問題編① 人工の白亜の箱

「チェコの作家で、『ロボット』という言葉を──」

 さわらPこと早良拳語が出題した問題に、菅貴俊が手に持った電池式の早押しボタンを勢い良く押し込んだ。ピコン、と小気味よい音が走る車内を満たした。

「やべ、押し負けた……!」

 2人をはじめとしたクイズ集団「エウレカ」を率いる井ノ沢丈史が悔しげな声を漏らす。さわらPが眼鏡をクイッとやりながら次を促す。

「菅ちゃん、答えをどうぞ」

「カレル・チャペック!」

「正解!」

「よし! これはロボット工学をかじった人間なら分かる問題だったな」

 得意げに言う後部座席の菅をルームミラー越しに一瞥して、ハンドルを握る刑事の高梨が尋ねる。

「問題はなんだったんですか?」

「チェコの作家で、『ロボット』という言葉を生み出したのは誰か? ……正解は、カレル・チャペック」

 高梨の横っ面を引っ叩くのは、彼の上司である今淵だった。

「運転に集中しろ、バカ! お前はクイズに参加しなくていいんだよ」

「今淵さん、僕は今、運転中なんですよ……!」

「やかましい。だいいち、なんでこいつらがついてくるんだよ」

 そう言って今淵は後部座席に狭苦しそうに収まる3人を睨みつける。

「いやぁ、知ってると思いますけど、見て下さいよ、これを」

 井ノ沢が首に嵌った無骨な輪っかを指さした。同じような首輪が菅とさわらPの首にもある。

「暁の梟という犯罪組織が僕たちにつけた首輪型爆弾ですよ」

「そんなもん着けてほっつき回るなよ……」

「そいつらが言うには、クイズさえやっていれば爆発はしないそうですんで、安心して下さい」

「なんでその言葉は信用できるんだ……」

「まあ、とにかく」

 菅が快活な笑顔を向ける。

「俺たちは暁の梟を捕まえるために情報を集めなきゃいけないわけですよ。だから、こうして犯罪現場の捜査に立ち会わせてもらってるわけです」

「いつもお世話になってます」

 さわらPが2つの意味で肩身が狭そうに頭を下げる。

「暁の梟みたいな犯罪集団が暗躍してるから世間が物騒なことになってるんですかね」

 高梨が呟くと、今淵は唸り声を漏らした。

「暁の梟が様々な犯罪を引き起こさせてるという噂は昔からある。真偽のほどは不明だがな」

「シャーロック・ホームズシリーズに出てくるモリアーティ教授を集団でやってるようなものかもしれませんね」

 苦い顔で夜の車窓を見つめる井ノ沢の表情は助手席の今淵からは見えなかった。高梨は難しそうな顔でハンドルを切る。

「最近頻発してる通り魔的な殺傷事件なんかも暁の梟が一枚噛んでるんですかね? メディアは毎日そんなニュースばっかり流してますけど。事件を再現する映像なんか見飽きるくらい流れてますよね」


★★★ヒント!★★★

通り魔事件のニュースが連日報道されている。その中には、ナイフを使った犯行もあったはずだ。もしかしたら、それが今回の事件の犯人にとって犯行のきっかけになったかもしれないぞ! よく覚えておこう!


「暁の梟が関わってる可能性があり得るっていうのが恐ろしいところなんすよね」

 菅の表情も釈然としない様子だ。

「同じような事件が続くのも、暁の梟が……?」

 高梨が恐る恐る口にするが、さわらPはうなずくことはしなかった。

「必ずしもそういう訳じゃないと思いますよ。もともと、報道されるような事件は模倣されやすいんです。ニュースで見た犯罪に触発されて、自分も同じように行動してしまおうっていうのが模倣犯の心理なんで」

「ウェルテル効果みたいなもんだろ。有名人の自殺が知れ渡れば、同じようなやり方で命を絶とうとする奴らも出てくる」

 今淵はそう言ってため息をついた。

「じゃあ、ここで1問」

 井ノ沢が静かに出題を始める。

「ウェルテル効果とは逆──」

 早押しボタンが押されて、さわらPが勝ち誇った表情を浮かべていた。

「パパゲーノ効果!」

「正解!」

「早すぎんのよ……」

 菅は悔しがることすら忘れて乾いた笑いをこぼした。井ノ沢は小さく拍手した。

「問題は『ウェルテル効果とは逆の作用をもたらす、モーツァルトの「魔笛」に由来する心理効果とは何か?』でした」

「お前らいい加減静かにしろ。目的地が見えてきたぞ」

 夜の帳が下りたビルの谷間にライトアップされた白い箱型の建物が見えてきた。

「あれが現場となったロボット製作ラボ『SENGOKU ROBOTICS』ですね」

 建物の前には警察車両が何台も停まっていて、平日の夜にもかかわらず周囲はマスコミと野次馬で物々しい雰囲気だ。



 鑑識のバンの中で5人は現場に入るための準備を始めた。

「これはね、現場に髪の毛とか足跡とか靴についた異物なんかを残さないためにつけるんだよね」

 靴や頭につけるかバーを手にしたさわらPが解説を始めると、井ノ沢も準備を進めながら口を動かす。

「これ着けた上で、歩行帯っていうシートみたいなのを敷いた所しか普通は歩けないからね。ほとんどのドラマとかではそこまでやらないけどね」

「物事は雑然になっていくっていうのは熱力学の第2法則のエントロピー増大則で、状態を保存しようとしないと、現場外からの要素が混入しちゃうってことなんだよね。それでも、徐々に現場の状態は変化しちゃうんだけどね」

 菅の言葉に井ノ沢がうなずく。

「そうなる前に鑑識作業を終わらせようってことだね」

 井ノ沢が締めくくると、今淵はげんなりとした顔を向けた。

「もういいか。行くぞ」

 バンを降りると、野次馬の中から声が上がる。

「井ノ沢さん、頑張って!」

 声援を受けて井ノ沢が手を振る。

「まるで見世物だな」

 今淵が小言をこぼすと、さわらPが尋ねる。

「事件の状況はどんな感じだったんですか?」

 今淵はすぐに高梨へ目線を送る。自分が答えるつもりはないようだ。

「被害者はこのSENGOKU ROBOTICSの所長でもある仙石廉次郎さん。およそ2時間前の17時31分にラボ内で血まみれで倒れているところを姉である海野京子さんが発見して警察へ通報しました」

 今淵はラボに足を踏み入れる前に建物を見上げた。

「それにしても、街中の一等地に平屋のラボを建てるとは、良いご身分だな」

 菅が意外そうに目を丸くする。

「今淵さん、仙石廉次郎を知らないんですか?」

「知らん」

「今や日本のロボティクスを牽引する工学者の1人ですよ。職場や家庭で人間と共存できるロボットを続々投入してるんです。確か、大阪万博にも出展するんじゃなかったかな。しかも、それを個人の事業としてやってるんですよ」

 今淵は鼻を鳴らしてマスコミと野次馬の人だかりを一瞥した。

「だから、あんな大騒ぎしてんのか」



 鑑識作業が進むラボの中は、1本の幅の広い廊下が置くまで真っ直ぐ伸びている。その両脇にオープン教室のように広いスペースが設けられている。

「ラボの中には、全部で6つの研究ブースがあります。今回はそのうちのひとつが現場となりました」

 高梨は廊下を奥まで進み右手の研究ブースを指さした。窓のないブースに染み込んだようなモーターの焼けついたようなにおいを掻き分けるように、血のにおいがどっと押し寄せてくる。広い空間には、大きな作業台と椅子が何脚かあり、作業台や床には箱やバッグ、三輪車や石でできた小便小僧の像など、雑多なものがあちこちに置かれている。

『世界的なロボット工学者の仙石廉次郎さんが……──』

 壁にかけられたテレビからはニュースが流れている。

「京子さんが現場にやって来た時にもテレビが点いたままだったそうです」


★★★ヒント!★★★

現場となった研究ブースでは、テレビの映像が点けっぱなしになっていた。平日の夕方にはニュース番組も流れていたはずだ。当然、ナイフを使った通り魔的な事件の特集も組まれていたはずだ。その映像を誰かが見ていたかもしれない。その誰かが犯人かもしれないぞ!


「じゃあ、問題」

 菅が手を挙げた。

「すごいシンプルな問題だけど、血のにおいのもとになっている物質はなんでしょうか?」

「え、鉄じゃないんですか?」

 横合いから高梨が口を挟む。さわらPが首を振った。

「鉄イオンじゃないっていうのは分かってるんだけど、なんだったっけな~?」

「鉄じゃなかったんですか?」

 集中するエウレカの面々から視線を剥がして上司に問いを向けると、案の定、高梨は頭を引っ叩かれた。

「お前までクイズに参加するなよ」

 井ノ沢が早しボタンを押す。

「……ケトン?」

「ああ、惜しい! ケトンは混合物なんで、物質そのものじゃない」

 さわらPが確信を持ったような表情でボタンを押した。

「1‐オクテン‐3‐オン!」

「ああ、それだ……」

 ガックリと項垂れる井ノ沢。菅が声を上げる。

「正解!」

「高梨、説明しろ」

 今淵に背中を叩かれると、高梨は慌てて現場に目を移した。

「被害者はここに倒れていました」

 血のにおいの正体は、研究ブースに置かれた作業台のそばに広がる血溜まりだ。その中には。ズダズタになったロボットが横倒しになっている。

「これは……、SR-prototype42……」

 菅が腰を落としてロボットに熱い視線を送った。

「なんだ、そりゃ?」

「仙石さんが開発中だったという自律支援型ロボットアームですよ」

 角のピラミッド型の筐体には、自由に方向が変えられる車輪が6つと1本の柱が突き立っている。その柱は人間の腰ほどの高さから2本のロボットアームを生やしている。そのロボットが横倒しになって血の海の中で赤黒く汚れているのだ。遺体はすでに運び出されているが、ロボットの方はそのままだ。

 ロボットのそばの作業台やその上の物、壁際のテーブルに乗ったパソコンを始めとした機械もSR-prototype42と同じようにズダズタになっている。

「こいつでやられたのか」

 今淵が目を向ける先に消防斧が落ちている。高梨がうなずいた。

「このラボに備え付けのものだそうです」

「これが凶器ですか?」

 井ノ沢が指さすのは、血溜まりの中、SR-prototype42とは少しだけ離れたところに転がっているナイフだった。天井の照明を受けて刃の部分が真っ赤に光っている。

「そうです。このナイフはこのブースにあったものだそうです。被害者はそれで首を切りつけられて、出血性のショックで亡くなりました」

「犯人はガイシャをナイフで殺してから、ロボットやらをぶっ壊したんだな」

 今淵が顎を撫でる。無精ひげが音を立てた。彼の言葉にエウレカの面々も同調していくが、高梨だけはその流れに乗り遅れたようだった。

「え? なんでそう言えるんですか? ロボットとかを壊してからかもしれないじゃないですか」

 哀れな部下を今淵が無視するので、さわらPが助け舟を出した。

「もしそうだとしたら、犯人はわざわざ手に持っていた消防斧からナイフに持ち替えたことになります。そんなことをする必要はないのに」

「あぁ、なるほど」


★★★ヒント!★★★

被害者を殺害した犯人がロボットなどを破壊したというのは本当だろうか? 犯人とは別の人物の仕業かもしれないということを押さえておこう!


 今淵は血溜まりのそばにしゃがみ込んで、じっと観察を始めた。

「犯人の狙いはロボットやらパソコンやらをぶっ壊すことだったかもしれないな。ガイシャを殺すのが目的なら、ロボットをぶっ壊す必要はない」

「ロボットを壊そうとした犯人を邪魔しようとして、被害者は殺されてしまった……?」

 高梨が言うと、今淵がうなずいた。

「その可能性はある。……ん?」

 今淵は横倒しになったSR-prototype42の2本のロボットアームの根元に目をやった。小さなカメラがついているのだ。

「こいつに何か映ってるんじゃないか?」

「それがですね……、このロボットがズタズタにされたことで、筐体内部に収められていたメモリが破壊されてるようなんです」

「犯人は犯行を目撃したロボットをぶっ壊したのか。こっちにデータは?」

 菅が壁際のテーブルのパソコン類を指さす。

「そっちも同様です。もっとも後で鑑識が詳細を調べるので何か出るかもしれませんが」


★★★ヒント!★★★

SR-prototype42やパソコンを破壊した人物の狙いは、残っていたかもしれないデータを完全に消滅することだった可能性が高い。今淵は犯行を目撃された犯人がSR-prototype42を破壊したと見ているが、本当にそれが理由なのだろうか?


「今は盗まれたものがないか調べていますが、他の研究ブースのロボットなんかはそのままですし……」

 高梨はブースから廊下に出て、廊下の奥のドアを指さした。

「向こうに金庫もあるんですが、それも手つかずなので、物盗りの線は薄いのかなと思います」

「ガイシャは有名な技術者なんだろ。案外、産業スパイみたいな奴かもしれんぞ。中には過激なのもいるだろ」

「建国したばかりのアメリカのノリみたいな」

 井ノ沢がボソリと言うと、さわらPが反応する。

「その当時のアメリカは産業スパイを推奨してたからね。イギリスとかから技術を盗んで来たら報いますよみたいなことを初代財務長官のアレクサンダー・ハミルトンが言ってたしね」

 菅が横倒しになったSR-prototype42のロボットアームを見つめている。

「どうかしたのか?」

 今淵が尋ねると。菅はアームについた赤い点を指し示した。

「小さいけど、飛沫血痕ですね。仙石さんがナイフで襲われた時、そばにこいつがいたということです」

 今淵は舌打ちをした。

「犯人が映っていたはずなのにな……。だが、そういえば、こいつはどうやって動いていたんだ? 電源に繋がってないだろ」

 SR-prototype42の筐体からはケーブルの類は伸びていない。菅が壁に取り付けられていた機械を一瞥する。

「無線電源ですね」

「なんだ、そりゃ?」

「文字通り、無線で電源を供給するシステムのことですよ。この規模なら、実用に耐えられるところまで来ているんです」

「じゃあなにか? 事件が起きた時、こいつはそばを動き回ってたってことか?」

「まあ、そういうことになりますね」


★★★ヒント!★★★

被害者の血がSR-prototype42のロボットアームに飛んで付着したということは、菅の言う通り、被害者が襲われた時にSR-prototype42がそのそばに動ける状態で居たということだ。


 今淵は腰を押さえながら立ち上がった。

「ところで、第一発見者の話はどうなんだ?」

「署で話を聞いているみたいです。他の事件関係者も一緒だそうです」

 高梨の言葉を合図にするように、今淵はラボを出ていく。高梨とエウレカの3人も後について、まだ騒然となっている外へ向かった。

 バンの中でカバーを外す今淵は、建物の外壁に防犯カメラが光っているのを見つけた。カメラは建物の入口を睨みつけている。今淵は近くの鑑識の人間を呼んだ。

「おい、あの映像は確保してるのか?」

「はい。署の方で分析に回してあります」

 今淵は高梨と目を合わせた。

「事件解決だな、こりゃ」

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