問題編③ 怪しい人々と衆人環視の密室
5分ほどして事情聴取の行われている部屋に足を踏み入れた今淵とエウレカの3人は、げっそりとした高梨の視線に迎え入れられた。
「ホントにすぐ返してくれるんでしょうね?」
女が最後の念を押すと、高梨は気弱な目でうなずいた。今淵は近くの椅子を引き寄せて腰掛けると、女をじっと見つめた。
「で、なんであの工房の物をそんなに引き取りたいんだ?」
「弟の遺作だからよ!」
「弟のことより作品のことが心配か?」
京子は顔をしかめた。
「弟は有名な職人なのよ。その作品だって価値がある」
井ノ沢が割り込んでくる。
「弟さんの遺体を発見したのは海野さんですか?」
京子は顔をしかめて、井ノ沢たちエウレカのメンバーをジロジロと見つめた。
「なに、あんたたち、テレビで観たことあるわね……」
「いいから、質問に答えてくれ」
今淵が促すと、不服そうに京子は答えた。
「そうよ」
「その時の状況を話してくれ」
京子は肩をすくめる。
「あの工房に行ったら、弟が死んでたの」
あまりにも簡潔すぎる話に今淵はずっこけそうになる。
「なんであの工房に行こうと思ったんだ。わざわざ山道を登ってまで」
「街で偶然、弟と会ったのよ。ちょっと話をしただけなのに、あの子、急に怒りだして……。それで私を無視して行くから私も車で追いかけていったのよ」
「じゃあ、一緒にあの工房に入ったんですか?」
さわらPが身を乗り出したが、京子は笑った。
「そんなわけないでしょ。あの子、昔から逃げ足だけは早かったから、すぐに私を撒いたけど、行き先があの工房だってことは分かってた。だから、私も工房へ行ったのよ。そう、わざわざあんな山道を登ってね」
「で、弟を見つけたのか。山道とか工房のまわりで誰か怪しい人影は見なかったのか?」
「見なかったわね」
「工房の中の者を物色したりしたのか? ずいぶん荒れてただろ」
「失礼ね。私が行った時にもうひどい状態だったわよ。だから警察を呼んだの」
今淵は腕組みをして、何か考え事をしているようだ。その隙を突いて、井ノ沢が質問をぶつける。
「弟さんを発見して、弟さんのお弟子さんの両国さんも呼ばれたとのことですけど、それはまたなぜ?」
「工房で事件が起こったんだから、当たり前でしょ」
「両国さんはすぐ来てくれたんですか?」
「そうよ。あの工房から30分のところに住んでるから」
さわらPが首を捻る。
「30分? 山道を登るだけで30分くらいかかりますよね」
「両国くんは鍛えてるし、体力もあって若いから、あの山道は15分くらいで登れるわよ」
思案していた今淵が口を開く。
「なんで弟は怒ってたんだ?」
「知らないわよ」
「何を話したんだ?」
京子は天井を見上げて記憶を手繰り寄せる。
「あの子の作品を宣伝しようと広告代理店の人と話を進めていたのよ。それを伝えたら『余計なことするな』って。『金の亡者と手を組むつもりはない』って」
「広告代理店の人というのは、堂本恒通だな? 街で弟と会った時に一緒に居たのか?」
「そうよ。ちょうど弟の工房の宣伝のことで打ち合わせしてたのよ」
「なんで堂本と一緒に工房に行かなかったんだ?」
京子は苦み走った表情を浮かべる。
「それが、弟が堂本さんに『他人の努力の結晶を食い物にするハイエナ』だと言って、堂本さんが怒って帰っちゃったのよ」
「まあ、ハイエナってそうイメージですけど、本当はハイエナが仕留めた獲物をライオンとかが横取りしてるんですけどね」
井ノ沢がボソリと知識を披露するが、京子の白い目に睨まれるだけだった。
「その直後に事件が……」
高梨が呟くと、京子は慌てたように声を上げた。
「それなら、両国くんだって、弟に作品を盗られたと言って騒いでたわよ。恨んでたっておかしくないでしょ」
「その噂ってホントだったんですか?」
菅が声を潜めると、京子は意地の悪そうな笑い声を上げた。
「噂なんかじゃないわよ。弟は、『無名の弟子の作品を世の中に知らせるために仕方なくやった』って認めたんだから」
「工房の宣伝の件だが」
今淵が鋭い目を向ける。
「勝手に宣伝しようとしたのか?」
京子は困り果てたように両手を広げた。
「だって、あの子、自分の商品価値を高めようとしないんだもの。それをちょっと手伝おうとしただけよ」
今淵は高梨と視線を交わして、これ見よがしに溜息をついてみせた。京子のバッグの中でスマホが鳴って、彼女は立ち上がろうとした。
「ねえ、ちょっと、電話してきていい?」
今淵は無言で部屋の外を指し示した。京子は電話に出ながら、廊下に飛び出して行く。廊下から騒がしい声が漏れてきた。
「遺産は……」
その声は遠ざかって聞こえなくなっていった。
「なんというか、世知辛いですね」
高梨が嘆くように言うと、今淵は鼻で笑った。
「お前は経験がないだろうが、こんなことしょっちゅうあることだぞ」
「被害者は革工芸で一代でひと財産築いたんだそうです。ああいうお金の絡んだ関係に嫌気が差して山に引きこもるようなったんでしょうね」
「ガイシャに家族は?」
「結婚もしてないようですよ」
「ガイシャの両親は?」
「亡くなってます」
「あの女の他にきょうだいは?」
「いません」
今淵が椅子に深く腰掛けると、ギシリと音がする。
「じゃあ、遺産はあの女が独占できる」
「まさか、それ目的で……?」
若者らしく正義の火を点す高梨に、今淵は冷静に言葉を返す。
「それにしちゃ、状況が不自然ではある」
両国雅照は突然部屋に現れた5人組に気圧されたように椅子から立ち上がった。白い肌に細い身体は職人の弟子というには頼りなさげだが、その腕はしっかりと筋肉質だ。
「だから言っただろうが。なんでいちいち5人1セットで動く必要があるんだ」
中腰のままの両国を見て、さすがの今淵も申し訳なさそうな声を発した。
「まあ、細かいこと気にしないで下さいよ。話聞こうとしてたんですから」
先陣を切って両国に相対するのは井ノ沢だ。
「どの立場で言ってんだ? お前らのせいだろうが」
今淵のツッコミを軽くあしらって、両国に椅子に座るように促すと井ノ沢は単刀直入に質問をぶつけた。
「海野さんから電話で仙石さんの工房に来るように言われたとのことですけど、その時のことを教えて頂けませんか?」
両国は魂の抜けたような表情だった。事件の衝撃はそうそう忘れられるものではない。
「あ……、はい。夕方の5時半くらいに海野さんから電話が来て、師匠が死んでいるから今すぐに工房に来て、と言われまして……。半信半疑だったんですけど、海野さんの声の感じがすごかったので、すぐに車で家を出ました」
今淵は事情聴取の主導権を奪うように井ノ沢を「どけ」と一蹴して、両国の目の前に身を構えた。
「電話が来るまでは何を?」
「10時から4時までバイトで、夜に工房で作業があったので仮眠をしていました」
「バイト先は?」
「この街のステーキ店ですよ」
顔をしかめていた高梨が尋ねる。
「あの、工房で働いていて、ステーキ店でもバイトしてるんですか?」
両国は苦笑いを返す。
「ああ、工房での働きだけでは食べていけないので……」
「革工芸の腕は良いそうじゃないか」
今淵にそう言われて、両国は不思議そうに首を捻った。
「誰がそんなことを?」
「師匠はあんたの作品を自分のものだと言ったんだろ? 良い腕じゃなきゃ、そんなこと言えんだろ」
苦虫をかみつぶしたような顔で顔を背けた両国は精一杯の抵抗を示した。
「そのことについては話したくありませんし、もう決着のついたことです」
「あんたに動機があると思われても仕方のないことだよな」
今淵が意地の悪い笑みを投げかけると、両国はキッと鋭い眼を向けた。
「私じゃない!」
今淵の代わりに高梨が横合いから申し訳なさそうに質問を差し出す。
「電話で呼ばれて工房に行くまでに、怪しい人影なんかは見ましたか?」
「見てません」
そう答える声には棘があった。
部屋を出ると、菅が今淵に恐れをなしたような眼差しを投げた。
「追い込み方エグいっすね」
「だが、奴にアリバイがないことは確認できただろ? 盗作の件も事実だったわけだ」
「でも、どうなんですかね」
井ノ沢が刑事部屋の隅にあるウォーターサーバーで水を汲みながら言った。
「工房での給料じゃ生活できなくて、バイトしてるんですよ。多少無理してでも工房に身を置きたいっていう両国さんの気持ちがあるように感じましたけどね」
「確かに!」
高梨が手を叩いたが、今淵は冷静だ。
「それで我慢し続けて、今回爆発したかもしれないだろ」
「カスプ・カタストロフだ」
菅が1人納得したように声を漏らした。今淵が異世界の言葉でも聞いたような表情を浮かべている。
「なんだ、そりゃ?」
「カタストロフィー理論の一種で、パラメーターが変化していく中で現れる曲線が、ある一点を境に急激に変化するっていうやつなんですけど、心理学にも応用されることがあります。ある程度のストレスを受けていても状態は変わらないんですけど、ある一点で急激に攻撃的になったりする。そういう破局状態のことをカスプ・カタストロフっていうんです。グラフにすると分かりやすいんですけど、V=x⁴+……」
「うるせえ」
解説をぶった切ってそう吐き捨てた今淵は堂本の待つ部屋へ向かって行った。エウレカの面々も慌てて後を追う。
堂本はハイブランドのスーツにノータイの薄いブルーのシャツを第二ボタンまで開けた、いかにも広告代理店の人間というような出で立ちだった。体育会系のような顎の大きな顔にツーブロックの短髪の男が、部屋にぞろぞろと入って来たエウレカの面々を見て素早く立ち上がると、目を輝かせた。
「エウレカのみなさんじゃないですか! この事件の捜査を担当されてるんですか?」
「え、ええ、まあ……」
あまりの勢いにリーダーの井ノ沢も反応に困っているようだった。
「その首輪の爆弾って本物なんですか?」
興味津々に首輪に手を伸ばす堂本の腕を今淵が掴んだ。
「安易に触るな。こいつらは命を握られてんだぞ」
「ああ、失礼」
堂本は我に返ったように椅子に腰を下ろした。今淵に何も聞かれていないにもかかわらず、そのまま話し出した。
「ボクは犯人じゃないですよ。仙石さんとお姉さんのゴタゴタに巻き込まれたようなものです。ウチの会社としては、仙石さんの革製品のメディアでの展開を検討していただけですし……」
「そのわりには、被害者と口論をしていたそうじゃないか。しかも、事件が起こる直前に」
「直前というか、小一時間前ですよ。直前というと、本当に事件の寸前みたいに聞こえるじゃないですか」
今淵が悪い顔をする。
「殺人の動機は憤懣、劇場、報復、怨恨が多いんだ。あんたは被害者に自分の仕事を蔑まれて怒ってその場を立ち去ったらしいな」
堂本は嘲笑を浮かべてそっぽを向いた。
「だからといって、ボクが犯人だと思ってるってわけですか?」
「被害者と口論をした後、どこで何をしていた?」
「近くの喫茶店に居ましたよ。本当は帰宅しようと思ったんですが、海野さんから落ち着いて話をがしたいから待っていてくれと言われたんでね。あ、言っときますけど、喫茶店にずっといたことは店員に聞いてもらえれば分かりますよ」
「喫茶店の場所は?」
堂本は財布を取り出して、中からレシートを抜き出した。
「ここに住所も書いてありますよ」
高梨がレシートを覗き込んでスマホで住所を検索する。
「現場の山の中腹にある駐車場からは車で10分くらいのところですね」
「ってことは、海野さんって、40分くらいかけて仙石さんを追いかけたってことか」
菅がボソリとさわらPに耳打ちする。さわらPも困惑したような表情を浮かべた。
「結構な執念だね」
「ボクに犯行は不可能ですよ」
胸を張って言う堂本に反駁できる者は誰もいなかった。
時計の針が午後八時を回る頃、鑑識に呼び出された今淵と高梨はパソコンのモニターを前にしていた。キーボードの前には鑑識官が陣取っている。
「何か見つかったのか?」
「はい。これを見て下さい。現場の建物に設置されていた防犯カメラの映像です」
画面には、鮮明な山の映像が表示されていた。画面の右側には山道に沿って崖がある。すでに陽が落ちかけて、オレンジ色の光が深緑の木々と黄土色の山道を照らし出す。タイムコードは今日の17時2分21秒79となっている。道の向こうからこちら側へ人影が近づいて来る。男だ。
刑事たちの後ろで見守っていた菅は小声で井ノ沢とさわらPに尋ねた。
「現場の山ってさ、途中まで車で行って、そこから山道を登るじゃん。工房のある場所って標高どれくらいだったかな?」
井ノ沢が記憶を覗くように天井を見上げる。
「500メートルくらいはあったんじゃないかな」
「だったら、地上の10億分の4秒くらい時間の進みが遅い」
「それ言ったら、車で移動してた俺らも微かに時間の流れ遅かったんじゃない?」
「100兆分の何秒とかのレベルだね」
「2人とも映像見て」
さわらPが注意する先で、映像が再生されていた。
「これが被害者の仙石廉次郎さんです」
鑑識官がそう言って、映像を2倍速で流す。ちょこちょこと歩を進める廉次郎の姿がカメラの下を通って画角から消える。
「次が17時28分です」
映像が素早く送られて、夕闇が深くなった山道をこちらにやって来るのは京子だ。疲れた表情で何かを叫びながら建物に近づいて来る。
「音声はないのか?」
今淵が尋ねると鑑識官はゆるゆると首を振った。
「ありません」
京子もカメラの画角に消える。しばらくして、鑑識官は映像を止めた。17時31分だ。
「これが第一発見者の海野京子さんが警察へ通報をした時刻です」
2分もしないうちに、京子は建物の外の防犯カメラの画角に収まる位置にやって来て、熱心にスマホを操作しだした。すぐにスマホを耳に当てる。
「この時に両国を呼んだんだな」
今淵の言葉を裏づけるように、20分後に登山道の方から1人の男の姿が現れた。両国だ。彼は京子と2、3言交わしてカメラの死角に飛び込んで行った。少しして、青ざめた顔の両国がカメラの視界に入ってきて、震える手振りで京子と話し出した。道の向こうに警察がやって来たのは、それから5分後のことだった。京子は手を振って両国と共に彼らを建物の中へと誘導した。
井ノ沢が鑑識官の肩に手を置く。
「仙石さんがやって来るより前の映像に人影は?」
「チェックしましたが、仙石さんが16時半頃に工房を出るところ以降は何も……」
さわらPが腕組みをして映像を見つめる。
「そもそも、仙石さんはなんで工房を出て行ったんだろう?」
「それなんですけど」
高梨が手帳のメモに目を通しながら答える。
「被害者のズボンのポケットには車の鍵と財布が入っていまして、おそらく買い物か何かに出掛けたんじゃないかと。それで、街に下りたところ、京子さんたちと出くわして口論に発展……」
「それで買い物を切り上げて工房に戻って来たところを……ってことか」
井ノ沢が難しい顔をして高梨の言葉を受けると、菅は首を傾げた。
「そうなると、犯人はどうやって工房の中に入ったんだ? 17時2分から海野さんが工房にやって来る17時28分の間には何も映ってないのに」
「つまり、犯人は京子さん……?!」
高梨が興奮を隠し切れぬ様子で声を上げた。しかしながら、今淵は彼の推測には目もくれていないようだった。
「建物へは他の道はないのか?」
今淵が尋ねると、鑑識官は椅子ごと身体を向けて首を振った。
「建物の前は崖ですし、カメラの後方、つまり、山道から見て建物の奥側はすぐに崖になっていて行き止まりです」
「でも、画面の左手は森があるだろ」
「ずいぶん藪が深いんです。人が通ったような跡は見つかっていません」
「藪といえば、事の真相が有耶無耶になってしまうことを『闇の中』というのは、本来は誤用なんだよね。もともとは『藪の中』って言わないといけなかったんだけどね」
井ノ沢が言うと、さわらPがうなずく。
「芥川龍之介の『藪の中』っていう短編小説が事件の真相が分からない作品だから、それがもとになってるんだよね」
「この事件も『藪の中』にならないといいね」
得意げな顔をして菅が歯を見せた。
「楽しそうだな、お前ら」
呆れる今淵とエウレカの間に高梨が割って入る。
「今淵さん、犯人は京子さんで決まりですよ!」
色めき立つ高梨とは裏腹に、今淵は浮かない顔をしていた。
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