向日葵花占い館の殺人

広河長綺

第1話

クローズドサークルで殺人する奴はバカだ。探偵に「犯人はこの中にいる」というヒントを与えているのだから。


しかし、そんな愚か者のおかげで探偵と私のような探偵助手は稼ぐことができている。


 この皮肉な状況についての疑問が頭の中で膨らんできて、そこから気をそらすように私はレア=セルリョさんの寝室のドアをノックした。


「どうぞ。入ってきていいよ」という返答が部屋の中から聞こえたので、ドアを開けさせてもらうと、ソファに腰かけた20代の金髪女性がテレビで経済ニュースを見ながら花占いをしていた。


 それだけでも異様なのに彼女は、赤や黄色や紫といったけばけばしい色合いの数珠みたいな腕輪やネックレスを何十にも身に着けていて、花占いのために花びらをむしるたびに、それらがぶつかってジャラジャラと音をたてていた。


 ここ向日葵館が、イタリア人の世界的に有名花占い一家セルリョ家の別荘であることを知らなければ、私は面食らっていただろう。


 しかし、名探偵の助手としてこの館に来ることが決定した段階でこの家族を下調べしていた私は、異様な儀式や服装を目にしても「あぁ、レアさんは今仕事で花占い中なんだな」と察して驚くことはなかった。


驚くことは無かったのだが、結局、どのように声をかけたらいいのかまではわからない。


私は、「占いを邪魔しちゃマズいよな」「でも探偵が呼んでいるんだけどな」とヤキモキしながら、レアさんの背後に立ち、占いが終了するのを待った。


窓辺に飾られた生け花。赤くてフカフカの絨毯。映画の中でしか見たことないような本物の暖炉。


 外ではこの屋敷を孤立させクローズドサークル状態にした吹雪が吹き荒れているが、窓も高級なので雪や風の音は室内に入ってこない。豪華な装飾で彩られた寝室に、花びらを千切る音と、テレビから出るニュースキャスターの声だけが響く。


 明日ドル安是正策についてアメリカ中央銀行が会見する予定というニュースを全部読み終えたアナウンサーが「それでは次のニュースです」と言った頃。


「やっと終わった。ああ、そこのキミ、待たせてごめんね」レアさんは元気な声で謝罪してきた。ペコペコと可愛らしく何度も頭を下げる。「明日の株価を花占いで予想してほしい、という依頼がウォール街からあってね。冬に花を咲かす品種改良された向日葵は貴重だから、花占いを途中でやめるわけにはいかないんだ。君はあの楠多見くすのきたみとか言う女子高生探偵の友人の、えっと、千春ちはるちゃんだっけ。何か用?」


「友人、ではなく探偵の助手している千春です」

友人と言ってもいいのだが、レアさんにオフィシャルな用事だと思って欲しいので、の肩書きを敢えて強調した。


「女子高生探偵の楠多見くすのきたみが、これから殺人犯を指摘するので、この館にいる人を広間に集めているんです」


「私の父の死亡は入浴中の事故死だったはずだけど、実は殺人だったということね。まぁそれは別に驚くことじゃないんだけど、あなたみたいな女の子が探偵の助手ってことの方がビックリ。おっと、女性差別とかじゃないよ」

と、レアは言った。慌てて、言い訳を付け足す。

「ほら、シャーロックホームズの助手だってワトソンだし」


 確かに探偵が「知力」に集中できるように、犯人の「暴力」に対抗する武術を担当するのはワトソンの存在意義の1つだ。その観点から女性探偵の探偵助手は男性が多いのも事実である。

 その点を指摘してくるレアさんは頭がいい。


 なら、信頼してもらえるようになるべく本当のことを言おう、と考えて「昔は男のだったんですけど、多見さんに恋に落ち、非常に激しく言い寄ってきたらしいです。ストーカー一歩手前だったとか。それに懲りて、女の探偵助手にしたそうです」と、教えてあげた。


「ああ、なるほどね。確かに楠多見探偵って、カワイイもん。自己主張激しいケバケバしい美人じゃなくて、静かな美人って感じ。…おっと、なるほどって言うのは、セクハラ肯定してるわけじゃないよっ!!」

レアさんの声は上ずっていた。2回目の失言にちょっと動揺しているようだった。

「いや、これ以上喋っても良くないね。大人しく黙って広間に行くよ」


 レアさんは、立ち上がって寝室を出て、広間に向かって歩き始めてくれた。最終的には、セルリョ家の中では一番探偵に協力的な態度だ。


 しかし、「黙って広間に行くよ」と言った数秒後に、レアさんは「でもさ、探偵ってなんで全員を集めて犯人指摘するの?犯人の所にだけ行って逮捕すれば良くない?」と言い始めた。

 さっきから痛いところばかり突いてくる。


「他の探偵は自己顕示欲を満たすためですが、楠多見は違います!」ここで言い負かされたらダメだと思った私は、必死に主張した。「楠多見は特殊な思考回路を持っており、全員を目の前にして事件を振り返ることでその人たちの視点を想像して、その場で犯人やトリックを閃くのです。信じてもらえないでしょうが、楠多見はこの思考法で100件以上の殺人事件を解決してるんです」


「いや、信じるよ。占いの前に儀式が必要って言い換えたら、私たちの占いと一緒だからね」


「論理が必要な推理と非科学的な占いを一緒にするな」という文句を口から出る寸前で飲み込む。気持ちよくお喋りすることで怒らずに広間に来てくれたら、それでいい。忘れちゃダメなのは、探偵助手である私の役目「レアさんを広間に連れていく事」だ。


 不服な気持ちを抑え込み、レアさんの言葉に相づちをうちながら歩いていると、広間のドアの前に差し掛かった。狙い通りだ。


 年季の入った大きな木製ドアの前で、私とレアさんは立ち止まった。このドアの向こうに、関係者が全員集まっている。


 私は「レアさん、どうぞお入り下さい。もう間もなく探偵による推理が披露されます」と言って重いドアを押した。


 中では、シャンデリアで照らされた部屋に数十人が立ち話していたが、狭さは感じない。豪邸の部屋が広すぎて、一見するとホテルの会食パーティのような優雅さすら感じる。

 しかし、よく見ると服装が変だ。


 こういう高級な部屋に似合うスーツを着ている人が、1人もいない。


 レアさんと同じような呪術的な腕輪やピアスをした個性的な人たちが、不安そうな顔を見合わせてお喋りをしている。


 私の事前調査によると、ここの人たちにとって腕輪は呪術的に重要なアイテムらしく、トイレでも風呂でも絶対に外さないらしい。だから探偵の推理を聞きに来た場で、ブレスレットをジャラジャラいわせているのも、セルリョ家の皆さんにとっては変な事じゃないのだ。



 ただ服装はユニークでも、場の雰囲気は「」と変わらない。


 この中に犯人がいるという猜疑心と、自分が殺人犯と指摘されたらどうしようかという恐怖。

 暗く重い空気が渦巻く広間の奥に、1人だけ妙に落ち着きソファに座り手帳を読んでいる少女がいた。探偵の多見ちゃんだ。


 多見ちゃんは、さっきレアさんが言っていたように「静かな美人」だが、儚さが度を越して人間味すら薄くなっている子だった。


腰まで伸びたカールがかかった長髪、無表情な冷たい目、小柄な体が、西洋人形のように見えるからかもしれない。


 広間に入ってきた私をチラッと見て、多見ちゃんは手帳を閉じ、細い足でおもむろに立ち上がった。「今から推理を始めます!」と宣言したわけでもない、ただそれだけの所作で、広間の中にいる人々の視線が多見ちゃんに注がれ始めた。


 先ほど私とレアさんが着いたことで館の中にいる全員が広間に揃い、手帳を読み終えたことで多見ちゃんの頭の中の事件情報を整理し終えた。これで、推理を披露する準備が完全に整ったことになる。


 事件解決の予感を、広間にいる全員が感じていた。


 広間を満たしていた猜疑心を帯びたざわめきも、段々静かになっていく。


 なのに、多見ちゃんはしばらく経っても口を開かない。


 この時、普段の殺人事件と違って全員集合しても推理が始まらなかったのは、多見ちゃんの体調不良が原因だった。なぜわかったかと言うと、彼女の顔が数分前と比べて蒼白になっていたからだ。


しかしそれを察する事ができるのは、普段から多見ちゃんの顔を見ている私だけだった。


 多見ちゃんの肌は元々色白なので、顔色の悪さが非常にわかりにくくなってしまう。今日初めて多見ちゃんを見る占い師の人たちの視点では、ただもったいぶっているクズ探偵に見える。


 そうなると、体調不良の多見ちゃんに暴言を吐くような人が出てくるという最悪な展開が懸念される。不安で居ても立っても居られなくなった私は、思い切って「皆さん、ちょっと失礼しますね」と言い、多見ちゃんの手を取った。


 そしてそのまま広間の隣の部屋に、多見ちゃんを引っ張って連れて行った。占い師の人たちから非難の視線を浴びたが、多見ちゃんの体調が大事なので、無視した。


「おいどこ行くんだよ!推理始めろよ」

心無いヤジが、広間から立ち去る私たちの背中に向かって飛んだ。




 となりの部屋に私たちが駆け込み広間とつながるドアを閉めた時、多見ちゃんの足は震えていた。

私が探偵助手を始めた頃に、よく見た症状。


「嫌な記憶が蘇った感じ?」


「うん」多見ちゃんは弱弱しく頷いた。「占い師一家の中に、前の探偵助手と顔が似てる男の人がいて」


やっぱり。男性恐怖のフラッシュバックだ。


 そのクズ男の後任で私が探偵助手をやり始めた当初は、もっとトラウマに苦しんでいた。マシになった今でもなお、これほど苦しむのだ。正直、見てられない。


「多見ちゃん。辛いんだったら、依頼金返して、探偵業務を放り出してもいいんじゃないの」


「でも、私は妹がアメリカで心臓手術するお金をなんとしても集めるって決めたから。探偵もやり遂げるよ!だからさ、ちょっとハグさせて」

多見ちゃんは彼女自身を鼓舞しながら、私に抱き着いてきた。


微かな甘い香りが漂う。


「本当に、探偵助手が千春でよかったよ」多見ちゃんは私の肩に頭を乗せながら言った。「前の探偵助手みたいに、私を性欲の対象として見ていないから」


 その言葉に、私は曖昧な微笑みで答えた。


 照れているのではない。的外れだからだ。


 私は、多見ちゃんのことが好きだ。友人としてではなく、もっと強く深い意味で。

 クソな男の暴力で憔悴していた多見ちゃんに近づき、探偵助手を引き受けたのも、美しい多見ちゃんを近くで見たいからであり、下心でしかない。


 でもそれを言うと、私も、前任のクズ男探偵助手と本質的に同じ種類の人間になってしまう。

 

 だから「私は、多見ちゃんを支えるよ」と、昨日多見ちゃんと恋人になることを夢想していたことを無視して、都合のいいことを言った。


 そんなウソまみれの私の言葉で、多見ちゃんは元気になれたらしい。多見ちゃんは「ありがとう。落ち着いたよ」と頷いてドアを開き、力強い足取りで広間に戻っていった。


 多見ちゃんは、探偵としての本来の調子が出てきたらしい。

「皆さん、すいません。今から事件をサッと振り返りましょう」と、広間に戻るとすぐに堂々と喋り始めた。


「まず、数日前に殺害予告を受けた件で、この花占い一家セルリョ家の当主でイタリア人のロレンツォさんに、私と助手の千春は調査を依頼され、この館に来ました。しかしその後吹雪が発生しこの館は外界から孤立しました。その後ロレンツォさんが大浴場に1人で入っていたときに、湯船で溺死しました。第一発見者は私と助手の千春で現場に怪しい物は見つけられず、彼は70歳と高齢ですし館の中にいる全員に死亡推定時刻のアリバイもあるので、事故死だと思われていました。でも実際は殺人だったのです」


全員の前で事件の経過を振り返った時、多見ちゃんの目つきが鋭い物に変化した。いつも見ている私にはわかる。


容疑者たちの前で事件を振り返るという「」を終えたことで「」が降ってきたのだ。


そして彼女は「犯人はあなたです」という宣言とともに、1人をしっかりと指さした。




その指の先には、私の顔があった。


「どうして、人を殺したの?探偵の私を支えてくれたのは、千春ちゃんだよ」

多見ちゃんは私に尋ねた。


「どうして、私が殺人犯だと思うの?私のアリバイの証言者は多見ちゃんだよ」

私は多見ちゃんに尋ねた。


「この現場写真みて」多見ちゃんは、さっきまで読んでいた手帳の1ページを開いて私に見せてきた。「死体が入っていた浴槽から、死体とお湯を抜いた状態なんだけど、浴槽のココだけ不自然に水滴がついてない。ここだけ撥水加工されてるんだよ」


「それが?」


「吸盤が接着剤もなく壁などにくっつくのは、吸盤と面の間に空気がなく、そとの空気圧だけの状態になるから。超撥水加工した面と面を水中でくっつけると同じ原理で面の隙間に水がなくなり、水圧によって2つの面がくっつくんだよ」


「じゃあ浴槽の撥水加工された部分は、何とくっついてたの?」


「呪術的ブレスレットでしょ?ここの家の人は身につけたまま風呂に入る。でもこの浴槽のお湯の中でだけブレスレットが手錠になるんだよ」多見ちゃんは私から目を逸らさず、早口でハキハキと推理を言った。「ブレスレットで被害者の動きを封じたら、水位を上げればいい。ここの浴場は温泉と同じ規模なので、レジオネラ対策で水は循環している。そのシステムに細工すれば、水位がゆっくり上がる状態にできる。ブレスレットで立ち上がることができなくなっているロレンツォさんは、千春ちゃんがアリバイを作れるだけの十分な時間の後に、そのまま溺死。そのあとは水位を下げて、ブレスレットを水の外に出せば接着が解除される、でしょ?」


「なんで私が犯人ってことになるの?」


「ロレンツォさんの死体のブレスレットのどれにも撥水加工の仕掛けがないから。死体に近づけたのは私とあなただけ。私の目を盗んでトリックの証拠隠滅できたのは千春ちゃんだけ。そして千春ちゃんは賢いから唯一の証拠の撥水加工腕輪を、さっき広間に人を集める時に、別の人の部屋に入れたでしょ?実は私は今までの探偵活動でずっと、クローズドサークルで1件目の殺人が起こった後に隠しカメラを建物に仕掛けるようにしてきたの。千春ちゃんにも秘密にしてきたけど、まさかここで役に立つとはね」


 正解だ。私はさっきレアさんの部屋に行く前、広間以外に人気ひとけがなくなったことに気づき、凶器である撥水加工した腕輪を、レアさんの妹の自室に入れていた。それを撮影されていたら言い逃れはできない。


 言い逃れを諦めて肩を落とした私に多見ちゃんはつめよってきて「なんで、この状況で殺人なんかしたの?なんで?」と怒鳴ってきた。


 多見ちゃんは私の心を推察する時だけバカだよなぁ、と思う。


 そんなのクローズドサークルが解除される明日まで待ってたら、に決まっている。ドル安が是正されたら、私の共犯者のセルリョ家の人間からもらったロレンツォさんの生命保険金が、ドル変換した時に減ってしまう。そしたら多見ちゃんの妹の心臓手術費用に足りなくなってしまう。に足りなくなる。


 殺人で手にしたお金をどうやって気づかれずに多見ちゃんに渡すかについては、色々計画を練っている最中だったが、今となってはそれも考えなくて良くなったので解放感すら感じている。


 私としては探偵助手が継続不可能な状態になればそれで良かった。私の我儘わがままじゃない形で、探偵助手という「恋人にもなれずに多見ちゃんの隣にいる地獄」から逃げたかった。


 多見ちゃんが大金を手にして探偵を辞めるか、私が刑務所に行くか。どちらに転んでも私の目標は達成されたことになる。


 もちろんこの狂った動機は、多見ちゃんに知られない方がいい。知れば、罪悪感を感じてしまうだろうから。


 だから私は「動機なんてないよ。バカだから、何も考えずになんとなく人を殺しただけだよ」と、多見ちゃんの詰問に答えた。「何も考えてないバカだから、クローズドサークルで殺人したんだよ」

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向日葵花占い館の殺人 広河長綺 @hirokawanagaki

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