父さんにバレたら思いっきり怒られたんです。『お前は相手の気持ちがわからんのか!』って」

「うん、いいお父さんじゃないか」

 幼い頃ならこういう話は確かに痛快に感じるかもしれない。だが10代にもなれば相手を陥れて自分だけがイイ気になれる話は、相手の立場に立ってされる側の痛みを理解しないという事で、それをただ「面白い」というのは思考が幼稚に過ぎるだろう。親としてはそういう他人の痛みが分かる人間になってほしいと願うものだ。


「はい。椿山さんもそう思います、よね」


 彼は語る。両親はポスターや挿絵制作に携わりながら、最近流行りの話の倫理観の無さにげんなりしていたそうだ。だが商売というのは視聴者が望むものを作ることであり、自分の倫理観を表現する事ではないと自分を納得させ続け、プロとして心を殺して仕事を続けていたという。


 立派なご両親だ。だけどもしかしたら、そういう心労が両親の命を奪う事になったのだろうか。デザイナー作家なら収入も安定していないだろう、収入の為に己の好まない仕事に手を染め続けて、ストレスを溜め過ぎたんだろうか……。


「俺の両親、その『ざまぁ』に、殺された・・・・んです」


 彼のその言葉に、部屋の空気が濁り固まるのを、感じた。


 ざまぁに殺された? 今見た漫画みたいに彼の両親は誰かのささいな恨みを買って、リンチのような状況で殺された? いや、まさか、そんな酷いことがあったなら、新聞に載るほどの事件になっていたはずだ。


 ―!?―


 ざわり、と心の奥の何かが湧き出した。そう、さっきも感じた悪寒、何かが、何かが記憶に引っかかる。一体何が?

 ざまぁ、漫画、デザイナー、ヒカル君、両親、くろりんちゃん、京都、金閣寺、お風呂、そしてにんげんホイホイ……思いつく状況を掘り起こして心の中の引っ掛かりを探す。


 ―CG系のデザイナー―

 ―事件―


 そのふたつの単語を拾い出した時だった。私の中の黒い何かがざわぁっ! と全身から噴き出すのを感じた。

 そうだ、あれは今から数年前に起こった、ある凄惨な事件。まさか、彼の両親はっ!?


「まさか……CGコンテスト、殺傷事件!?」

 私の言葉にヒカル君がこくり、と頷いた。


 なんてことだ、最悪じゃないか彼の両親の死は。


 今から四年前、大手の映画会社主催のポスターのコンテスト。その作品の中に全く同じ構図のものがあって、どちからがパクリだと問題になった事があった。

 だがその出来栄えは誰が見ても一目瞭然で、優秀な側が制作データの日付やモチーフにした風景の場所をきちんと提示したのに対し、劣っていた側はただ単に自作が真似されたと喚き散らすだけで、具体的な証拠は何一つ出さなかった。


 そして、挙句の果てにその男は刃物で、そのデザイナー夫婦を襲った。


 逮捕後に明らかになったのは、彼がインターネットでこっぴどく叩かれていたことだ。ネット民の圧が彼を追い込み、住所まで特定されて嫌がらせまで受けていたらしく、それが彼を追いつめて犯罪に向かわせた、との事だった。


 それはまさに虐げられてきたものが成功者に復讐する、まさに今見た『ざまぁ』の物語そのものじゃないか。


「酷い……話だな。辛かっただろうね」

 彼の肩にぽん、と手を添えてそう告げる。確かあの事件は容疑者も犯行後に飛び降り自殺を図って植物状態になり、最近覚醒はしたが未だに裁判が始まっていなかったはず。

 そんな犯人が法で裁かれる前にこの「にんげんホイホイ」が社会を壊してしまったせいで有耶無耶になってしまったのか。あの犯人も今は間違いなく自分の窓の向こうに逃げているだろうから、ヒカル君の無念さは察するに余りある。きっと犯人は今ごろ窓の向こうで殺した人間に向かって『ざまぁ』などと言ってるのだろう。


 つくづく、つくづく胸糞の悪くなる話だ!


「ねぇ、椿山さん。例えば僕が、親を殺した犯人に『ざまぁ』な仕打ちをするのって、正しいと思いますか?」

 そんな嘆きを聞いた私は、ひとつ「ふぅ」と息をついて、彼に目線を合わせて言い聞かせる。

「君は、あんな輩と、同じレベルに堕ちたい・・・・・・・・・・のか?」


 その言葉に彼はうつむき、しばし瞑目した後、肩を震わせて嗚咽を漏らし始めた。

「僕の……このウィンドウの中、あの犯人がいるんです……柱に縛り付けられた状態で、すぐそばの壁には、鬼が使うような金棒やハンマーなんかが、並んでて……でもこれを持って殴ったら、コイツをぶちのめしたら……きっと父さんに、母さんに……叱られる気がして、っ!」


 そうか、だから彼はこのウィンドウの中に入らなかったんだ。憎しみと親に教わった倫理観が心の中でせめぎ合って、今までずっと耐えて来たんだ。あの金閣寺の屋根に登ったのも、「何か」をしていないと気が狂いそうになっていたのかも知れないな。


 私は彼の両肩をがっしりと掴む。そうだ、今彼に言ってあげるべき言葉はもうはっきりしている。きっとヒカル君は誰かにそう言ってほしかったんだから。


「偉いぞ! よく我慢したな、立派だよ!」

 わんわん声を上げて泣く彼の頭をわし掴みにして、ぐしゃぐしゃと撫でてやった。


 うん、ヒカル君のお父さん、貴方の教育はすごく正しかったよ、お陰で私は彼に出会えた。だから息子さんを少しだけお借りして、父親あなたの代わりをしてあげても、いいですか?


 くろりんちゃんにとっても、私にとっても、そしてヒカル君にとっても、必ずいい経験になると思いますから。


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キャラクター紹介 白瀬 ヒカルしろせ ひかる


https://kakuyomu.jp/users/4432ed/news/16817330666431123876

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