第九話 旅の道中 (山口、島根、鳥取)
「うわははぁー、海だ、うーみだーっ!」
国道191号線、山口県萩市を通過したあたりで車は日本海を望むルートに突入する。東に向かっているので助手席のくろりんちゃんのすぐ左は絶景の海岸線だ。彼女は窓から顔を乗り出して、初めて見る『車内からの海』に大はしゃぎ。うん、このルート選んで正解だったな。
次の目的地は石川県だ。スマホの地図検索で調べてみた所、走り通しでも十七時間以上かかる道程なので、今日は無理をせず鳥取あたりまで走って一泊する事にした。以前のように街中をうろついて生存者を探すことはしないが、代わりにくろりんちゃんの為に、道中にある
六時間ほどかけて、ようやく島根県の出雲大社に到着。信号待ちも渋滞も無いとは言え、さすがに早朝から運転しっぱなしは体にこたえる。ちなみにくろりんちゃんはというと、道中の景色にも飽きたのか、ここまでずっと私のスマホをいじりっぱなしだった。以前
で、到着すると待ちかねたように車から飛び出し「早く早く」と私を急かす。このへんさすが小学生だよなぁと思う。
出雲大社。日本
そして何よりここは『縁結びの神様』の地として有名だ。未だにホイホイされていない人に巡り合う為の旅を続ける私にとって、神頼みするにはうってつけの場所でもある。
ま、まぁ北九州の旅行代理店で失敬して来たパンフレットの知識程度なのだが。
大鳥居を潜り、何故かいきなり下り坂になっている参道を降りていく。松並木を走り抜けて先を行くくろりんちゃんがときたま身をひるがえして「
ちなみに私の事は「湊さん」と名前呼びで呼ばせている。彼女が自分を名前で呼んで欲しがっていたのに対するお返しでもあるが、何より彼女の父親代わりをしてあげたい想いがあり、なら苗字より名前で呼ばせてあげた方が少しでもその気分になるだろう。
ま、まぁさすがに「お父さん」と呼ばせるわけにはいくまい、犯罪臭がすさまじいから。
手水社の水は流石に止まっていたが、それでも人が居なくなっているせいか水は汚れている風も無かったので、ひしゃくで救って手を清める。
「きゃ、冷たい」
「本当だ、暑いからありがたいねぇ」
石造りの水場のせいなのか、日が当たらない場所だからか、それとも霊験あらたかな場所の神力なのか、水の冷たさは火照った体に有り難かった。くろりんちゃんなんか帽子を脱いで顔を洗い、頭からかぶり出す始末だ、服が透けるからやめなさい。
最終的に水の掛け合いなんて罰当たりな真似までした後、青銅の鳥居をくぐって拝殿に到着。パンフレットの通りに「ニ礼四拍手一礼」の作法でお参りをする。
(どうか、世界がこのホイホイから元通りになりますように)
参拝後は境内を色々と見て回る。因幡の白うさぎの御神像や宝物殿などを見て回っている内に、くろりんちゃんのお腹が盛大に鳴った。
「湊さーん、お腹すきました~」
「あはは、じゃあ車に戻ってお昼にしようか」
駐車場に戻り、携帯コンロでお湯を沸かしてカップめんを作って二人ですする。この静謐な空気の中ではカップめんすら神聖なものに感じられるなぁ。
「そういやさっきのお参り、くろりんちゃんは何をお願いしたの?」
「え! えーと……秘密です」
ちょっとすねた感じで目を伏せてカップめんに戻る彼女。思春期の女の子にちょっとデリカシーの欠ける質問だが、まぁそれも父親らしくていいだろう。
「湊さんは?」
「もちろん、世界が元通りになるように、かな」
世界から人間が居なくなって十日余り。それ以前はそりゃ社会が嫌な事だらけに感じられもしただろう。でも実際にゴーストタウンになってしまうと、世界はとてつもなく寂しくなってしまった。
人間は群れで生きる生物、というのを本で読んだことがある。なるほど群れることで煩わしさは確かにあるが、それでもその有難味は無くして初めて実感できるものだった。
「うーん、私はもうちょっとこの状態でもいいかな。だっておかげでここにも来られたし」
もちろん湊さんにも会えたしね、と、にかっと笑って続ける彼女。私は思わずその頭をぐしゃぐしゃ撫でてやった。確かに世界にホイホイが現れなければ、そしてホイホイされるのを拒まなければ、私とこの娘が出会う事もなかっただろう。
食後、鳥取に向けて車を走らせる。くろりんちゃんは食後のお昼寝中で、助手席を倒してすやすやと寝息を立てている。母子家庭で育った彼女は父親に連れられてドライブに行く経験は無かっただろうが、それでも車酔いをしないのは助かったと思う。
鳥取砂丘に着いた頃にはもう陽は傾きかけていた。駐車場に車を止め、くろりんちゃんの肩をゆすって起こしにかかる。
「あ、ううん、着きました?」
ふわぁーと伸びをしてあくびする彼女、相変わらず長身やプロポーションと子供っぽいリアクションがアンバランスな娘だ。このコの恋の相手に相応しい男子ってどんなんだろうか、ちょっと想像つかない。
「うわー、きれいですねー」
夕焼けに染まる鳥取砂丘。そのすぐ先は海だ。砂丘の風によってできた砂の波と、日本海の青い波が夕日に照らされて、二色のハーモニーを奏でている。
「これは、すごいな」
そう、これなんだ。私がこのホイホイに入らずに良かったと思えるのは。見た事のない景色、今までの人生で味わえなかった感動、そしてくろりんちゃんのような、今も生き残っているかもしれない人との出会い。
自分の欲望の中に引きこもる世界では決して味わえない、新しい世界。
「鳥取県だし、夕食はカレーにしようか」
駐車場横の売店からレトルトのカレーと、鳥取名物のラッキョウ瓶詰を失敬しながらの提案に、彼女はぱっと花が咲いたような笑顔を向ける。
「私、カレーって大好きなんです」
「じゃ、まずは米を炊かないとね」
駐車場に戻って支度を始めようとしたその時、私はふと、あるシルエットを目にした。そしてそれが心の奥にある記憶を、琴線を、強烈に揺さぶった。
「あ、あれは……まさか」
持っていたカレーとらっきょうを思わず落とす。視線の先にあるのは駐車場の端、海につき出しそうに停車した一台の車だった。
我を忘れて走り出していた。後ろのくろりんちゃんの声も耳に入らない、この
「日本に……あった、のか」
その車の傍らで私は佇んでいた。視線をその車の前から後ろまで何度も走らせ、周囲を回って全体を眺めては足を止め、そこから見える角度の造形に魅入られてしまっていた。
「湊さん! どうしたんで……って、うわぁ、すごい綺麗な車」
追いついてきたくろりんちゃんがそうこぼす。うん、この車を知らない彼女でもそう思うよなぁ。見た者を捕らえて離さないそのスタイリングは、写真で見ただけでも子供の頃の自分の心を鷲掴みにしたものだ。
まさか、本物に出会えるなんて。
ワインレッドに彩られたその車、生粋のスポーツクーペですら遠く及ばない低い車高。ふたつの
そんな曲線美と張り合うように、運転席の後部ルーフエンドには一本の剣のようなリアウイングが飾られていた。まるで日本刀とそれを飾る台座のように据えられたその翼が、この車に強烈な「戦う感」を醸し出していた。
ランボルギーニ・イオタSVR
私が幼少の頃あったスーパーカーブームの頃に写真で見た、恋焦がれるほどに憧れた一台。伝説とも亡霊とも唄われた、ごくわずかな生産台数しか世に出なかった幻のスーパーカー。
ああ、これを見ることが出来ただけでも、この世界にとどまっていて良かった。
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