問題編① 知識を手にした者たち

「24節気のひとつでもある、太陽の黄経が135度に──」

「はい!」

 元気な声と共に、手に握った電池で駆動するタイプの手のひらに乗る大きさの早押しボタンを押したのは、各方面で活躍するクイズ集団「エウレカ」の主要メンバーであるすが貴俊たかとしだ。

「うわ! 押し負けた!」

 盛大に頭を抱えるのは、エウレカのリーダーでもある井ノ沢いのさわ丈司たけしだ。

「はい、菅ちゃん」

 黒縁の眼鏡を光らせ解答を促すように手を伸ばすのは、出題者でもありエウレカではクイズの作問も担当する「さわらP」こと早良さわら拳語けんごだ。3人の若者の首には、彼らの快活な雰囲気とは似つかわしくない無骨な首輪が嵌っている。

「え、待って! 俺、24節気なんて覚えてねえよ……! なに? 黄経が135度?! まず黄経ってなんだよ!」

 菅の気弱な発言を受けて、井ノ沢が早押しボタンを構える。さわらPがカウントダウンを始めた。菅は真剣な表情だ。

「待って、黄経ってあれか、太陽のやつか! ってことは、180度が春分の反対側だから、135度は……立秋だ!」

「うわ、やられた」

 井ノ沢が肩を落とすと、さわらPが「正解!」と声を上げる。

「24節気のひとつでもある、太陽の黄経が135度に達する日を何というか……正解は立秋ですね。だいぶ前に立秋を迎えて、最近はやっと残暑も引いてきましたけど」

「瞬時に黄道座標の二次元投影図が浮かんできてよかった~!」

 ガッツポーズする菅を井ノ沢が悔しそうに見つめる。

「立秋答えるのに黄経の角度からアプローチする人いないのよ」

「これは俺の理系の強みが出たね」

 両脇を森に挟まれた登山道に3人の賑やかな声が響き渡る。すでに辺りは陽が落ちかけている。

「おい、お前ら、うるせえぞ」

 3人の後ろをえっちらおっちら登る2人のスーツ姿のうちの1人が小言を飛ばすが、その語気は弱々しい。

「今淵さん、顔色悪いっすよ。休憩しましょうか?」

「そうっすよ。運動不足ですよ」

 まだまだ元気な井ノ沢と菅が立ち止まって振り返っている。

「やかましい……。刑事をバカにすんなよ……」

 エウレカの面々のところまで辿り着いて、今淵は震え足を両手で押さえた。

「おい、高梨」

 少し出てきた腹を抱えるようにして今淵は隣の男を睨みつける。

「いつ着くんだバカ。もう1時間くらい歩いてるだろ」

 今淵に比べればまだ余裕のありそうな高梨が汗に滲んだ上司に気弱な声を返す。

「まだ30分も経ってないですよ。頑張って下さい、今淵さん」

「うるさいバカ。半人前のくせして登山家気取りか」

 今淵は小脇に抱えていたスーツのジャケットを高梨に押しつけた。両膝に手をついて今淵が咳き込むと、山道の脇に生い茂る木々の向こうからヤギが首を絞められたような鳴き声と茂みを何かが遠ざかっていく音がした。


★★★ヒント!★★★

この生き物の正体はなんなのか、少し考えてみよう! 事件の真相に関わるかも? よく覚えておこう!


「あ、じゃあ、今度は俺が出題しようかな」

 今淵と高梨のやり取りを尻目に井ノ沢が手を挙げる。

「今、ヤギみたいな鳴き声がしたけど、世界で最初のチーズはヒツジやヤギのミルクからできたと言われていますが──」

「え、そうなの?」

 菅が目を丸くすると、井ノ沢がうなずく。

「まあ、明確な証拠みたいなものは発見されてないんだけど、家畜の歴史から考えるとその可能性が濃厚だって言われてんだよね。……当時は、ミルクを家畜の胃で作った嚢の中に入れていましたが、それがチーズが出来上がるきっかけとなりました。では、ミルクをチーズに変化させる哺乳類動物異に存在する酵素の混合物とは何でしょうか?」

「あ~、なんだっけな……」

 さわらPが頭を悩ませる隣で、菅が苦笑いする。

「だって、俺、最初のチーズがヤギからできたって今さっき知ったもんな」

 シンキングタイムに割り込むのは、疲れ果てたような顔の今淵だ。

「お前ら、いつまで遊んでんだ」

 その腕を優しく掴むのは高梨だ。

「待って下さい、今淵さん。彼らはこうやってクイズをしていないといけないんです」

 今淵は舌打ちをする。

「そういや、そうだったな。なんだっけ、あの犯罪組織の……」

「〈暁の梟〉です。彼らは当時から捜査アドバイザーとして活動していたエウレカのメンバーに首輪型爆弾を取り付けたんです。外そうとすれば爆発しますし、首輪は音声を認識して、クイズを行い続けなければ爆発してしまうんです。どれくらいの間クイズが行われなければ爆発するのか分からない以上、彼らは常にクイズのことを考え続けなければならないんですよ」

「面倒なこった。だったら、首輪をつけた奴を探しに行けって話だ」

「だから、犯罪捜査に携わって〈暁の梟〉に繋がる情報を集めてるんですよ、彼らは。勇気ある人たちです」

 そう言って井ノ沢たちを見つめる高梨の眼差しには敬意が表れていた。さきほどのクイズを終えた井ノ沢が2人の話を聞いていたのか、立て続けにクイズを出し始めた。

「梟繋がりで、梟の羽根の形状を真似て作られた騒音軽減のためのボルテックスジェネレーターという装置を搭載した乗り物とは何でしょう?」

「聞いたことある……!」

 早押しボタンを押したのはさわらPだ。たっぷりと時間を使って解答を口にした。

「新幹線500系電車!」

「正解!」

「すげー、全然分からなかった」

 菅が感心しているところに、さわらPが補足を付け加える。

「パンタグラフのところに付いてるんだよね」

 休憩が取れて元気になったのか、今淵が呆れたように溜息をついた。

「お前ら、自分に首輪をつけた奴らをネタにクイズしてる場合じゃねえだろ」

「やっぱり、自然の中に飛び込むとクイズ魂が疼くんですよ」

 冗談交じりに笑う井ノ沢に今淵は返す言葉もない。

「……ったく、なんでこんな辺鄙なところで殺人なんか起こるんだよ」

 シャツの袖で額の汗を拭って、今淵は見る見るうちに闇に没していこうとする行く手に目を細めた。

「もうすぐですよ」

 高梨が左手の木々の方を指さした。木立を縫うように遠くから光が差していた。

「この先を左に行った崖のそばに現場がありますんで」

「崖といえば、世界で一番高いとされている崖があるカナダのバフィン島にある山の──」

 さわらPが素早く早押しボタンを押す。

「トール山」

「正解!」

 菅は天を仰ぐ。

「全然分からねえ! 地理苦手なんだよなあ」

 今淵は高梨の二の腕をつついた。

「現場まで俺をおんぶしていけ」

「えぇ……、さすがに無理ですよ……」



 それから10分ほどかかって5人は開けた場所に辿り着いた。木を切り拓いてできた広場には2階建ての木造の建物が崖の方を向いて佇んでいる。建物の中から漏れた光が薄闇の中に水に溶いた絵の具のように広がっていた。建物とその周辺では鑑識作業が行われており、作業服姿があちこちで動いている。

「もうひと仕事終えた気分だぞ」

 今淵は伸びをしながら大口を開けてあくびをした。臨時で設営されたテントの中に入り、文句を言いながら現場に入るために靴や頭のカバーを手に取る今淵に倣うように高梨やエウレカのメンバーもやって来る。

「これはね、現場に髪の毛とか足跡とか靴についた異物なんかを残さないためにつけるんだよね」

 さわらPが解説を始めると、井ノ沢も準備を進めながら口を動かす。

「これ着けた上で、歩行帯っていうシートみたいなのを敷いた所しか普通は歩けないからね」

「物事は雑然になっていくっていうのは熱力学の第2法則のエントロピー増大則で、状態を保存しようとしないと、現場外からの要素が混入しちゃうってことなんだよね。それでも、徐々に現場の状態は変化しちゃうんだけどね」

 菅の言葉に井ノ沢がうなずく。

「そうなる前に鑑識作業を終わらせようってことだね」

 井ノ沢が締めくくると、今淵はげっそりとした顔を向けた。

「もういいか。行くぞ」

 菅が木造の建物を見上げる。

「それにしても、なんでこんな所に工房作ろうと思ったんだろうな?」

 高梨が「ああ、それは」と声を上げる。

「被害者の仙石廉次郎さんは色んなトラブルを避けるために人里離れたところに住居兼工房を作ったみたいですね。工房は仙石革工房といって、結構有名なレザークラフトメーカーらしいですよ」

「仙石革工房ですよね。僕もここのキーケース持ってましたよ。シンプルだけど格好良いんですよ。残念すぎる……」

 井ノ沢が悲しげに息をつく。

「トラブルを避けるためって、結局殺されてるじゃねえか」

 辛辣な言葉を返して、今淵は建物の中に足を向ける。その後ろで、井ノ沢が菅とさわらPを振り返る。

「工房といえば──」

「現場の中でもクイズやるの?」

 さわらPが諫めるように言ったが、菅は笑った。

「まあ、いいじゃん。やろうぜ」

 井ノ沢がニヤリと笑って出題を始める。

「古代ローマで工房の壁に宿っていると考えられていた、現在では知性を表す英単語の語源ともなった創造の閃きを与えてくれる精霊の名前はなんでしょう?」

 早さで押し勝った菅がピンとこない表情のまま、

「なんか……インテリ……ジェントみたいな」

「残念」

 さわらPが菅のこぼれ球を拾うようにしてボタンを押した。

「ゲニウス」

「正解!」

 さわらPが小さくガッツポーズする。

「英語のジーニアスの語源だよね」

「そうなんだ!」

 菅が目を丸くするが、今淵はイライラを隠さずに怒号を発した。

「お前ら、いい加減静かにしろ! 捜査アドバイザーだろうが!」

 隣にいた高梨の頭が思いっきり引っ叩かれる。

「なんで僕が……」

「高梨さん、ごめん!」

 謝る菅の顔は笑っていた。

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