第2話 クラースさん
とにかく、出来る限り給料の良い仕事に就きたい。常にどこか具合を悪くしていた父がついに卒業前に亡くなってしまい、母一人子一人になってしまった我が家である。
父さんちょっと早すぎるよと思ったが、ずっと前から覚悟はしていたことである。母さんも言っていたが、平民たるもの泣いている暇などない。
生きている者には平等に、必ず明日がやってくる。目の前のことをおろそかにすると、この世を生き抜いては行けないのだと。
せっかく学校に通わせてもらったのだ。そこで作った道を生かしてこれから、本腰を入れて稼がねば。
俺は卒業前、頼りない担任の先生を飛ばして教頭先生に直談判をしに行った。正直に言うと、いい職場へ推薦してくれ、という切実なお願いである。
感情が薄いように見えるあの教頭先生は、最初は平等を期すために云々、と先生らしく立派なことを言っていた。しかし。
「ええ、そうですよね。特定の生徒だけに肩入れするのが良くないことは俺もわかってるつもりです。先生のお立場も。うーん、じゃあ、これはもうお蔵入りかな。いやーほんとに残念ですねえ」
「……いや、ちょっと待ちなさい。ひとまず確認させてくれないか。それは何枚あるのかね? いやに分厚くはないかね」
「んー、まあ、ざっと三百枚くらいですかね。いやー大変だったなあ。没原稿だけでも三十枚はありましたよ。見てください、この右手についたインクの跡。これしばらくは取れませんよ」
「ほう……それは頑張ったねえ。参考までに聞きたいのだが、それはどんな内容なのかね」
「そうですねえ。題名をつけるとしたら、『目が覚めたら若返ってたので知識を生かして治安の悪いうちの学校を立て直します』とかですかねえ」
「うむ。君の情熱は伝わった。ところで偶然、魔道具製造の仕事に一枠空きがあるんだが興味はあるかね。基本的に貴族が顧客の仕事だ。だから必然的に、賃金はこれくらいに……福利はこういったものが……」
買収は成功した。顧客であり
読む者を気持ち良くさせるのが目的のブツである。こんな綺麗なデカパイ先生がゴロゴロいるわけねえだろとか、不良がこんな簡単に素直になって懐くかよとか、現実にはあり得ねえだろこんなん、という茶々を入れてくる理性をねじ伏せながらの執筆は本当にしんどかったが。もう二度と書きたくねえ。
ちなみに俺を避雷針としてしょっちゅう利用しようとしてきたあの同級生どもは、一応卒業できていた。卒業前にちょっと復讐してやろうかと思っていたが、良い仕事先が手に入ったわけだし、それが取り消しになってはたまらないのでそこは何とか我慢した。黙って机に向かう日々を送ったおかげで我慢強さも身についたのかもしれないな。
──────
「彼はクラースくん。君の面倒を見てくれる人だから、わからないことは何でも聞いてね」
「初めまして、ジルヴェスターくん。クラースです。若い子が来てくれて嬉しいなー!」
一瞬この国では珍しい黒髪の人だと思ったが、彼が歩いてくる途中で工房の窓から射し込んだ光を浴びた瞬間、けぶるような青色へと変化した。
昼間の曇り空のような色の澄んだ瞳と目が合った瞬間、この人絶対いい人だ、という確信と期待が胸いっぱいに膨らんだ。
硬質な金属や木材がごろごろ転がるこの工房で、彼ひとりが柔らかだった。上品で優しそう。声も落ち着いていて穏やかだ。
きっと育ちのいい人だろう。雑多でやや柄の悪い下町育ちの俺からすると、まさにお貴族様にお会いしたような心境だった。
「そんな緊張しないで。楽にしてね。これから長く働くんだからさ。そうだ、君さあ。作文が得意なんだって? 工房長が言ってたよ。だったら設計書や仕様書の読み取りはきっと問題ないね。専門用語が多いけど、すぐ読めるようになるだろうね」
「どうでしょう、成績が良かったわけじゃないので……ただ作文の方は、その、反省文を書かされてるうちに上達したっていうか……あっ、全部冤罪ですよ、巻き込まれ事故の産物です」
「えー、なにそれ面白そう。あとで詳しく教えてー!」
爽やかに笑うクラースさんは基本的なことを細かく丁寧に教えてくれた。工房では基本的に、王国内の貴族や王立施設のもとへ赴く行商人が取ってきた注文書を確認し、基本仕様書の通りに作るのが毎日の仕事であること。
特殊な注文制作になる場合は研究開発部門を通して、工房との相談を経て設計書や仕様書が作られる。その通りにガワを作り、部品を作り、検査してから組み立て工房へ送り出す。その繰り返し。
そこに書かれた図や文章が読めないとなると全く仕事にならないのだが、新人はまず手を動かす。教わったとおりに作り、今触っているものが何かというのを頭と身体に叩き込む。
最初は複雑じゃないガワ工員から始まって、複雑な部品を作る内部工員を経て、班長になった後、設計書を読み書きし、指示する方へ昇進してゆく流れである。
何をどう見ているのか、どうしても忘れてしまい迷っているときには必ずクラースさんがそばに来る。不安と安堵で心を揺らしているうちに、俺はたった一日ですっかりクラースさんに対して信頼を寄せるようになっていた。
あの教頭先生は、俺が作った紙束をもう全て読み切った頃だろうか。半分ヤケクソだったし、何度も何度も途中で止めようと思ったが、あれを書いておいて良かった。完成させて良かったと、改めてそう思った。
終業の鐘が鳴る。入寮しているので夕食も食堂で食べられる。メニューを選んだりはできないが、人様に作ってもらったものは大体なんでも美味しいものだ。昼食が結構美味しかったので、これも日々の楽しみになりそうだ。
「おーい、ジルくん。それ明日でいいよ。ご飯食べよ! あとさー、朝に言ってた話聞かせてー」
澄んだ瞳をキラキラと輝かせながらクラースさんが近づいてきた。昼休憩のときには眠ったほうがいいということで話せなかった、俺にとっては災難続きだっただけのあの話。面白くできるだろうか。
結果から言うと、全くもって心配はなかった。次は、と言うと『まだあるの!?』と言って笑い、まだ覚えていた反省文の内容をかいつまんで解説すると『文才すごいね!?』とまた笑いながら誉められた。
くそう、話しかけやすい見た目だけでなく、人の話を聞くのも上手い。クラースさん、俺はそっちの方が遥かに羨ましいと思います。
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