第三話 崩壊する社会

 あれから一週間がたった。


 世界は、もう、どうなっているのかも分からなくなった。TVやラジオは何も伝えず、新聞の配達も途切れている。ネットからもすっかり人は消え、ライソやツブヤイッターもすっかり沈黙してしまった。

 唯一、匿名掲示板のサイトにある『まだこっちの世界に居る人いますか?』というスレッドが、一日いくつかのレスを残してるくらいで、その数も日を追うごとに減少している。


「人、居なくなったなぁ」

 朝食のパンと缶コーヒーを胃に流し込みながら、私、椿山 湊つばきやま みなとはテーブルに浮かぶ小さなウインドウに話しかける。そこにあるのは妻と娘の、現世から去って行った果ての画面――


 妻は一台のリムジンの後部座席中央で、両脇に大量の買い物袋を抱えた美青年の執事に挟まれてご満悦の様子だ。さすがに猫とばっかり戯れるのも飽きたのか、さらなる物欲や色気を求めて別のシーンにチェンジしている。

 そう、この中の世界はどうやら固定ではなく、その世界の主である妻が望む世界にどんどんスイッチしていけるみたいだ。いわば入った人間はその世界の造物主のように好き勝手に望むものを手に入れられるらしい。

 ちなみに運転手は私だ。もちろん妻の妄想と思い出が生み出した架空の私ではあるのだが、それでも妻が私の事を理想の世界の片隅に置いていてくれるのは、ほんの少し救いではある……執事を見る目と比べて冷めているのは切ないものがあるが。


 娘の方の画面ももう毎日見ている。最初は愛娘のプライバシーを覗くのは控えた方がいいと思っていたが、こうも長期に留守だと娘が元気で笑顔で居られているかのほうがやはり心配になって来る。

 幸いなことに、その画面の中で娘は幸せそうだった。時には贅沢な食事をし、別の時は大自然の爽やかな風に身を任せ、時には天蓋付きのベッドでくつろいでいる……まぁ隣には絵に描いたような美少年が常に付きっきりなのだが。


「じゃあ、いってきます」


 身支度を整え、家を出て会社に向かう。だけど行ったところで誰も居ないのは分かり切っていた。この一週間で町からは人という人の姿が消え、社会は完全に沈黙していた。どうせ今日も無人の会社に出て、誰も居ない現場を回り、やる事もなく帰宅する事になるだろう。

 それでも僅かな望みにすがって車を走らせる。もしかしたらあのウインドウが世界中で一斉に割れ、瞬時に元通りの世界になるんじゃないかという淡い期待を胸に秘めて。


 だけど、期待は裏切られ、予想は裏切らなかった。


 会社も、現場も、道路も、人の気配は全くなかった。たまに目に入るのは空中を漂う小さなウインドウだけだ。まるで町中が、日本中が、そして世界中が、その小さな窓の中に引きこもってしまっているようだった。得意先や材料屋まで一日かけてあちこち回ったが、どこも機能はしていなかった。


 帰宅時、いつものように無人のコンビニに立ち寄り、今日と明日の朝の食料を拝借する。やってることは泥棒なのだが、それをとがめる店員も通報される警察も、そしてそれを裁く裁判所も機能していないのだ、モラルに拘るよりも生きることが先決だろう。まぁここのコンビニは二日目に寄って、痛みそうなお弁当やおにぎりなどを袋詰めして片しておいたから、それで勘弁してもらいたい。



「ただいまー」

 帰宅し、食卓の上に浮いているウィンドウに声をかける。返事など返ってこないのは分かってるが、それでも家族が確かにそこに居るのだから、それでいいと思う。

 電気を点けて夕食の支度にかかる。ちなみに我が家は十年前にリフォームしたばかりで、オール電化に合わせて屋根には太陽光発電のパネルが付いているので、例え送電が死んだとしても電気は生きている。まさかこんな事態に適応するとは思ってもみなかった。ちなみに今、電気はエリアによって通っていたり停電していたりする。多分所轄の変電所次第なのだろう。


 食事の後、風呂を沸かして入る。湯船につかりながら私は、その傍らに浮いている大きなモニター、私が望む世界の入り口を見て、はぁ、とため息をつく。風呂に入っている時に見たそれは、どこかの有名温泉の混浴風呂に大勢美女がたむろしている光景だった。

「やれやれ……誘惑には負けないよっと」

 浴場で欲情しそうだったので湯船から出て、冷たいシャワーを浴びて上がる。寝間着に着替えて自分の部屋に引っ込み、パソコンの前に座って電源を入れる。


「いつものスレッドは、と」

 匿名掲示板の『まだこっちの世界に居る人いますか?』スレッドを開く。幸いにも通信はまだ死んでおらず、こうして世界と繋がる事は辛うじてできている。だが、それも時間の問題だろう、ほどなく社会インフラは全て止まり、人間が生きていくには衣食住全てを文明社会以前に戻さなければならなくなる。


 それを回避する『出口』は、すぐそばにあるのだけれど。



”こちら石川です、もう誰も居ません”

”神奈川です、こんな時にサーフィンしてる人いました……私ですけどw”

”東京と言う名のゴーストタウンから。そこかしこのウインドウが何とも終末感すげぇです”

”北九州でーっす。修羅の国が平和になりました、人がいないからwww”


 各地に生き残っている人達の書き込みがいくつか残っている。ただそれも日を追うごとに数を減らしていて、やがてはここにも誰も書かなくなるんじゃないか、という予感をひしひしと感じさせる。


「こちら徳島です、仕事が無くてヒマしてます。建築業なんて人いなけりゃ回せないし……まぁみんな同じか」っと。

 生存報告ともいえる書き込みを残し、背もたれに身を委ねて溜め息一つ。パソコンを消した時に、もうひとつの横に浮かぶモニターが、また違う映像を映し出している。


『徳島の人ー、生き残りでオフ会やってますんで、貴方も来てくださいよー』

 なんか小洒落たカフェテリアで数人の女性がひらひら手を振って私を招き入れようとしている。その胸には『東京』『名古屋』『石川』『北九州』などと書かれた名札が付いていた。


「あのテこのテで、よくやるよコイツも」

 モニターを小突くポーズを取ってそう嘆く。いや、この画面は私の欲望の写し鏡だ、私が今、生き残っている人達と会ってみたいからこそ、こんな画面を見せているんだろう。そんなに私に画面に入って欲しいのか……そもそも全員が若い女性なわけあるかい!


 あ!


 私は再度パソコンを起動する。そうだ、それだったら、いっそ……

 スレッドを開き、書き込み枠をクリックしてキーボードを叩く。そうだ、何ならこんなウィンドウに頼らなくったって!


「よかったら、会いませんか?」


 そう書き込みを入れる。今、この画面をリアルタイムで見ている人がどれほどいるのかは分からない。あるいはもう先には電気が来ていなくて、あるいは通信網が途絶えていて、この書き込みを見てる人が居るかどうかも分からない。だけど、いやむしろだからこそ、返信を待たずにはいられなかった。


 ブラウザの更新ボタンを何度もクリックする。だが、いくら待ってもレスは付かなかった。そしてそのまま私は眠りに落ちしてしまった。


 翌朝、私は雀の鳴き声で目を覚まし、ああ、寝ちゃってたなぁと目をこすって夕べの事を思い出す。

 あ、そうだ! 昨日「会いませんか?」と問いかけてみたんだった……まさかとは思いつつもブラウザの更新ボタンを押してみる。


 画面が一度ホワイトアウトし、すぐに掲示板サイトが更新される。そこには、夕べには無かったふたつのレスが付いていた。


『いいですね、ぜひ会いましょう』

『来てくれますか?是非お願いしたいです』

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