リライトの呪縛
富村のアドバイスは想像していた以上に重いパンチだった。
ぼくは殺人の構造そのものを見直さざるを得ず、『レザークラフターの殺人』で成立していたほとんどを捨てなければならなかったのだ。こんなふざけた──いや、ありがたいアドバイスを形にするのはかなり骨が折れたが、それなりの分量を前回から流用することにして時間の短縮を図った。その甲斐もあって、富村との約束の日の前日にはなんとかリライトを終えることができた。
タイトルは『神の領域を侵すもの ──クイズで解き明かすロボット工学者の殺人──』……。新島先輩に見せることを想定すると、どうしてもタイトルが長くなってしまった。イカれた二人の先輩を持つと苦労するというのを体現したようで、ここにはぼくの自己主張が多分に含まれている。
〈13時に梟亭に〉
簡潔なメッセージが来たのは、ちょうどぼくが『神の領域を侵すもの ──クイズで解き明かすロボット工学者の殺人──』を書き終えたところだった。まるで見られていたんじゃないかというタイミングで空恐ろしかったが、気のせいだと信じることにした。
梟亭はぼくが通う大学のある街に建つ隠れ家的な喫茶店だ。豊富なメニューと低価格を実現するぼくら学生の味方でもある。時間通りに店に入ると、マスターの「いらっしゃい」の声に反応したかのように、奥のボックス席から手が挙がった。なにやら口をもぐもぐさせている富村が立ち上がってこちらを見ている。ぼくはスマホを取り出して時間を確認しながらボックス席へ向かった。
「すみません、遅れましたか?」
「いいのよ。早めに来て腹ごしらえしてただけだから」
テーブルの上には、クラブハウスサンドとカルボナーラとパンケーキが乗っている。どれも手をつけた跡がある。大食いだ。
「あなたも頼んでいいわよ。奢るわ」
「あ、ホントですか」
何かしらの対価はもらいたいと思っていたところだ。ぼくは躊躇わずに大盛ナポリタンを注文した。
「それで、リライトは済んだの?」
「できましたよ」
ナポリタンを待つ間、富村に原稿を渡して反応を見守る。
ぼくがナポリタンを平らげた頃に富村も原稿を読み終えたようだった。
「見事に動物を守ってくれたわね」
「それはどうも」
卓上の紙ナプキンで口元を拭きながら富村を観察する。どうやらお気に召したようだ。
「私がお世話になってる出版社がネット上の書き手を募って自社運営サイトで作品を掲載してるの。作品のPVや反響によってはプロジェクトを始動させると言ってたわよ。あなたの作品も掲載して見たらどう?」
「えっ、マジで言ってますか……?」
そういうチャレンジの機会があるのはありがたいことだ。だが、そこはぼく自身の力で挑戦すべきであって、こんなすっぴんも分からないような厚化粧で出場すべきではないのだ。
「うん、編集長も興味あるみたい」
「え?! どういうことですか?」
「メッセージを送ってみたらすぐ返信が来たわよ」
しれっと言って、富村はスマホの画面を掲げた。エッフェル塔をアイコンにしているどこかの編集長が〈面白そう!〉とコメントしているのが見える。他人事だと思って呑気な奴だ。
「そ、そうですね……。じゃあ、どこに出しても恥ずかしくないように、手直ししてみます」
「そうね。ロボットのくだりなんかは私はよく分からないから、ちゃんと調べてみたらいいわ。じゃあ、できたらデータを送って。私の方で編集長に渡しておくから」
「分かりました」
思わず快諾してしまった。人間関係に波風を立たせたくないばかりに……。
腹が満たされたものの、そんなことを忘れさせられるくらいの荷物を背負わされて、ぼくは梟亭を後にした。バッグの中の原稿が重みを増したような気がする。
紙細工をコンクリートで何重にも固めたようなこの小説を白日の下に晒していいものだろうか? 街を歩き迷うぼくのもとに富村からのメッセージが着信する。
〈編集長がなるべく早く読みたいって言ってるわよ〉
……ぼくは溜息をついて、覚悟を決めるしかなかった。クソが。
あてどなく歩いていたぼくは知らないうちに大学にやって来ていた。
「よう」
不意に声をかけられて振り向くと、紙袋を提げた新島先輩が立っていた。
「また間の悪いところに……」
「ん?」
「いや、何でもないです。帰省されてたんですよね?」
「ああ、ちょっと部室寄っておこうと思ってな」
そう言って新島先輩は持っていた紙袋を軽く持ち上げた。
「そんなことより、富村先輩から聞いたぞ。あのクイズの件。『ライターズ・マガジン』に出すんだろ?」
まずい。あの女──もとい、富村に外堀を埋められている……。
「そうなんです。自分でもよく分からないうちに……」
「富村先輩なんて言ってた? 見せたんだろ、クイズ?」
「クイズというか小説ですけど、見せましたよ。それで、若干手直しすることになって、リライトしたものをついさっき見てもらってたんです」
新島先輩は親指で学生館への道を先導する。
「じゃあ、早速見せてもらおうか」
帰りたかったが、ホッとした瞬間でもある。新島先輩対策としてクイズ要素を残しておいてよかった。
部室には自然と部員の定位置というのが出来上がっている。新島先輩は窓際で紫外線を受けてボロボロになった1人掛けの革のソファに収まるのが常だった。そのソファの中から、「なるほどね」という声が聞こえる。先輩に貰った恐ろしく歯にくっつくという笹飴を口蓋に貼りつけてゆっくりと舐め溶かしていたぼくは、恐る恐る感想を尋ねてみた。
「どうでしたか?」
「舵を思いきり切ったなぁ」
「切らされたというか、氷山を見つけた気持ちが分かりました」
ぼくは富村のアドバイスについて簡単に説明をした。
「ああ、富村先輩は自然を愛する人だからな」
「そのせいで──じゃなくて、そのおかげで被害者をロボット工学者に変えることになったんです。必然的に犯人も変えざるを得なくなって」
「まあ、いいんじゃないか? クイズもバリエーションがあってなかなかいいと思うよ」
とりあえず、ここでまたアホみたいなアドバイスを受け取るハメには陥らずに済んだようだった。
「ただな、『ライターズ・マガジン』に掲載するとなると、文章としてはちゃんと考証ができていた方がいいと思うんだ」
珍しくまともなことを言う先輩にぼくも同意を示した。
「そうなんですよね。ロボットのくだりはぼくもちょっと調べただけなので、ここを突っ込まれると痛いというか……」
「見てもらうのにうってつけの人がいるじゃないか。
「ええと……、大丈夫な人ですか?」
「大丈夫もなにも、うちの大学の理工学部の教授だよ。ロボットの研究してるんだけど、知らない?」
うちの大学は総合大学を謳っていて、同じキャンパスに様々な分野が犇めき合っている。理工学部の建物には近づいたことはない。ぼくには無縁だからだ。
「クイズ同好会の顧問なんだぞ。まあ、一度くらいしか会ったことないが」
「ああ、そうなんですか。ここミス研ですけどね」
「とにかく、浦添先生に会ってみるといい。夏季休暇中も研究室にいるって話だ」
リライトの呪縛ともいうべき連鎖反応から逃れる術を見つけられないまま、ぼくは学生館を出て浦添研究室を目指すことにした。
もしかすると、ぼくの夏休みはこれに費やされて終わってしまうのかもしれない。ぼくにも地方に実家があればよかったのに。
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