問題編② 死をもたらしたものは

 建物の入口をくぐると、中には木の香りを押しのけるように血のにおいが漂っていた。

「ここは工房として使われていたようですね」

 部屋の中央には広い作業台があり、革を処理する道具がばら撒かれている。壁際の棚には巻物のようにして様々な革が収められていて、それらが血のにおいと混じって部屋の中を生臭くしている。その棚もあちこち壊れていて、丸まった革が床に落ちていた。

「じゃあ、たまには俺が問題出すか」

 つい今しがた注意されたばかりだが、菅が手を挙げた。

「すごいシンプルな問題だけど、血のにおいのもとになっている物質はなんでしょうか?」

「え、鉄じゃないんですか?」

 横合いから高梨が口を挟む。さわらPが首を振った。

「鉄イオンじゃないっていうのは分かってるんだけど、なんだったっけな~?」

「鉄じゃなかったんですか?」

 集中するエウレカの面々から視線を剥がして上司に問いを向けると、案の定、高梨は頭を引っ叩かれた。

「お前までクイズに参加するなよ」

 井ノ沢が早しボタンを押す。

「……ケトン?」

「ああ、惜しい! ケトンは混合物なんで、物質そのものじゃない」

 さわらPが確信を持ったような表情でボタンを押した。

「1‐オクテン‐3‐オン!」

「ああ、それだ……」

 ガックリと項垂れる井ノ沢。菅が声を上げる。

「正解!」

「高梨、説明しろ」

 今淵に背中を叩かれると、高梨は慌てて現場に目を移した。

「被害者はここに倒れていました」

 血のにおいの正体は、作業台の下に広がる血溜まりだ。血溜まりは作業台の下から部屋の奥の方へ広がっているが、すでに遺体は運び出された後だ。

「なんだこりゃ」

 今淵が目を細めて視線を向ける先には、下半分が盛大に破られた窓がある。窓の桟の木枠やガラスが部屋の中に散らばっている。

「窓が破られたみたいですね」

「そんなことは見りゃ分かる」

 エウレカの3人も興味津々で破られた窓を見つめている。

「侵入するだけなら、こんな派手に窓破らないよなあ」

 井ノ沢が指摘すると、さわらPも同調する。

「普通なら、窓の錠辺りを割ってロックを外して侵入するよね」


★★★ヒント!★★★

犯人が何も考えずに窓を破ったのはなぜだろう? さっきのヒントに出てきた生き物が関わっているかも?


 今淵は血溜まりのそばにしゃがみ込んで、じっと観察を始めた。ガラスの破片が赤黒い血を被っている。

「殺しの前に窓が破られてるな」

「侵入していた犯人に出くわした被害者が殺されてしまったってことなんですかね?」

 高梨の問いを無視して、今淵は血溜まりの中に転がるいくつかの工具の中からひとつを指さした。木の柄に細い円錐の金属部分がついた道具だ。

「なんだありゃ?」

 そちらの方へグッと顔を突き出したさわらPが突然、ボタンを押した。手元で解答権を示す小さな板が立ち上がっている。

「くじり!」

 高梨がハッと息を飲んだ。

「正解です!」

「よし」

 さわらPが小さく喜びを示す。

「初めて見たな、この道具」

 菅がまじまじとくじりに目を落とす。

「革に穴を開けたりする時に使うやつだよ」

「へえ~」

 感心する菅とは裏腹に、井ノ沢は悔しそうだ。

「分かってたのに押し負けたわ」

「これが凶器か?」

 今淵が口にすると、高梨は曖昧にうなずいた。

「鑑識の話では、その線が濃厚らしいです。被害者の首には尖ったもので傷つけた痕があり、それが頸動脈を破って失血死に至ったんだそうです」


★★★ヒント!★★★

警察はくじりが凶器だと推定しているようだ。しかし、本当にくじりが凶器なのだろうか? もしかしたら、他の物が被害者に致命傷を与えたのかもしれない! それが一体何なのか、よく考えてみよう!


 鼻から息を吐き出して立ち上がると、今淵は腰をトントンと叩きながら部屋を見回す。

「ずいぶん荒れてるな」

 革を収めた棚がところどころ壊れているだけでなく、被害者である仙石廉次郎が使っていたであろう簡易的な木の椅子も足が一本へし折れているし、金属製の重そうな工具棚も倒れていた。血溜まりはその工具棚から作業台の方へ向かって伸びている。

「今は盗まれたものがないか調べていますが、被害者が手掛けた革製品は残っていますし、さっき井ノ沢さんも言ってましたけど、荒らし方が物盗りっぽくないんですよね」

 今淵は工房の奥の階段に目をやった。

「上は?」

「被害者の住居になっていますけど、荒らされた形跡はないと聞いてます」

「1階を物色しているところを見つかったか」

「で、犯人に襲われて?」

「だが、それなら、慌てて逃げる必要はないだろ。窓の破り方も乱暴すぎる。窓ごとぶっ壊そうとしてんじゃねえか?」

「めちゃめちゃごつい山賊が入って来たみたいですよね」

「この時代に山賊なんかいるか。だいいち、こんな山奥に盗み目的で入る奴がいるとは思えん。この近くに住んでる奴はいるのか?」

「いえ、いないそうです。ただ、被害者は名の知れた革工芸師なので、何かあると思って遠くから良からぬ人間がやってきてもおかしくはなさそうですけど」

 菅がそばに居た井ノ沢に尋ねる。

「ここの革製品ってそんなに価値あるの?」

「まあ、人気があることは確かだね。ただ、盗みに入られるくらいかっていうとちょっと疑問ではあるかな。ないことはないんだろうけどね」

 今淵は倒れた工具棚のそばに回って、そこから作業台の方へ広がる血溜まりに目を留めた。その広がりの方向を目で追うようにして、作業台の縁に細かい飛沫血痕が付着しているのを発見した。

「ガイシャはここでやられたのか」

 作業台の淵に顔を近づけた菅は、じっとそこに付着した飛沫血痕の形状を観察していた。縦に細い大小様々な楕円形の血痕がある。

「なんか分かるの?」

 近づいてきた井ノ沢が聞くと、菅はうなずいた。

「この感じだと、飛散した血液の根源はこの作業台よりも高い位置にあったことが分かるね。放物線を描いて作業台の縁に付着してるんだよ。高梨さん、仙石さんの身長はどれくらいだったか分かりますか?」

「ええと、175センチです」

「俺とそんなに変わらなくらいか」

 菅はそう呟いて倒れた工具棚の脇に立ち上がった。

「この距離だと、もっと作業台のテーブルの上に血が飛んでる方が自然なんだよな」

 井ノ沢が腕組みをして口を開く。

「中腰状態とかだったんじゃないの? 例えば、棚を元に戻そうとしてたとか」

「あー、確かにそれあるね」

 さわらPが薄いゴム手袋の手で工具棚を動かそうとするが首を振った。

「ただ、これめっちゃ重いけどね」

「ん~? じゃあ、誰か分からないけど、どうやって倒したんだ?」


★★★ヒント!★★★

簡単に動かせない工具棚。それを動かせるのは、人間よりも力の強い生物かもしれない? そんな生物に心当たりはないか、考えてみよう!


 作業台に向かって立つと、左手に破られた窓がある。そこから生暖かい風がぬるりと入り込んできた。

「ところで、第一発見者がいるって言ったが、そっちはどうなんだ?」

「署で話を聞いているみたいです。他の事件関係者も一緒だそうです」

 今淵は肩を落とした。

「まーた山道を戻らなきゃならんのか……」

 工房を出て、テントの中でカバーを外す今淵は、建物の外壁に防犯カメラが光っているのを見つけた。カメラはこの建物に向かう道の方を睨みつけている。今淵は近くの鑑識の人間を呼んだ。

「おい、あの映像は確保してるのか?」

「はい。署の方で分析に回してあります」

 今淵は高梨と目を合わせた。

「事件解決だな、こりゃ」



 署に戻った今淵たちの耳に入って来たのは、ヒステリックな女の声だった。

「とにかく、弟の作品をひとつ残らず無事な形で確保すると約束して下さい!」

 ふくよかな中年の女が声を張り上げていた。事情聴取を行っている部屋を遠巻きに眺める刑事たちに今淵が声をかける。

「何かあったのか?」

「夕方に山の方で起こった事件の参考人ですよ。被害者の姉らしくて、現場の物を引き取らせろと迫ってるんです」

 今淵は呆れたように首を振って、隣の高梨に顎で指図した。

「お前、行って説明して来い」

「ええっ! 僕がですか?」

「お前に言ってるんだから、そりゃそうだろ」

 高梨は不安を顔面に貼りつける。

「いや、だって、近づいちゃいけないような空気ですよ」

「いいから行け。静かになったら俺があの女から話を聞いてやる」

 尻を蹴られて、高梨は渋々声のする方へ向かって行った。その背中を、エウレカの3人のエールが押し出した。



「容疑者は全員で3人だな」

 今淵が自分のデスクのまわりにエウレカのメンバーを侍らせている様は、大学の少人数のゼミと教授という雰囲気がある。今淵にそれだけの貫禄があればの話だが。

「1人目は、第一発見者であり通報者でもあるガイシャの姉、海野京子」

「第一発見者なのに容疑者なんすね」

 菅が横槍を入れると、今淵は微笑んだ。

「第一発見者が犯人ってパターンはわりとあるんだぞ」

「でも、海野さんが容疑者になる理由はあるんですよね?」

 さわらPが指摘すると、今淵は人差し指を振った。

「その通り。どうやらガイシャとは犬猿の仲だったようだ。金銭面での言い争いが絶えなかったらしい」

「血縁者でもお金の問題で絶縁するってこともよくありますもんね……」

 井ノ沢が苦い顔でそう言うと、今淵もうなずいた。

「まあ、人間ってものは色んなきっかけで変わっちまうもんだからな。で、次の容疑者がガイシャの弟子でもある両国りょうごく雅照まさてる。事件があった山の麓の町に住んでる。これは裏の取れていない噂に過ぎんが、ガイシャに自分の作品を盗まれたんだと言っていたらしい」

「盗まれた?」

 菅の素っ頓狂な声。

「師弟関係だ。弟子のものを師匠が自分の作品だと言い張るケースも考えられるだろうな。ガイシャを発見した姉が両国を呼んだらしく、警察の到着を工房の前でガイシャの姉と一緒に出迎えた」

 今淵はデスクの上の缶コーヒーを一口啜って、最後の1人を紹介した。

「最後が、堂本どうもと恒通つねみち。広告代理店の情信じょうしんの社員で、ガイシャの姉と懇意だったらしい」

「なんでこの人も容疑者に?」

 井ノ沢が尋ねると、今淵はデスクの上の書類を指さした。

「ガイシャは姉に促されて何度か堂本と話をしたことがあるらしいが、いずれも口論に発展してる」

「なんか、トラブルだらけって感じっすね」

 菅の感想に今淵が同意を示した。

「だからあんな山の中に工房を作ったんだろうがな」

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