第十一話 オトコノコとオンナノコ

 金閣寺から無事に降り、ハシゴを撤去した後で木陰に移動した後、私とくろりんちゃんは出会った少年と向かい合って座っていた。


「またずいぶん無茶をやったもんだね、ケガは無いか?」

「え、ええ……大丈夫です。助けて下さってありがとうございました」

 そう言って深々と頭を下げる少年。身長はくろりんちゃんよりやや低く背格好も華奢で、黒縁のメガネとその殊勝な態度がどこか気弱そうな、それでいて利発なイメージを漂わせている。優等生とオタク少年の中間といったイメージか。


 本来なら彼のやった蛮行は許されるものではない。世界遺産の金閣寺の屋根に登るなど言語道断であるし、素人がむやみに高所に登るのはそれだけで危険行為だ。実際私も彼を救出する際は何度も死ぬかと思ったものだ。

 平時なら彼にはゲンコツやビンタの一発もくれてやってもいいくらいだ、工事現場で生きてきた私にとって、素人が勝手にこちら側・・・・に来て大けがでもされたらと思うとぞっとする。死亡事故、責任問題、作業工程遅れ、賠償、最悪会社の倒産まである。なので安全に対する配慮が欠けている者に対しては、たとえ素人でもきっちり教育を施さなければならない……死んでしまってからでは遅いのだから。


 だが彼はまだナイーブな年頃の少年だ。そして彼の傍らには彼が逃げ込める「にんげんホイホイ」が口を開けて待っている、そんな彼に体罰や怒鳴りつけ等したら、それこそさっさとホイホイの向こうへ逃げてしまいかねないだろう。なので今回の事はおいおいゆっくりと反省してもらうとしよう。


「私は椿山 湊つばきやま みなと。徳島から、まだこの世界に居る人を探して旅をしている」

「わ、私、夏柳 黒鈴なつやなぎ くろりんです。北九州で湊さんと出会って、一緒に旅をしてます」

 私とくろりんちゃんが自己紹介を済ませると、彼も自分の胸に手を当てて言葉を返した」

白瀬しろせヒカル、十五歳、中学二年生です……よろしく」


 どうやら彼はくろりんちゃんと違って見た目通りの年齢のようだ。うん、ちょうどデリケートな年頃だった、ウチの娘の里香もこの年頃が一番扱いにくかったものだ。怒鳴らなかったのは正解だったかもな。


「お二人は、その、てっきり親子かと思ってましたけど、えーっと……」

 やや顔を伏せて私たちを見比べながらもじもじとそうこぼす。うん言いたいことは分かる、まぁ無理も無いか。

「くろりんちゃんは十二歳、君より年下だよ」

「へ? え……えええええっ!?」

 ヒカル君がくろりんちゃんを見て上半身だけで引く。くろりんちゃんはその反応に「うっ」という顔をした後、赤らめた顔をぷいっ、と背ける。

「だから私たちは君の想像しているような関係じゃあないよ、そもそも私は妻子持ちだしね」

「す、すいませんっ!」

 これでもかと頭を下げるヒカル君。まぁ見た目はパパ活コンビに見えてもしょうがないんで必要以上の弁解はしない。

 くろりんちゃんも、そういう目で見られていた事は意識していたようで、両手をフトモモの間に挟んでもじもじしながら「ホントにもう」とため息をつく。彼女は母親が風俗嬢だったせいか、小6にしては相当のおませさんだ。少々の男性恐怖症を患っている事もあり、ヒカル君に対しても一定の距離感がある。


「それよりも、どう? 他にまだこっち・・・に居る人を知ってるかい?」

 私の質問に、彼は首を横に振るだけだった。どうやらこの京都にもホイホイされずに残っている人はいないか、探さなければ見つけられないレベルのようだ。


「お二人は、どうして、その……ウィンドウの向こうの世界に行かなかったんですか?」

 ヒカル君からそう聞いてきた。うん、そっちから切り出してくれるのはありがたいことだ。この”欲望の窓”に入らない理由はお互いにとって何よりの自己紹介になるだろうから。

「私はねぇ、なんとなく入りそびれて、人が居なくなって、それで気付いたんだよ。この窓の中の世界は多分、飽きるから・・・・・

 旅をしていてそれは確信へと変わった。自分の妄想の世界では新しい経験をすることなど出来はしない。くろりんちゃんという女の子に出会い、子供の頃の憧れの車を目にして、その挙句に金閣寺の屋根に登るなんて、このホイホイの中で経験できるはずもないのだ。


「君は、どうなんだい?」

 ヒカル君に対して言葉を返してみる。くろりんちゃんの事情は少々重いので、できれば先に彼に理由を話してもらいたい。その後でくろりんちゃんが話すかどうかは彼女次第だろう。

「僕は……この窓の中の世界が、キライ、なんです」

「「え!?」」

 彼のその返しに思わず二人の声が重なった。このウインドウはその人の欲望を具現化した世界があるはずで、厨二病と揶揄される年齢の彼にとっては耐えがたい誘惑のハズだ。それが……キライ?


「僕は、僕の欲望そのものが……キライ、なんですよ」

 そう言って息を吐く彼。彼の窓の中の世界は例によって砂嵐映像で見れないが、彼は自分の欲望そのものを嫌悪していると。もしそれが理性によるものだとするなら、彼は相当な自制心の持ち主だという事になる。

「真面目なんだね、君は」

「えー、真面目な人は金閣寺に登ったりしないでしょー?」

 私の返しにくろりんちゃんがツッコミを入れる。あ、確かに、と顔を見合わせた後、三人でコロコロと笑い合った。


「私は、あっちの世界が怖かったから。でも、湊さんに会わなかったら今頃はやっぱりホイホイされてたかも」

「ホイホイって……見た目まんまじゃん」

 くろりんちゃんの言葉にヒカル君がクックックと笑う。若者受けいいなーこの表現は、ナイスだ俺。

「私、こんなだから男子にスケベな目で見られることが多いんです。だから白瀬さんもヘンな事しないでくださいね!」

 胸の前で腕を十字に組んで上半身を引く彼女に対し、彼は「ん、分かった気をつける」と手の平をかざしてその意思が無い事を示す。


(うーん、ずいぶん出来た子だなぁ)

 そう思わずにはいられない。理性でこのウィンドウに入らなかった事もそうだが、今も目の前の年下の少女にそんな事を言われて怒るでもなく、彼女に配慮した対処が出来るヒカル君は随分大人びて見えた。


「あ、そだ。今日何処に泊まるか決めてますか? もし良かったらウチで泊って行ってください」

 そう提案するヒカル君に「お、いいのかい?」と返す。昨日は車中泊だったので布団で寝られるのは嬉しい限りだ。

「いいですよ、助けてくれたお礼です。俺ん家アパートだからまだ水出ますんで、風呂も入れますよ」


 その言葉にくろりんちゃんが弾けるように反応する!

「ほ、本当ですかっ! お風呂、入れますかっ!!」

 ヒカル君の目の前に飛んで行って彼の両手を取り、目をキラキラさせて彼にがぶり寄る。

「あ、ああ。ウチ太陽光発電あるから電気も使えるんだ」

 その返しにやったやったとぴょんぴょん跳ねるくろりんちゃん。うん確かにそれなら理想の住居だろう、アパート屋上の貯水タンクの水が無くなるまで生活用水は使えるし、太陽光パネルがあるなら電気のある生活が続けられる。今の状況ならまさに特別優良物件だ、なるほど中学生の彼がホイホイされずに生き抜いてこられたわけだ。


「あ、でもお風呂とか覗いたりしないでくださいね!」

「しないって……」

 ぱっと離れるくろりんちゃんをジト目で見て返すヒカル君。そのツッコミに目を泳がせて「えへへ~」とごまかす彼女。うんうん、いいなぁこういう男の子と女の子のやりとりって。

 ヒカル君はどこかお兄さん気質がありそうだし、くろりんちゃんの男性恐怖症を取り除くいいお兄ちゃんになってくれれば幸いだろう。わざわざ京都に立ち寄って、いい出会いがあってよかったというものだ。



 助手席のヒカル君の案内ナビで彼の家に向かう。くろりんちゃんは後ろの席で「お風呂、お風呂っ♪」と上機嫌だ。

 私はというと運転しながら、これから先の事を考えていた。彼を旅に連れて行くべきか、あるいは無線などの連絡手段を考えて彼は家に残して二人で旅を続けるか、彼にくろりんちゃんを任せて自分だけであの掲示板にあった場所を回るか、それともいっそ京都に腰を落ち着けて、このまま……

 そんな事を考える私は、まだ知る由も無かった。


 ―白瀬ヒカルという人間の抱える、深い闇の事を―

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