『密室が崩れるとき ──クイズと共に考える人類とロボット共栄の未来──』

ロボット工学者からのアドバイス

「浦添研究室」とプレートが掲げられた部屋のドアをノックしたが返事はなかった。文学部の教授の研究室とは違って、廊下から推測するに、ずいぶんと大きな部屋らしい。中からは何かの駆動音のようなものが聞こえる。

 引き返そうと思ったが、面倒事を後回しにするなという我が家の家訓に忠実に従い、そっとドアを開けた。デスクや様々な機材を収めたスチールラックの置かれた手前には浦添教授はいなかった。だが、その奥の、リノリウムの床が広がるエリアにその背中が見えた。なにやら床に物が雑多に置かれている。それをテーブルの縁に腰かけて見守っているようだ。

「あの、すみません……」

 浦添教授の背中に声をかけると、彼は振り返りもせずに、

「あー、重量を推定しても意味がないかもしれないな……。割高になるかもしれないけど、センサー積んでみようか」

「いや、あの、ぼく、文学部なんでよく分かりません」

 パッと振り返ったのは、銀縁眼鏡をかけたロマンスグレーの男だった。お誂え向きに白衣を着て教授然としている。その辺の通行人を捕まえて聞いてみても、彼を教授と言うだろう。

「何か用かな?」

 理知的な瞳に真っ直ぐ見つめられると、どう切り出したものかと悩んでしまう。どうやら立て込んでいる状況のところに、ぼくのバカみたいなお願いをぶち込むのはちょっと気が引ける。

「何を持っているんだい? レポート?」

 浦添教授の目がぼくの胸元に向けられた。そうだった、ずっと原稿を握りしめてここまで来たんだった。

「あ、ああ、すみません……ミス研の──クイズ同好会の企画で……」

 思わずウソを言ってしまった。クイズ同好会の顧問なら、半分クイズ同好会の物みたいなこの原稿も手渡す口実ができるかもしれないと咄嗟に思ったのだ。

「何かやってるのかい?」

 浦添教授はテーブルの縁から腰を上げてぼくの手から原稿を取った。

「『神の領域を侵すもの ──クイズで解き明かすロボット工学者の殺人──』……? なんだ、私を紙の上で殺したのかい?」

「いえいえ! そういう訳ではなく、新島先輩に勧められて犯人当てクイズを作ったんです」

「ほう」

 浦添教授は興味深そうに目を光らせた。

「で、どういうわけか、『ライターズ・マガジン』に掲載する流れになってしまって、自分自身でも詳しくない分野について書いてしまったので、中身の考証が必要だということになって……」

「それで、私のもとに来たという訳か」

「そういうわけなんです」

 どうやら浦添教授はまともな人間のようだ。彼は原稿のページをめくってうなずいた。

「なるほど、ロボットを登場させているわけか。『ライターズ・マガジン』は、新人作家ん登竜門とも言われているサイトじゃないか。どうしてまたそんなところに掲載する運びになったんだい?」

「それが、新島先輩の知り合いに富村さんという方がいて……」

「富村……?」

 急に浦添教授の眼光が鋭くなる。

「ご存じなんですか?」

「ああ、思い出した。ラットを使った実験を中止せよとこの大学構内でデモをおっぱじめた学生だ。他の教授たちが迷惑していた」

 あの人、学生の頃からああだったのか。

「どうやら君は色々な意味で人に恵まれているらしい」

「そうみたいですね……」

「まあ、いいだろう。目を通してみよう」

「いいんですか?」

「ちょうど行き詰っていたところだ。息抜きも必要さ」

 そう言って浦添教授はぼくにウィンクをした。ナチュラルにキザな人なのだろうか。


 研究室のデスクのあるスペースで椅子に座って浦添教授が原稿を黙読するのを待った。緊張の瞬間である。場合によっては、ロボット部分の書き直しもあり得る。まあ、この人ならば適切なアドバイスをくれるだろう。あの頭のおかしな人たちよりはよっぽど信頼できそうだ。

 しばらくして、浦添教授はデスクの上にそっと原稿を置いた。

「どうでしたか……?」

「まず、海野京子はクソだ」

「……はい?」

「人が丹精込めて作り上げたロボットをぶち壊すとは、言語道断!」

 デスクに拳を叩きつけて、明後日の方向を睨みつける。きっとその先に京子がいるに違いない。

「結局、カネに目が眩んでブタ箱行きとは自業自得」

 急に人が変わったように口が悪くなった。ロボットに対する重すぎる愛が垣間見える。

「でもまあ、これは作り話なのでね……」

 ぼくが宥めるように言ったが、浦添教授は眼鏡の奥の目でぼくを射るように見た。

「ロボットが人を殺すというモチーフは、産業革命以降、創作世界に爆発的に広がっていった。それはまさに今の我々がAIに恐れをなしているのと全く同じ理由によると考えられる。100年以上の歴史を持つ近現代の機械との適切な向き合い方を、人間は未だに掴めていないのだ。君のこのクイズは、それを体現したものといっていいだろう」

「実は小説なんですけどね……」

「ロボットが人を殺すという物語は、人類の進歩における最大の障害物であるといってもいい。それほどまでに蔓延している。ロボットに対する恐怖を醸成させてきた結果、人間はAIを拒絶しようとしているのだ」

 なんだか嫌な予感がしてきた。

「つまり、時代はすでにロボットやAIと人類との適切な共存を探るタームに来ているのだ。それがなければ、今後の人類の発展はないといっても過言ではない。君には、その未来の一端を担う責務がある」

「いきなりそんな大役を……?」

「君自身もこの中で書いているではないか。『職場や家庭で人間と共存できるロボット』と。君も潜在意識の中で望んでいるのだよ、人とロボットとの共栄を。君は若い。君が年齢を重ねた社会で、人はロボットやAIと当たり前のように肩を並べているはずなのだ。それを目撃する最初の世代として、君はその第一歩をここに刻むべきなのだ」

「ええと、それはつまりどういうことでしょうか……?」

「ロボットが人を殺すという事件の真相はいただけない」

「ああ……、やっぱり……」

 どうしてぼくはこうもまわりの人間に恵まれているのか……。そんなことを嘆いても仕方がないことは分かっている。なにしろ、入口があの新島先輩なのだから、その先の通路もそれなりの場所に続いているのは必然なのだろう。浦添教授は熱のこもった手のひらでデスクの上のぼくの原稿を叩いた。

「そもそも、このSR-prototype42には生物を認識するアルゴリズムが組み込まれていたはずだ。それならば、ロボット工学者である故仙石廉次郎氏の頭の中にはアイザック・アシモフの『ロボット3原則』があったはずで、そうでなくとも、人間との共存を目指したロボットを開発しているのであれば、人間への危害を加えないよう最大限の工夫を凝らしていなければならない」

「すみません、その『ロボット3原則』というのは……?」

 浦添教授が目を丸くする。すぐに立ち上がって、壁際のホワイトボードを引き寄せて、マーカーで殴り書きを始めた。


第1条

ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第2条

ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第1条に反する場合は、この限りでない。

第3条

ロボットは、前掲第1条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


「これが『ロボット3原則』だ」

 どうやら諳んじているらしい。何も見ずに一気に書き上げたが、文字が汚すぎて解読するのに苦労した。

「むろん、何をもって『危害』を定義するのか、どのようにしてどれだけの時間的範囲の中での危害を予測するのかというように、様々な問題はある。だが、これがロボット工学に多大な影響を与えたことは事実だ。つまり、こうした歴史的背景に加え、訴訟問題に発展するような、主に人間に対する危害については相当に注意深く扱われているはずなのだ」

「なるほど……。分かりやすすぎて頭が痛くなってきました……」

 水たまりに足を突っ込んだと思ったら、そこのない沼だったような感覚に襲われて、ぼくは今すぐにこの場を逃げ出したくなった。実に面倒な分野に立ち入って、実に面倒な人の懐に飛び込んでしまったようだ。

 浦添教授はぼくを指さした。

「仮に、ロボットが私のように説明をして、君が頭痛を訴えたとしよう。それはもはや『危害』だといえるのではないか?」

「確かにそうですね。自覚はあるんですね」

「どちらにせよ、設計の段階で人への危害を最小限に抑えるという理念はなければならず、それがなければ人と共存するロボットを作る工学者と名乗るべきではない」

 あまりにも圧力のある熱に、ぼくは押し負けるしかなかった。はじめから勝とうと思っていたわけではないが、狂気じみた眼差しを前にすれば、従わざるを得ない。

「となると、犯人がまた変わることに……」

「犯人は海野京子に違いない」

「なんかすごく私怨が混じっている気がしますけど……」

「もともと海野京子は故仙石廉次郎氏の財産を狙っていた。ならば、殺害の動機はあったわけで、いつでもこのような出来事は起こり得たといえる。実に整合性のある結末だといえるだろう」

「それだと、犯人がすぐに分かっちゃう気がするんですけど、大丈夫ですかね?」

「海野京子にとって、犯行が不可能のように見える状況を作ればいいだけだ。つまり、ハウダニットだな」

「ああ……、それはまた面倒──いや、面白いアイディアですね」

「そして、海野京子は最後には惨めに死んでもらおう。他人の財産を尊重しないのは、道義にもとる。その報いは受けてもらう。それに、別宇宙では大切なロボットを破壊したのだ。決して見過ごしてはならん」

「あ、そこまでやっちゃいますか」

 大学教授とは思えない提案だが、逆らえばぼくも京子のようになるような気がして乗り気の自分を演じることにした。

「それにしても、クイズというものの将来の在り方というものも興味のあることだね」

 何やら浦添教授の口調が穏やかになってきた。ようやく我に返ったのだろうか、このマッドサイエンティストは。

「というと?」

「野崎まどの『know』という小説を知っているかね?」

「いや、すみません、知らないです」

「その小説の世界では、既知の知識は全ての人間が共有している。いわゆる集合的無意識のようにして存在する知識にいつでもどこでも誰でもアクセスすることができる。『知らない』ということがないという知識格差のない社会が実現しているんだ。いずれ現実の世界もいつでもどこでも誰でもが知識にアクセスできるようになるだろう。たとえクイズを出されたとしても、全ての人間が即答できてしまう。そのような世界で、クイズとはどのような形をとり、どのように扱われるだろうかということに興味が湧いてしまってね。君もクイズ同好会のメンバーなら、私の言いたいことが分かるだろう」

「クイズ同好会のメンバーなら、そうですね」

「謎解きも、膨大な過去のデータを取り込んだ電子頭脳が計算によって答えを導き出すだろう。人間の知的好奇心を満たすのは、〝既知の最前線〟にしかなくなってしまうかもしれない。つまり、そういう問いかけに『エウレカ』のメンバーたちも直面しているはずなんだ」

 ぼくはスマホを取り出してメモ帳を開いた。

「ええと……、『クイズとは何かを考える』、と」

 なぜ片手間に楽しめるはずだったミステリにこんな哲学的な問いを放り込まなければならないのか、甚だ疑問ではあったが、目の前のマッドサイエンティストを前にしてはそんな様子などおくびにも出してはならないとぼくの生物的な本能が告げていた。

「ついでに、ヒントはパートごとに末尾にまとめるのがいいだろうね。ヒントを使わずに問題に答えたいという人間は少なくないからね」

「確かに。初めて参考になる意見をありがとうございます」

 嫌味を込めたつもりだったが、浦添教授には届いていなかったらしい。人間は案外、人の話を聞いていないのかもしれない。

「それにしても、不思議な話だね」

「クイズがですか?」

「いや、君のクイズの中に出てくるSR-prototype42のことだよ」

「え、ぼくの小説に出てくるロボットですか?」

 ぼくがわざわざ訂正したことに気づきもせず、浦添教授はデスク鵺の原稿を取り上げてめくり始めた。

「SR-prototype42は目の前にある物が障害物なのかそうでないのかを見分けると書かれているね。私の研究テーマのひとつが、まさに障害物か否かを判断し、適切に処理できるかというのがあるんだよ。例えば、現在の掃除ロボットは床に置かれたものを避けながら掃除をする。だが、人間は床に置かれたものをどかしながら掃除をするものだ。人間はどのようにして目の前にある物を障害物とそうでないもの、あるいは、動かしてもいいものとそうでないものを区別しているのか?」

「確かに不思議ですね~」

 浦添教授がぼくに答えを求めていたのは分かるが、それに気づかない振りをして相槌を打った。

「君と私は何か共通するものの見方を持っているのかもしれないね」

「そうですかね? 教授と一緒にしないでほしいですけどね……」

「なんだって?」

「あ、いや、教授のようなすごい人と比べられるような人間じゃないんで、ぼくは」

 浦添教授は納得したようにうなずくと、ぼくに原稿を寄越した。

「とにかく、さきほど私が指摘した部分を修正してみるといい。それから、ロボットに関わる部分は別に詳細を記さずともいいと私は思うよ。それっぽく見せるだけでもいい。その辺りの見せ方をおざなりにして、科学的な知識ばかりに傾倒していった結果、SFというジャンル自体が力を失ってしまったのだからね」

「はあ、そういうものですかね……」

「修正をしたらまた見せに来なさい。私はほとんどここにいるから、遠慮しなくていい」

 浦添教授に形だけの礼を言って、研究室を後にした。

 ──また厄介な修正が入ってしまった。

 主な修正点は次の5点だ。


・仙石廉次郎を殺害した犯人をSR-prototype42から海野京子に変更

・ロボットを破壊したり、悪者にしてはならない

・海野京子には犯行が不可能なように見せる

・海野京子は最後には惨めに死ぬ

・エウレカのメンバーがクイズというものについて考える


 特に、3つ目の修正ポイントは困難を極めそうだ。あの教授、サラッとこんな難題を提示してきやがった。こうなると、不可能状況を打破するトリックを考えなければならないではないか。

 スマホが鳴る。富村からのメッセージだ。

〈原稿データはいつ頃送れる?〉

 ぼくは溜息をついて返信した。

〈ちょっと修正するところが出たので、それが終わったら送ります〉

 歩き出そうとしたタイミングでまたスマホが鳴る。また富村だ。

〈いつ修正が終わる?〉

 ぼくは暗澹たる気持ちでメッセージを返していた。

〈4日以内に

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