第十話 黄金の鳳凰を抱く者 (京都)

 夕食のカレーを美味しく平らげた後、片づけをしながらくろりんちゃんが聞いてくる。

「あの車って、そんなに好きだったんですね。でも、それならどうして湊さんのホイホイの中に出なかったんですか?」

「あ、今絶賛登場中だよ、まったくこのホイホイは」

 多分子供の頃の憧れで、大人になってからは忘れていたからなんだろう。このホイホイはあくまで今時点の欲望を具現化するみたいで、過去の思い出や憧れはそれを思い出さない限り出せないようだ。現にイオタSVRへの憧れを思い出した今の自分のウィンドウの中には、色とりどりのイオタにどうぞ乗って下さいと手招きする整備士と、助手席に座っている絶世の美女が見えている、ちゃっかりしてるわ。


「でもまぁ、このオーナーの手紙を見たらねぇ」

 車の中には例によってホイホイされ済みの小ウインドウと、その座席にオーナーが残した書き置きがあった。


『この車を美しいと思ってくれる方へ』

 その一文から始まった、いわば遺書ともいう手紙にはこう記されていた。かつて憧れ、死に物狂いで働いて手に入れたこの車。だがそれからは盗まれないかと戦々恐々の人生でしか無かったそうだ。唯一心休まった期間が皮肉にもレストアに出していた時だけだったとか。

 家族は去り、その時だけの雑誌の取材やカメラマン、マニアだけが彼の周囲に残ってしまった。それもほどなく潮が引くように離れ、とうとう彼にはこの車しか残らなかった。世界に絶望し、この愛車を見晴らしのいい海沿いのここに止めて、自分の理想の世界に飛び込んでしまったのだ。

『どうかこの車をここから動かさないでほしい、私のウィンドウとともにここで錆び、朽ちさせてやってほしい』

 最後にはそう書かれていた。いかにも車人生一大男カーキチらしいとは思うし、世界が滅びつつあるならもうこの車も動くことはあるまい。私も見たときは走らせてみたいと思ったが、この手紙を読んだ後ではそれもはばかられた。


「そういや車と言えば、椿さんの車、ガソリンとかどうするんですか?」

「ああ、ディーゼル……トラックとかと同じ燃料だから、運送会社とかで拝借しようと思ってね」

 そう返すと「あ、いーけないんだー」と嘆かれつつも「ちゃんと考えてるんですねー」なんて感心された。確かに窃盗行為をまた重ねることになるのだが、ちゃんと書き置きで拝借した旨を伝えるので勘弁してほしい。もし社会が元に戻ったらきちんと罰は受ける覚悟だ。


「それより明日は京都だ、早く寝た方がいいな」

 明日は京都経由で石川へ向かう予定だ。この道中では最後の観光になるだろう。

「やった! 金閣寺見たい」

 嬉々として飛び跳ね、早く早くと片付けの手を早める。うんまぁ彼女にしてみればスーパーカーより金閣寺だろう、かくいう私もちょっと楽しみなので、思わず顔が緩んでしまう。


 ワゴン車の中で車中泊する。ちなみに私のウインドウホイホイにはイオタSVRと金閣寺がセットで写っていた……意外に頭悪いのかこのウィンドウは。

「おやすみ」

「おやすみー」

 運転席と助手席を倒し、並んで毛布をかぶる。さて、くろりんちゃんの方のホイホイには何が見えてるんだろうか、寝ている間に彼女が欲望に負けて入ってしまわないか、少し不安を感じながら眠りに落ちていった。



 翌朝、その不安が杞憂であるかのように彼女に揺り起こされる。すでに朝食の準備をすませた彼女に寝坊を詫びてシートから起きだす。この子の早起きは若さなのだろうか、それとも母子家庭で家事を担うがゆえの習慣なのだろうか……


 朝食を済ませ、身支度を整えた後に私はもう一度あの車を見に行った。写真では伝わらないそのエキゾチックな空気感や、朝日を浴びて輝く魅力的な車体をも言う一度だけ嘗め回すように目に焼き付け、何枚もスマホのカメラに収めた。


 ありがとう、子供の頃の憧れに出会えて、本当に良かった。



 出発してほどなく燃料が尽きかけていたので、通りすがりのリース会社に立ち寄ってトラックから軽油を失敬する。キーを取るために事務所のガラスを割って侵入するのは何とも犯罪的だ、本当に申し訳ございません、と社長の机に手を合わせる。

 そして国道をひた走り、ついに京都に入った。日本の古都として名を馳せる都市であり、観光客を迎えるおかみさんなどは例え東京や大阪からの客であっても「田舎から・・・・ようおこしやす」と言うほどのプライドの高いイメージがある。ぶぶ漬けが帰れのサインであったり、一見さんお断りな店がいくつもあるなど、ちょっと県外客にとっては構えてしまう土地柄だ。


 でも、その人間がいないんじゃ、逆になんか物足りない。


 ひょっとすると生き残っている人がいて、この京都をプライド高く守ってるんじゃないか。あるいはホイホイされる前にこの地に訪れる観光客がいるんじゃないか、などと期待したが、現実には静まり返った町中の所々に、小さなウインドウが浮いているだけだった。

 スマホナビに従って金閣寺を目指す。通信は死んでいるが内蔵された地図アプリはしっかりと生きていて、迷うことなく目的地に案内してくれるのはありがたい。迷路のような観光地を抜けてようやく目的の場所に到着して……


「わーい、きーんかくじーっ! って、あ、あれ?」

 車から飛び降りたくろりんちゃんが金閣寺を見て、一瞬はしゃいだ後に目を丸くして固まる。そう、私と同じように。


「ひ、人がいる! ほら屋根の上!!」

 金閣寺のてっぺん、屋根の上にある金の鳳凰象に、なんと一人の人間がしがみついていた。え、なんで? どういう状況?

 とにかく駆け出す私たち。普段金閣寺は漆塗りの一階までしか入場できず、二階以上の金箔部分には入れないのだが、彼は一体どうやって二、三階をすっとばして屋根の上まで行ったのだろうか。

「おーい、大丈夫かーっ!?」

 私の声に気づいた屋根の上の人物がこちらを見て、思わず声を上げる。


「うわ、人がいるっ! す、すいませーん、登ったのは謝りますから助けてくださーいっ!」


 あれは男の子のようだ。見た目中学生ぐらいだろうか、やんちゃをする年頃だろうけど、人がいないからって世界遺産の金閣寺の屋根の上に登るとは、なんともチャレンジャーな少年だ。


「湊さん、あれ、ハシゴ!」

「ああ、あれで登ったのか」

 見れば金閣寺の裏手にアルミ製の伸縮ハシゴが横倒しに倒れている。あれで屋根まで登ったのはいいが、ハシゴが外れて下まで倒れてしまったのだろう……こらこら、ちゃんと固定しないと。あとヘルメットも、っといかん、つい職業病が出てしまった。


「今行くから、それまでしっかり捕まってなさい」

 そう上に向かって叫び、アルミハシゴの伸縮ロック金具を外して一度縮める。足で最下段を踏んで引き起こし、一階の屋根に立てかけて登って行く。

「くろりんちゃん、下を押さえてて」

「は、はい!」

 下の固定を彼女に任せて一階の屋根の上に上がると、ハシゴをほぼ垂直に立てて伸ばしていく。回りくどいようだが最初から最大にまで伸ばしていたらとても引き起こすのは不可能だ。なので起こしやすいように縮めておいて、そこまで登ってから伸ばすのがコツだ。


 コンコンコン! とロックをスライドさせる音を立ててハシゴを伸ばしていく。どうやら三階の屋根まで長さはギリギリだ、届くか……?

 コツンと音を立ててハシゴの先端数センチが三階の屋根に引っかかる。なんとか行くのは不可能ではないようだ。だが……


(怖っわ!)

 足場も無い、ただハシゴを立てかけただけ。安全帯も無く、ハシゴの上部も固定されていない。ヘルメットも被ってないし、そもそも足で踏んだりハシゴを立てかけているのは世界遺産の金閣寺……これはいろいろと恐怖しかない、もし社会が健在なら建築業に係る者としてクビなんかじゃ絶対にすまない、いろいろと怖すぎる。


 意を決して上に向かう。下からくろりんちゃんが「湊さーん、気をつけてー」と声をかけてくれる。うん、その声で少しは恐怖が紛れる。彼女の為にも絶対に転落する訳にはいかない!

 死ぬ思いで三階の屋根に到着。なだらかなカーブを描いた先の頂点にある鳳凰像に抱き着いているのは、黒縁のメガネをかけたちょっと華奢な少年だ。下から見た通り見た目14~5歳くらいだろう。


「おい! 靴を脱いで裸足になりなさい、手と足で屋根に張り付いてゆっくりとこっちに来るんだ!」

 そう叫びつつ私も靴と靴下を脱いで放り捨て、裸足を屋根に付けて滑らないように踏ん張る。もし彼が滑り落ちたら私が何とか受け止めるしかない。

「は、はい!」

 彼もそう言って靴を脱ぎ捨てる。腹ばいになって蜘蛛のように屋根に四つん這いになりながら、少しづつこちらに降りてくる。よし、いいぞ!


 と、私ははたと気付いた。もし落下しそうになったら自分の傍らに浮いているホイホイに飛び込んだら死なずに済むのではないか。実際降りてくる少年の傍らにもウィンドウはある。入ったら出られないのだが最悪転落死よりはマシかもしれない。

 でも今彼にそれを伝えたら緊張の糸が切れて最悪の事態になるかもしれない。なのであえてそれを伝えずに「こっちだ、こっち」と声だけで誘導するに留めておいた。


「よーしよし、よく頑張ったな」

 なんとか私の所まで来た少年の腰を後ろから抱え、声をかけて安心させる。その下半身をハシゴの方へ誘導し、足の裏を最上段の足場に乗せる。

「さぁ、もうひと踏ん張りだ。後ろ向きのまま下まで降りて。焦らずにゆっくりとね」

 彼は憔悴しきっているようだが、こういう時は間を開けてもいい結果にはならない。少しでも早くこの状況を終わらせなければ、いつ突風が吹くかもしれない。


 動けないでいる少年に「男の子だろ!」とハッパをかけると、彼はそろそろとハシゴを下り始める。私が上を、くろりんちゃんが下を押さえているので、彼が足を踏み外さない限り転落の危険はない。


「着きましたー!」

 なんとか少年が降りきって、くろりんちゃんがそう声を上げる。

「オッケー! じゃあ私も降りるから、もう少し持っててくれ」

 「ハイ!」とハシゴを持ち直す彼女を確認してから私もハシゴを降りていく。目一杯伸ばしたアルミハシゴはそれだけでも結構揺れるが、先に降りた少年の安定を見ているので大丈夫な確信があった。二階、一階、そして懐かしの地上へとなんとか帰還する。


「どへー、しんどかったーっ!」

 全員がハシゴから離れた所で私は地面に寝っ転がる。こんな所で仕事で培ったノウハウを全開にするとは思わなかった。

「湊さん、かっこよかったです」

「いや、くろりんちゃんが支えてくれてたからだよ」

 そう返すと、えへへと頭をかいて照れる彼女。うん、無事でよかった。


 一息ついて身を起こして立ち上がる。側で佇む少年に向き直ると、私は彼の方に歩みを進めて……


 ぺちっ! とその頬を両手の平で軽くサンドイッチした。


「初めまして、今だ欲望の窓ホイホイに負けない勇者クン」

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