第七話 夏柳 黒鈴(なつやなぎ くろりん)
人生は、驚きの連続だ。
人間がいなくなったこの世界で初めて出会ったその少女に、私は改めてそう思わずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇
「じゃ、じゃあ君があの掲示板に書き込みしていた、北九州の人?」
「はい! 本当に会いに来てくれたんですね」
驚いた。四国から中国地方をある程度回って誰にも会わなかったのに、あの掲示板で生存報告をしていた人にまさかピンポイントで出会えるなんて。これは初めからあの書き込みをしてくれていた人だけを目指すべきだったのかもしれない。
それと共に、わざわざこの北九州まで来たことが報われた気がして、思わず嬉しさが込み上げてきた。ああ、やった。ようやく人間に出会えたんだ。
「あ、初めまして。私は
名前を名乗った時点で少し我に返って、ちょっと卑屈な自己紹介をした。まぁ若い娘さんに私みたいなオジサンが迫ったんじゃ警戒されて逃げ出されかねない。現に彼女はちょっと引き気味で、強張った笑顔をこちらに向けている。
「ああ、ごめんごめん。怯えなくても何もしないから安心していいよ」
そう言うと彼女は少しほっとした表情で「あ、いえ……」とだけ返した。うーんまずい、せっかく人に出会えたのにこのままじゃいかんなぁ。
「とりあえず、何か飲みますか?」
何とか場を和ませようとそう声をかけてみると、彼女はこくりと首を縦に振った。
ショッピングセンターからジュースを拝借して、店外のベンチにテーブルを挟んで彼女と対面する、カフェオレを流し込みながら、彼女を眺めつつ会話が出来そうな話題を探る。
「そうだ、お礼がまだだったね。さっきは私を助けてくれてありがとう」
人恋しさに負けてこのウィンドウに入る直前だった。もし彼女が居なければ私も欲望の世界に引き込もる羽目になっていただろう、つくづく恐ろしいなこの「にんげんホイホイ」は。
「あ、いえ。私も人に出会えたのが嬉しかったですから」
ジンジャーエールを両手で包み込むように持ったまま彼女はそう答えた。もちろん彼女の傍らにもウィンドウは浮いている、他の人の入る前のように砂嵐映像ではあるが。
何とか落ち着いたようで一安心だ。そして改めて彼女を見て、様々な違和感に囚われる。一体彼女はどういう人物なのだろうか。
身長は私と同じ170cmほどで、女性としては相当に長身だ。均整の取れたモデル体型に、頭髪を短く刈り込んでいるのが小顔をより強調している。
(なんというか……お人形さんみたいな娘だなぁ)
ラフな服装、せっかくのプロポーションを打ち消すような短髪、小さく幼さを感じさせるその表情が、どこかアンバランスな色気を醸し出している。なのに若い彼女に対して、性欲的な感情はまるで湧いてこなかった。
加えてあの匿名掲示板に書き込んでいた事。あそこは私達みたいな中高年の場と言うイメージがあり、若者はライソやツブヤイッターのほうが好まれるんじゃないかなんて思ったから。
出来ればこの娘の話を聞いてみたい。が、さすがにこちらからあれこれ聞くのは憚られた、下手をすりゃ事案だし、匿名掲示板の常連なら身の上は知られたくないのかもしれないから。
そんな事を考えていたら、意外にも彼女の方から口を開いてきた。
「私、
「あ、ああ。夏柳さん、ね」
「黒鈴。黒いに鈴で『くろりん』です」
変わった名前だな、いわゆるキラキラネームって奴かな。でもそっちで呼んでほしそうなので、これからはそう……
「芦屋中央
「……え!?」
小学生? 十二歳だって……この体で!?
「さすがにびっくりしますよね、こんなんじゃ」
顔を伏せて自虐的にそう続ける彼女を見て「しまった」と心で嘆く。自分にとっては信じられなくても、彼女の人生じゃ私みたいな驚かれ方を散々味わってきたんだ。
「ご、ごめん! なんか失礼な顔しちゃって」
「あ、いいんですよ。慣れてますから」
その年齢を明かした事が、まるで栓を抜いたように、彼女は自分の事を話し始めた。
夏柳黒鈴。母子家庭に生まれた小学六年生。母親は元デリヘル嬢で、あるヤクザ者に買われた時に避妊に失敗しデキてしまったそうで、その男は立場もあり彼女を正式に妻には出来ずに、かなりの金を支払って縁切りをされたそうだ。
「その後も母は、何人もの男性と、その……エッチな事を」
話が重くなってきたので「無理しなくてもいいよ」と窘めたのだが、それでも彼女は「聞いてほしいです」と話しを止めなかった。
話を聞くにつれ、彼女に感じていた違和感が解けていくのが感じられた。母親がそんな生活をしていたなら彼女の性への目覚めは同年代の娘よりずっと早かっただろう。
そしてそれに引きずられるように彼女の体が成長したのなら、こうまで早熟なのもどこか納得がいった。
「私、担任の先生にも同い年の男の子にも、ずっとエッチな目で見られてて……それで男の人がちょっと苦手なんです」
ありそうな話だ。小学生高学年なら男の子は性に目覚めた頃合いで、クラスにこんな体をした女子が居たら嫌でも注目を浴びるだろう。教師のほうはちょっと問題だろうけど。
「この髪も、そんな目で見られるのが嫌で切ったんです。あんまり効果は無かったですけど」
ああ、そういう事情だった、のか。彼女から感じていた違和感がこれで全部消え去った。
年不相応の匿名掲示板に入り浸っていたのも、あそこなら自分の容姿を気にせずに語れる場所だったからなんだ、
「辛かったろうね、私にも娘がいるけど、とてもそんな苦労はさせられないよ」
娘の里香は高校生になるまでそんな悩みとは無縁だった。それに比べて彼女は十二の身空でどれだけ嫌な人生を送っていたのだろう、本当に苦労してたんだなぁ。
「椿山さん、でしたよね。娘さんがいるんですか?」
「うん、高校生。今はもう自分のホイホイに入っちゃったけど」
そう返すと、彼女は自分の後ろに浮かぶウィンドウを見て、目をぱちくりさせた後……
「ぷーーーっ! ほ、ホイホイ……ゴキブリですか私たちは」
あ、ウケた。
「椿山さんは、どうして今までホイホイ、ぷぷっ!……されなかったんですか?」
すっかり和んだ彼女がそんな事を聞いてきた。うん、この窓に「にんげんホイホイ」って名前付けてよかった。
「私はねぇ、乗り遅れたってのもあるけど、この中が『自分の中にある世界だけ』ってのに気付いたから」
この世界はその人物が本当に願う世界を具現化する。でもそれは逆に言えば『新しい経験』のできない世界でもあるのだ。現にここに来るまでの短い旅路でも今までにない経験を何度もした。そんな新鮮な事を味わえないあの中にずっといれば、いつかきっと飽きてしまうだろう。
そして、いくら飽きても多分、こっちには戻ってこられない。
「だから本当に感謝してるよ。さっき君が私を止めてくれたことに。あらためて、ありがとう」
人恋しさに負けて危うく身投げをするところだった。そしてそれを止めてくれた彼女がこうして話をしてくれることで、人恋しさと新しい経験、彼女の過酷な人生を知る事が出来て、優しい気持ちにさせてくれた。
やっぱり、こんな中に入っちゃいけないんだ。
「くろりんちゃんは、どうして我慢できたの?」
心の傷の多いであろう彼女にとって、このホイホイの中は救いの世界であるはずだ。なのにこの娘が今までこうして現世に留まっているのは不思議ではある。
「私は、その……私の周囲から男の人がどんどんいなくなって、それで居心地の良さを感じてて。でも気が付くと誰も居なくなっちゃって、寂しくて。でもウィンド……ホイホイされたらまた男の人がいるんじゃないかって。それで迷ってて」
なるほど、男どもがどんどんホイホイの中に入ったせいで、自分が入ると先に入った連中がいるような気がしてたわけだ。
私はポンと胸を叩いて、彼女に宣言する。
「私は妻を今でも愛しているよ、まぁ彼女もホイホイされちゃったけどね。だから君に対して手を出すような真似は絶対にしない、だから安心して、くろりんちゃん」
その言葉を聞いた彼女は、思わず目をぱちくりさせて呆然とすると、嬉しそうに「はいっ」と頷いた。
人間ひとりでは生きていけない。だけど二人ならきっと生きていける、三人いればもっと幸せになれる。
だから旅を続けよう、あの掲示板に書き込んだ人たちがきっと待っていると信じて。
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