第二話 人食いウィンドウ
「お早うございます」
「おう……おはよう」
私、
無理もない。その場の全員の顔あたりに、その人の願望を詰め込んだ映像が浮かんでいるのだから。例え本人以外には砂嵐映像にしか見えないのだとしても。
それは現場に出ても同じだった。それぞれの工事人や職人、警備員たちも皆モニターを傍らに携えて、きまりが悪そうに誰とも目線を合わせないでいた。
「ま、まぁ仕事だ仕事。ヘルメットの着用を忘れるなよー」
営業と現場監督を兼ねている私としては、とりあえずモニターの事は後にしてもらって、仕事をこなしてもらわないと困るので皆にそうハッパをかける。男なら仕事をしてりゃ余計な事は忘れられるもんだ。というか作業中にコレに気を取られてケガでもしたら一大事だし、ここは忘れて貰うしなかい。
「はーい」
「ウィッス!」
「そうじゃな」
皆もそう思ったのか、のろのろと己の担当部署に散って行く。やれやれ、本当に何なんだろうな、この画面は。
現場が動き出したのを確認して、私は車で別の現場の施主様の所に打ち合わせに行く。新築の内装や外構をどうするか、予算に合わせての提案を掲示し、最終的な完成予想図を決める為だ。
「なんだ? この時間にしては道が空いてるな」
工事人の朝は早い。なので今はまだ通勤ラッシュに引っかかる時間のハズなのだが、道はまるで休日の朝のように空いていた。徒歩や自転車で通学する学生の姿も心なしか少なく思えた。もちろんと言うか、彼らにも皆モニターがくっついているのだが。
「吉田さーん、おはようございます、おられますかー?」
アポを取っていた施主様の家に到着してインターホンを鳴らすも返事がない。なので声を出して呼び掛けてみるが、やはり反応は無かった。
仕方ないのでドアをそっと引いてみると、カギはかかっていなかった。ありゃま、不用心ですなと思いつつ、玄関内へと踏み込んでもう一度声を……
「あ……!」
思わず声が出た。玄関から廊下に続く空間に、ひとつのウィンドウが浮いていたのだ。私や家族や現場の皆のそれとは違い、その大きさはスマホの横倒し画面よりやや大きい程度だ。そして何よりその周辺には誰も居ない……これは私らのモニターとは違う何かなのだろうか。
その画面を覗き込む。そこに映っていたのは――
今日、打ち合わせをするはずの施主様の奥さんだった。彼女はアラブ系のお金持ちそうな男性に囲まれ、装飾が施されたイスに座って煙草をくゆらせていた。
周囲には大勢の者が彼女に跪き、半裸の若い男性が左右から羽根団扇で風を送っている。
「もしかして……『入った』、のか?」
朝、娘がネットで調べ、自分が実践しようとしたことを思い出す。憧れの金髪美女に手を握られ、胸の谷間に埋められて誘惑され。もう少しで画面の中に飛び込むところだった。
そして一度入ったら二度と出られない予感がしていた。その答えがこの小さな画面なのか……体が抜けられないほど小さな隙間が残り、しかもそこから本人の性癖や願望が丸見えになっているじゃないか!
「吉田さん! 奥様が、奥様が大変です……っ!」
家の中に上がり込み、声のトーンを上げて主人を呼ぼうとして、絶句した。目の前のリビングには三つの小さなモニターが、目の高さに浮かんでいたからだ。テーブルには朝食の皿が下げられもせず、冷めたコーヒーの残りが4つ並んでいる。
「吉田……さん、良治君、サキちゃん」
それぞれのモニターの中には主人と、息子さんと、娘さんが、おそらくは彼らの望む世界の中にいた。主人はまるでお城のような立派な家を建て、高級車にもたれてご満悦の表情だ。思春期の息子さんは同い年くらいの美少女達にキスの嵐を受け、顔じゅうがキスマークで埋まっていた。娘さんは美しい湖のほとりで、少女漫画のような顔をした美青年にお姫様抱っこをされて甘えていた。
宙に浮かぶ小さなモニターに声をかける。だが彼らからも、その世界の住人からも反応はなく、その世界の外から見られている事すら気づかない。彼らは画面の中の自分の望む世界に赴き、そして戻ってこれなくなった事を気にも留めていなさそうだ。
「……なんて、こった」
この家族の新築の契約を取るために何度足を運んだか分からない。子供にお土産を買ってきて仲良くなり、材料メーカーの仕入れ先にもギリギリの値段交渉をしてようやく契約にこぎつけられると思っていたのに、全てがご破算になってしまった、のか?
約束の時間の一時間後まで待ってみたが、彼らが戻ってくる気配は皆無だった。仕方がないので一度引き返して現場に戻る事にする。途中コンビニに寄り、人数分のジュースを差し入れ用に購入して現場に戻って来た。
工事は、全く進んでいなかった。
現場には交通誘導の警備員以外、誰も居なかった。代わりにそこかしこにスマホ大のウインドウが、空しく浮かんでいた。
「そんな……そんな!」
持っていたジュース入りの袋をがらん、と落とす。
そりゃそうだ。今は真夏なんだ、このキツい炎天下で現場労働をするのと、自分の理想の世界に行って楽しく暮らすのと、どちらを取るかなんて分かり切っているじゃないか。
「と、とにかく……今日はもう無理だな」
落としたジュースを拾い、道路に面した場所で交通整理をしている警備員の所に向かう。角を曲がってジュース片手に彼を視認した時、私は今日何度目かの絶句をする。
警備員の兄さんが、モニターに上半身を突っ込んで足を折り曲げ、枠の内側にクツをかけて、その中に飛び込んで行ったのだ。
同時に大きかった彼のモニターがすすす、と縮小化し、出入り不可能なサイズに固定化された。そして砂嵐の映像だった画面がぱっ、と切り替わる。
彼は豪華な屋敷のプールサイドで、水着の美女たちと戯れていた。
「なんだよ……せめてジュースくらい飲んで行けよ」
分かっている。彼の望む世界なら、彼が欲すればビールでもワインでも飲み放題だろう、こんなコンビニのジュースなんかじゃ引き留めるなんてとても無理なんだ。
失意の内に帰社する。まだ昼過ぎの時間だが、監督するべき現場も営業をかけるお客様ももうこの世にいないんじゃ、外でやれる事は無い。
社長も、専務も、事務員さんも、そこにはいなかった。代わりにそれぞれのデスクの上に、小さなウィンドウを残して。
ソファーの横、点けっぱなしのテレビには、『画面の中に決して入らないでください』というテロップだけが漂っていた……朝一で熱弁をふるっていたニュースキャスターや解説者の座るべき席にも、もう誰も居なかった。
人間はこの窓に、まるでゴキブリホイホイのように、次々と『食われて』行っているんだ! その先にある『願望』という魅力的なエサに引き寄せられて。
もう仕事は無理だ。そう思った時、私に電流が走った。
「
そうだ家族だ! どうしてそれを失念していた、この異常事態に何より守らなければいけない物があるじゃないか!!
車に飛び込んで急発進、運転しながらスマホを操作して妻を呼び出す。交通違反? ああキップなんざいくらでも切るがいいさ! 今はとにかく妻と娘だ……頼む、自分に、欲に負けるんじゃないぞ!
◇ ◇ ◇
家のリビングで、がっくりとヒザを付く。
宙に浮いたふたつの小さなモニターの下に、妻の字で手紙が一通ぽつんと置かれていた。
『あなた、ごめんなさい』
そう最初に書かれていた手紙には、パートの仕事が人手不足で工場のラインが回らず休みになった事。娘の学校でも次々と自分の画面に飛び込む者が続出した事、そして娘もまた妻に『お母さん、私も行くね』と電話で言葉を残して居なくなってしまった事。学校まで飛んで行って、いくつものモニターの中から娘のモノを見つけ出し持ち帰った事。その中の娘がもう何年も見せなかったような幸せな表情をしていることが記されていた。
『貴方に不満があるわけじゃないわ、でも私が本当に望むのは、この中にしか無いの』
手紙から顔を上げる。妻のモニターに移っていたのは、数えきれないほどの猫に囲まれてご満悦の妻の姿だった。私が猫アレルギーだったばかりに猫が飼えず、幾多の猫グッズで心を慰めていた妻の理想が、そこにあった。
娘の方のモニターは見なかった。もう高校生だし、父親に自分のプライバシーを見られたくは無いだろう。それが父親としてのせめてもの威厳だと思って。
この日、世界中で20億もの人類がこのウィンドウ、私に言わせれば「人間ホイホイ」の中に消えて行った。
そして私、
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