第3話

 あおはもういないと分かっていてもわたしは、今日もいつもの談話室に向かう。何故なら、わたしには他に居場所が無いからだ。元々友達と呼べる人もいなかったが、連日の振る舞いのせいでわたしは明らかに他の利用者に避けられるようになっていた。スタッフすらも腫れ物に触るようにわたしに接してきた。


 わたしが車椅子を漕いで談話室に入ると同時に、先に談笑していた数人は水を打ったように静かになった。

 わたしはいつもの様にマガジンラックで手に取った雑誌や新聞を開く。そして、真っ先にあおを探してしまう。あおがいて欲しいと祈りながら雑誌を開くけれど、そこにあったのはやっぱりばつ印だった。わたしはため息をついて目を閉じた。


「森山さん、最近何ありました?」

 

 声がしてはっと目を開けると、わたしの傍に加賀美さんがしゃがみ込んでいた。わたしの顔を覗き込んでいる。スタッフがわたしを腫れ物扱いする中で、加賀美さんだけは前と何も変わらなかった。ちょっと鈍臭いところのある彼女だから、わたしの様子も気にしないのかもしれない。わたしはそのことにも心がざわざわと泡立った。まとめ上げた栗色のパーマの毛先がふわりと揺れた。


「前はすごく楽しそうににこにこして雑誌読まれてたのに、最近なんか暗いような気がして。なんかありました?」


 わたしは無言で首を振った。加賀美さんは心配そうに眉を寄せた。


「いえ、絶対何かありましたよね? なにかお悩みがあれば私に言ってくださいね! 私、何でも聞きますから!」


 そう言って加賀美さんは微笑み、わたしの肩にぽん、と手を置いた。いつもの、空気の読めない彼女だ。わたしはやめて欲しかった。加賀美さんに相談が必要な悩みなんてない。小鳥を探すことだけが楽しみの老婆の気持ちなんて、若さと未来に溢れた加賀美さんには絶対に分からない。わたしは一瞬で沸騰した感情が爆発した。わたしが気がつくと大きな声を上げていた。


「ほっといてちょうだい!」


 わたしの上げた声の大きさに、談話室に数人いた利用者が一斉にこちらを見るのが分かった。加賀美さんはびくりと驚いて肩を震わせ、すぐさま「すみませんでした!」と深くお辞儀をした。

 わたしの声を聞きつけたらしい先輩のスタッフがかけてきて談話室を覗き込み、加賀美さん、と手招きして呼んだ。加賀美さんはもう一度私に頭を下げると先輩の元へ小走りで向かった。先輩は加賀美さんがが何をしたのかと問いただしているようだ。

 加賀美さんは廊下で申し訳なさそうに先輩にぺこぺこと頭を下げていた。

 加賀美さんの頬にきらりと涙が光った。

 それを見たわたしは、心臓の鼓動が一気に早くなり、頭皮から変な汗がでてじわりと熱くなった。違う、加賀美さんは優しかっただけだ。悪いのは全部わたしなのだ。


 わたしは咄嗟に車椅子を漕ぎ出そうと車輪に手をかけた。加賀美さんに謝らなくては。いくら引っ込み思案だったとしても、これはわたしがきちんと謝らなければいけない。わたしが加賀美さんの元へ近寄ろうと腕に力を入れたその瞬間だった。

 急に鼓動が太鼓のように頭に鳴り響いた。まるでわたしの心臓が頭の中に移動したようにどくんどくんと脈打っている。わたしは驚いて思わず、頭を抱えて前屈みになる。世界がぐるぐると回って、すごい速さで視界が黒に塗りつぶされていく。

 体制が保てない。前屈みの姿勢で、車椅子から身体が離れて崩れていく。ごとりと体が床に倒れる。


「森山さん!」


 加賀美さんの声だ。わたしの、ほんの少し残った視界の隙間に、涙を頬に伝わせたまま駆けてくる加賀美さんが映る。

 ばたばたと彼女の足音が迫ってくる。わたしの意識はそこで途切れてしまった。

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