『神の領域を侵すもの ──クイズで解き明かすロボット工学者の殺人──』

環境保護団体幹部からのアドバイス

「聞いたわよ。新島がこんな話を寄越すなんて、珍しいわね」

 富村美津みづは黒髪のショートカットを揺らせて、デスクの向こうに腰を下ろすと、ぼくに椅子を勧めた。「グリーン・レガシー」の事務所で個室を与えられている富村は、この団体の中でかなりの地位を得ているのだと考えられる。

「すみません、お忙しいところ……」

「いいのよ。ちょっとした息抜きも必要だからね」

 壁には、「SAVE ANIMALS」とでかでかと書かれたポスターや、「守れ、命を。」というキャッチコピーの踊るフライヤーなどが溢れている。ちょっと物々しい雰囲気も漂っているように感じる。

「グリーン・レガシーはね」

 ぼくの視線に気づいたのか、富村が話を始めた。

「この素晴らしい地球環境を守る活動を行っているの。昨今の人間活動が地球温暖化を──」

 これはまたえらいところの本丸に飛び込んでしまったらしい。

「それで、新島が言っていたクイズっていうのは?」

 怒涛の環境問題の演説を気絶して乗り切ったぼくの耳に富村の声が飛んできた。

「ああ、まあ、クイズとはちょっと違うんですけど……」

 ぼくはバッグの中から原稿を取り出して手渡した。2日前に新島先輩が太鼓判を押したものだ。なんだか内輪から外に出してしまうことにちょっとした後ろめたさのようなものを感じる。

「『クイズで解く! レザークラフターの殺人』……? ミステリなの?」

 彼女の目にちらりと火が点る。

「まあ、そうですね」

「あなたもクイズが好きなの?」

「好きというより、新島先輩のアドバイスを最大限に取り入れたというか……」

 富村は肩を落とした。

「あいつ、まだクイズに取り憑かれてるのね……」

 ようやくまともな感性の持ち主に出会ったような気がして、ぼくは声を上げた。

「そうなんです! なので、その中のクイズ要素を……」

 なくして下さい、と言おうとしてぼくは急ブレーキをかけた。

 富村に貰ったアドバイスを取り入れてリライトしたものを新島先輩に読ませる可能性があるということに思い至ったのだ。もしクイズ要素を根絶したものを彼が読んだ時、ぼくに逆恨みの矛先を向けるかもしれない。それは非常に面倒臭い。

 富村にとっては後輩でも、ぼくにとっては先輩なのだ。上からも下からも意見を聞き入れなければならないという中間管理職みたいな苦しみ。ぼくにとっての最善策は新島先輩のアイディアも富村のアイディアもいい具合に入れ込むことだ。

「まあ、とりあえず、読ませてもらうわね」

 頼む。まともな感性でアドバイスを寄越す人間であってくれ……!


 長い溜息と共に原稿をデスクの上にゆっくりと置いた富村は、ぼくをじっと見つめた。なにやら雲行きが怪しそうだ。

「クイズが多すぎて、展開の邪魔をしているわね」

「やっぱりそうですよね」

「それに、捜査現場にクイズ好きがぶら下がってるというのも意味が分からない」

「ぼくもそう思います。なので、そこの部分は大幅に削減──」

「ただ、その部分はこの作品の特色として目を瞑るわ。エッジが効いているに越したことはないもの」

「……え?」

 意味の分からない言葉に、ぼくは唇を縫いつけられたようになってしまった。

「なによりも、私として許せないことがあるのよ」

 冷静を装った表情の裏側にものすごい感情の渦巻いたものが垣間見えて、ぼくは思わず居住まいを正してしまった。

「な、なんでしょうか……?」

「ニホンカモシカが人を殺して、殺処分されたというところよ!」

 富村はデスクに置いたぼくの原稿に平手を打ち下ろした。バンとでかい音がしてデスクに置かれた動物のフィギュア2、3体がゴトリと倒れたが、富村はそんなことを意にも介さずにまくし立てた。

「まず、ニホンカモシカは特別天然記念物なのよ。確かに、この中でも書かれている通り、数年前に罠にかかったニホンカモシカの角に突かれて命を落とした人がいたわ。その時に、そのニホンカモシカは殺処分されたの。私たちグリーン・レガシーはその時に該当自治体に正式な抗議文を送った経緯があるわ。いついかなる場合でも、動物に罪はない。特別天然記念物であろうがなかろうが、優先的に保護すべきなのよ。もちろん、動物だけじゃない。人は自然を破壊しすぎた。そのツケがすでに現在の地球環境を侵しているということを誰もが認識しているはずなのに、行動に起こさない。これは由々しき事態だと言わざるを得ないわ」

 これはひどい地雷を踏んでしまったらしい。いや、この事務所に足を踏み入れた瞬間に嫌な予感はしていたのだ。

「そもそも、この仙石廉次郎という人間は山の自然を切り崩して、そこに工房を建てているわね。そうした自然破壊行為を看過することはできないわ。そういう意味で言えば、この男が命を落としたのは自然からの警告だったと言える。それは自業自得というものよ」

 この人はもしかしたら創作と現実を混同するタイプのSNSでうるさいタイプの人間かもしれない。そんなことは口が裂けても言えないが。

「だいいち、動物を殺して得た革を生業にしている時点で、この男がいかに自然や動物を軽視しているかが分かるわ。私たちグリーン・レガシーは、こうした動物を殺傷して得た製品に関わる企業にも抗議文を送っているの。世の中には、人間のエゴのために命を弄ばれている動物たちがいるということを私たちは理解しなければならないのよ。あなたもそう思うでしょう?」

「はぁ、まあ、そうですね。それは由々しき事態ですよね……」

「そうなのよ! だから、あなたはこれを書き直さなきゃならない!」

 デスク越しにグッと顔を近づけられて、やや充血した目で凝視されれば、ぼくはうなずくことしかできない。

「え、ええと、どの部分を書き直せば……」

「まずは、ニホンカモシカが人を襲うというイメージを抱かれては困るわ。だから、ニホンカモシカが人の命を奪ったという部分を差し替えてもらうわ。そうすれば、必然的に殺処分されることもなくなる」

「あ~……、そこがこの小説のめちゃくちゃメインの部分なんですけど……。真相の核なんですけど大丈夫ですかね?」

「まあ、そこはしょうがないわよ」

 なんとも簡単な一言でぼくが考えた事件の真相が水の泡になってしまった。

「そうなると、誰が容疑者の中から犯人を見繕うことになるんですけど、どうしたらいいですかね?」

「被害者の姉でいいわよ。なんだかいけ好かない奴だし、読者もそれなら最後スッキリするんじゃないかしら」

 人間に対する慈悲はあまりないらしい。

「なるほど……。では、犯人をカモシカから海野京子に……」

「カモシカじゃなくて、ニホンカモシカね。全くの別物だから、同じにしないで。この作品の中でもごっちゃになっていたみたいだから、気をつけなさい」

「す、すみません。ええと、犯人が海野京子になって……。最後の山狩りのシーンもなくなって……。そんなところですかね、変更点は?」

「そんなわけないでしょ!」

 富村は叫ぶ。熱心な指導はありがたいが、ちょっと熱心すぎやしないか?

「仙石廉次郎は動物を殺生した世界で生きている。それは断じて許されないわね」

「つまり、革工芸職人じゃなくなる、と?」

「その通り」

「ということになりますと……、くじりとかの道具もちょっと出すのが難しくなっちゃいますかね」

「そもそも、ニホンカモシカが事件に関わらないんだから、くじりが出てくる必要もなくなるでしょ。それから、工房を山の木を切り拓いて建ててるっていうのも賛同しかねるわね」

「お~、ついに事件の舞台まで変更する感じでしょうか?」

「そのままの舞台なら、もしこの作品が公開された時、あなたの作品に抗議が殺到するかもしれないけれど、それでもいいの?」

「『木を切り拓いて工房を建てるな』ってクレームが来るってことですか? それは嫌ですね……、面倒臭そうだし」

 さきほどまでよりはボルテージがさがった富村は思案を巡らせている。

「いっそのこと、仙石廉次郎は人間社会の象徴みたいな仕事にしてしまえばどうかしら? 自然と正反対の職に就いていたからこそ、神の手によって殺される運命を辿るのよ」

「なんかすごい思想が見え隠れしてる気がしますけど……。例えば、どんなものがありますかね?」

「ロボット工学者でいいんじゃない?」

「これは……、またずいぶんと変わってきますね。さっきまで革工芸職人だったんですけどね」

「あ、分かった。仙石廉次郎は自分が作ったロボットに殺されることにして」

「海野京子犯人説は取り消しということで?」

「自然と正反対の存在が自分の生み出したものによって命を奪われるなんて、実に教訓めいていて素敵じゃない。これで人々が自然との共存の道に目覚めてくれれば私は本望よ」

「ぼくの本望は別にあるんですけど、まあ、分かりました。ええと、犯人が海野京子からロボットに変更、と」

「それとね」

 富村は鼻息荒く言葉を続けた。

「ホットドッグのくだりがあるでしょ。犬の肉が云々という」

「はい、ありますね」

「犬の肉を食べるなんてとんでもないことを文字にしないでほしいわ。警官なんだから、ドーナツかなんかで良いでしょ」

 日本の警官にどんなイメージを抱いているのか知らないが、ぼくは何も言わずにうなずいた。嵐は過ぎ去るのを待つのが賢いのだ。

「そんなところね。それをリライトすれば良い作品になるはずよ」

「リライトというか、もうほぼほぼ作り替えみたいな感じですけどね」

「作家なら編集者の一言に柔軟に対応できるようにしておくべきよ」

「まあ、そうですね。これが作家になって一発目の洗礼だったら、その編集者のこと張り倒してたかもしれないんで、そういう意味ではありがとうございます」

「いいのよ」

 冨浦は倒れた動物のフィギュアをそっと直しながら、ぼくに笑顔を向けてきた。

「これであなたにもグリーン・レガシーの理念が伝わったのだと思うと、嬉しいわ」

「……そうですね、伝わりました」

「早速だけど、何日くらいでリライトできるかしら?」

「1週間くらい頂けるとありがたいんですけど」

「じゃあ、お盆明けの土曜日にここにきてちょうだい」

「わ……かりましたぁ」

 富村と連絡先を交換して、グリーン・レガシーを出たぼくは青空にぎらつく太陽を睨みつけた。

 ──とんでもない夏だ。

 ぼくがすべきことは、富村による以下の要望を取り入れること。


・仙石廉次郎はロボット工学者

・仙石廉次郎を殺したのは彼が作ったロボット

・仙石廉次郎の工房は街中にあった方がいい

・動物や自然に対する最大限の尊重を示す


 しかも、それだけではない。新島先輩の提案も活かしておかねばならない。つまり、「エウレカ」のメンバーも引き続き登場させなければならないし、随所でクイズを出題し、ヒントも併記しなければならないわけだ。

 ぼくのもともとのミステリはどこに行ってしまったんだろうか?

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