第五話 火事とジビエと経験と
最初の目的地は北九州にした。当面目指すはあの掲示板に生存報告があった石川、東京、神奈川、そして北九州の四か所なのだが、地元の四国からだと九州だけがまるで逆方向なので、まずそちらを押さえておきたいという考えがあった。
とはいえ高速をひとっ飛びなんて発想はない。出来れば下道を通って、もし誰かに出会えればその人とも話をしたいと思ったから。
もちろんぐずぐずしてたらあのメッセージをくれた人がモニターの中に入ってしまうかもしれない。でも仮に急いでも間に合わないかもしれないのなら、どうせなら道中も誰かに出会わないかと期待して、各町に寄りつつのんびり行くことにした。
が、出発して間もなく、私は意外な光景を目にする。
「え、あれは、火事か!?」
20kmほど西に進んだ時だった。町中から黒々とした煙が猛然と立ち上がっているのが遠目の町に見える、あれは、明らかに火災だ!
思わずそちらにハンドルを切る! もし火事ならそれを引き起こした人間がいるかもしれない。サイレンは聞こえないけど消防隊員が駆け付けているかもしれない。そして野次馬が集まっているかもしれない……火事という不幸に期待するのは邪な気もしたが、それでも誰かに会えるのではと、はやる気をアクセルに伝えてかっ飛んで行く。
現場に到着する。燃えているのは二階建ての一軒家だった。幸いに風もなく、火の粉は垂直に舞い上がっており、周囲に燃え移る隣家もないので延焼の心配はなさそうだ。
が、そこには誰も居なかった。消防隊員も野次馬も、その家の家主も姿が無い。焼け落ちる家の窓の向こうに、この家の住人が入ったであろうウィンドウが浮かんでいるのを目にする。
「あれでも、中は熱くないんだろうか……」
私が初日にウィンドウに手を突っ込んだ時、そこに入ったらもう二度と出て来られない感覚に囚われた事を思い出した。あの中はこの世界とは全く別の次元の世界に思えたのだが、この状況にあってはそれが逆に安心感を覚える。おそらくあれほどの炎に巻かれていても、中に入った住人は快適に過ごしているのだろう。
ほぼ鎮火するまで待ったが、結局誰も来ることは無かった。それはもうこの町には誰も残っていないという事なのだろう。
焼け跡の中に、確認できるだけで4つのウインドウが浮いていた。いずれもスマホサイズの小さい奴で、すでに人が中に入った後のものだった。焼け跡の熱波で近寄ることは出来なかったが、それでも比較的近くのウインドウの中には、火事の熱など全く気にせずに、中で好き勝手に魔物退治をしている青年の姿があった、多分この家のご子息なのだろう。
ウィンドウのひとつはキッチンらしき場所にあった。あそこで使っていたガスの元栓を閉め忘れて中に入ったのだろうか、ヤカンを火にかけてほったらかした状態で世界から逃げ、沸いた湯が溢れて火を消してしまい、ガス漏れがずっと続いて火事になった、というのが原因なんだろうか。
ばかばかしい、と頭を振って考えるのをやめる。今さら名推理したって誰にも聞いてもらえないんだから。
私の傍らに浮く、この
その日は近くの駐車場に車を止め、簡素な食事を取って車内泊にした。近場のホテルを探しても良かったが、このオンボロバンとの旅はずっと続くのだ。今のうちに車で寝るのにも慣れていた方がいいと思ってそうしたのだ。
◇ ◇ ◇
翌日も西へ西へと走り続ける。九州へは本四連絡橋の一番西の「しまなみ海道」を通って中国地方へと渡り、関門トンネルを抜けるルートを選んだ。北九州を探した後は関東や北陸方面を目指すので、その道中で中国地方を横断する事になる。なので先に四国方面をある程度走っておきたいという狙いがあったのだ。
徳島県西部は四国山地の山あいになる。そこに入ったあたりから、そこかしこで動物の姿をよく目にするようになった。狸やイタチ、猿はもちろん、シカやイノシシがわりと堂々と道路縁にたむろしていたりする。もっとも私の車を目にすると一目散に山に駆けこんでしまうのだが。
「あー、人間がいないとなぁ、遠慮ないわなやっぱ」
思えば人間もまた動物の一種だ。それが徒党を組み、火や言葉を使い、様々な物を発明して町と言うナワバリを築いたせいで、動物たちは山に追いやられ里に出てくることは無くなった。
この人食い窓「にんげんホイホイ」が出てから一週間、すっかり人間の気配が消えたこの世界で、動物たちはおっかなびっくりながらも町に進出しはじめているのだろう。
「世界が『人間なんていらないよ』とでも言ったのかなぁ、自然の為に」
思わずそんな妄想が口から出る。大自然を汚す一番の存在が人間であることは誰もが知っている事実だ。そんな人間を排除して世界を奇麗にしよう、なんて創作は映画や小説でいくらでもある。まさかとは思うが、誰かがそれを現実に実行したのだろうか……このウィンドウを使って。
そろそろ昼時、腹も減ったので山あいにある道の駅に車を止めた。24時間営業のここなら何かしら飯が手に入ると思って店内に向かう。
駐車場の向こう側には、5~6頭のシカがこっちを用心深く見つめている。いつか食うに困ったらあいつらを狩って食べる時が来るんだろうか。
「お、思い立ったら吉日ってヤツか?」
そんな事を考えつつ店内を物色してたら、お土産コーナーで味付き鹿肉の燻製(真空パック詰め)が売られていた。普段はこんなキワモノなんて興味ないが、将来の勉強もかねて経験しておくのも悪くないかもしれない。
賞味期限の大丈夫そうな食パンと鹿肉を失敬して、外の休憩ベンチで肉を薄切りにして軽くあぶってから、サンドイッチにして一口かじる……
「まっず!」
なんていうか、食感は牛肉に近いのに全然旨味が無い。塩コショウでごまかした繊維の塊を食ってる感じしかしない。これは失敗だったなぁと思うと同時に、文明の素晴らしさを感じずにはいられなかった。
「畜産業って、すばらしかったんだなぁ」
牛や豚、鶏のお肉が美味しかったのは、やはり人間が長い歴史で積み重ねて来た畜産の技術があったからこそだろう。当たり前だった美食が、こうも有り難かったものである事を痛感せずにはいられなかった。
「ま、あの窓に入った人たちは、こんなマズい物食わずに済むんだろうけどな」
あっちはその人の妄想の世界。極上のステーキでもフルコースでも、それこそ満願全席でも食べ放題なんだろう。どんな味がするのか想像も……
「あ、あれ?」
そこまで思って何かがひっかかる。この窓の向こうは自分の理想を具現化する世界だ。知識で得て知っている事を妄想で広げて、それを実現したのが窓の向こうの世界。だとすると……
「知らない料理の味は、分からないんじゃないだろうか」
そう、例えばこの鹿肉。そんなものを食べた経験のある人なんてほとんどいないだろう。そんな人が向こう側で仮に鹿肉を食べたら、どういう味を認識するんだろう。
いや、味だけじゃない。臭いも、感触も、景色も、音楽も、そして……感動も。
あっちでは、
自分の知らないことを、新しく経験する事が出来ない世界。そうだ、入った本人の妄想だけで成り立つ世界なら、本人が知り得ない事がその世界にあるわけがない。
「なんて、こった……
妻の、娘の顔を思い出す。あのウィンドウに入った以上、彼女たちにもう何か『新しい経験』をさせてあげることは出来なくなったんだ。
里香はまだ十六歳じゃないか、これからいろいろな事を見て、経験して、大人になって行くはずだった。それが、今の知識だけを抱えて、あの牢獄のような楽園に引きこもってしまったのか。
智美にももっと色々な楽しい事を経験させたかった。一緒に温泉を巡るのもよし、たまには夫婦水入らずで話題の映画でも見に行くのもありだろう。そうして今までの日常にない『新鮮な経験』を味わう事もあっただろう。
それもみな、この「にんげんホイホイ」に食われてしまった、のだ。
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