『夏の早朝に猫を拾う話』

小田舵木

『夏の早朝に猫を拾う話』

 夏の朝が好きだ。

 日が上りきらない早朝が。気温が上がる前の夜の冷たさを残した時間が。

 夜勤明けのこの時間。人々が微睡まどろむこの時間に24時間営業のスーパーでビールを買い込む。そこにはちょっとした背徳感がある。人が働きに出る時間に酒をむというのはなんとも楽しい。

 帰り道のお供はアイスだ。モナカにバニラアイスとチョコが包まれたアイス。そいつをかじりながら、新幹線の高架下を歩いていく俺。

 周りには誰も居ない。早起きの老人たちですら眠っているこの時間。

 世の中のリズムとは違う時間を生きている実感。そんなモノに惑わされた時期もあるが。

 学のない俺が手っ取り早く稼ぐには、時間を売るしかなかった。特に人が普段生きる時間。

「孤独に生きるのもやむなし」なんて、頭の上を飛ぶ鳩やカラスに同意を求めるが、返事などありはしない。

 

                      ◆

 

 マンションのエントランスに入って。オートロックを解錠。集合ポストを覗き見れば、中身は意味のないチラシばかりで。

 玄関をくぐって、服を脱ぎ、脇の洗濯機に放り込む。今は回せない。流石に近所迷惑ってヤツだ。

 ベタつく体を浴室に押し込んで、シャワーを浴びる。その時に否応なしに腹が目に入る。最近、下腹が出てきちまった。

 

 浴室から出たら適当に晩飯。冷蔵庫の物を適当に炒めて焼肉のタレで味をつける。コイツを週4ペースぐらいで食べている気がしないでもない。

 さっき買ってきた酒は冷凍庫に入れといたから、少しは冷えてる。プルタブを上げ、中身を流し込む。

「ふぃ〜」なんておっさん臭い声が出るようになったのは最近だ。晩飯をつつきながら呑み進めて。

 

                     ◆

 

 酒を呑み進めれば。妙に孤独がみる。これだから酒は。日々のストレスを癒やさんが為に呑んでいるというのに。

 俺の人生は孤独と共にあったと言っても良い。十代を引きこもりとして暮らし、二十代はそのまま社会に出たのだから。

 人生を四季にたとえるなら。今の歳は夏に当たるはずで。もうちっと燃えるような生き方をしとくべきなんだろうが。

 俺はとりあえずの人生をやりこなすのに必死で。特に浮いた話もなく。

 呑み進める酒の炭酸が妙に沁みて。

「このまま死ぬのかね」なんて空に問うてみて。

「間違いない。孤独に死ぬのみさ。お前のような人間に誰が興味を抱くってんだ?」とセルフアンサーを返して。

 

 窓の外がにわかに明るくなってきた。蝉の鳴き声も高まりつつある。その蝉の生き様を少し考えると、俺と共通点がある。土の下で孤独に生きてきたやっこさんは今、配偶者を求めて必死こいて鳴いている訳で。

 オスの哀しいさがというヤツだ。本能が故の行動。抗う事の出来ない運命のような。

 人類は進化しちまった。己の生殖欲求に言い訳ぐらいはつけられる。だから、俺はメスを求めて愚かな行動はしない。ただ、モテないだけでもあるが。

 生殖欲求なんてモノは生き物にプログラムされた自己保存欲求な訳で。

 自己を保存し、次に継いでいく欲求が薄い俺にしてみれば、定期的に自慰行為でしとけば、何処かに消え去っていく邪魔な何かでしかない。

 

 そう。俺は消え去りたいのだ。この世から。何も残すことなく。

 今すぐ消え去りたいというのではない。ただ、緩やかに、穏やかに、そして孤独に消え去りたい。誰も俺の事など覚えてなくて良い。

 そんな事に何の意義があるというのか?俺には理解出来ない。

 

 人間には社会性が備わっており、人と繋がる事で生きていけると言うが。

 それって社会というものを存続させる為の詭弁きべんたぐいではないか?そう思っている俺がいる。

 そして、そんな詭弁には嘘がきちんと含まれていて。

 社会に参加できるのは、有用な人間のみである、という点だ。

 俺は残念ながら有用な人間ではなく。有用な人間の道具としてしか社会に入れてもらえない。

 

 なんて。

 こうやって厭世えんせいぶるから人が寄ってこないのも事実だ。

 なんにもかんにも文句をつけて回るような人間と誰が関わりたいというのか?

 まったく。反省しなければいけない。

 だが。数年かけて醸成じょうせいしちまったモノを簡単に捨てられないのも事実だ。こうやって人は間違った信念を抱くようになる。

 

                    ◆

 

 3缶目の酒がぬるくなって。外はもう明るく。太陽は容赦なく辺りを灼いていて。

 俺は遮光しゃこうカーテンを閉めて。部屋の電気も消して。

 ほの暗い部屋の真ん中で胡座あぐらをかいて。酒の酔を使って瞑想めいそうじみた事をしてみるが。

 そんな事をしても雑念は払えない。むしろ増していくばかりだ。

「感情なんて余計なモノつけやがって」と俺は神に文句を言う。こんなモノがあるから余計な事になるのだ。ただ日々を生きれれば良いものを。

 

 うんざりしてベッドに倒れ込む。見慣れた天井が俺を迎えてくれる。

 人生の唯一の救いは眠りだ。脳みその活動が緩くなるこの瞬間だけは、から開放される。嫌な夢をみたりもするけど。

 まぶたを閉じれば仄暗さは何処かに消えて。闇だけが俺の世界を占める。

 その闇の中に浮かぶ俺。周りには何もない。

 

                    ◆

 

「君はそうやって人を遠ざけて生きていけると思ってるのかい?」眼の前に現れたは問う。

「実際出来てんじゃねえか」と俺は眠い目をこすりながら答え、辺りを見回せば。仄暗い俺の部屋で。ああ、夢にしてはリアルな背景だ、と思う。

「出来てるフリじゃないか?」誰かは誰かではなく。猫だ。三毛猫。いつも動画サイトで見てる有名な三毛猫様だ。

「人と関わるのは仕事の時だけだぜ」と俺はバカバカしいよな、と思いながら返事をして。

「かもね。でも君は一人になると寂しいなあ、って考えるじゃん?」顔を洗いながら答える三毛猫。

「そん位は許してほしいやね」と俺は素直に答える。猫と問答しているなんて夢でしかないからな。

「その調子で素直に生きなさいな」と三毛猫。

「素直になるには心根こころねが曲がり過ぎてんだよ」俺はたじたじになって答えて。

「気の持ちようで心根なんて真っ直ぐにも出来るさ」三毛猫はくるりと巻いた尻尾を立てながらそう言う。

「根性論言うんじゃない、畜生ちくしょうが」

「確かに畜生だけどね、感情の持ち合わせ位はあるわけだ」俺のベットの足元にいる三毛猫は言ってくれる。

「お前さんは俺より感情をうまく扱えてると?」

「んだね。君みたいに孤独を気取りながら他者を求めるなんて事はしないね」

「そりゃ猫だからだろ?お前らは群れはしない」

「とは言え。関わらない訳でもない」

「あ、そう」ほとほとバカバカしくなってきたが。どうにも邪険に出来ない。俺は猫が嫌いではないのだ。むしろ猫的な生き方に憧れさえある方だ。だから動画サイトで猫の動画なんて見ちまう訳で。

「…君には相棒が要る。この世界に居るには」大仰おおぎょうな物言いで三毛猫は言う。香箱こうばこを作りながら。

「友人か彼女を作れってかい?この歳で?今更?」

「どっちだって遅くはないだろ?」

「彼女はともかく、友人は難しいんじゃねえかな?」歳を食うとビジネスライクな付き合いばかりが増えていく。利をもたらすもの以外とは付き合えなくなっていく。

「そうかい。人間社会は面倒だな」

「猫社会だって変わらんだろうに」

「かも知れんが。君らほど理屈こね回したりしないからね」

「気楽で良いな、生まれ変わりたいもんだ」

「そいつは無理な話だ。生ってのは一度きりなんだよ、選択権などありはしない。猫に生まれたら猫。人に生まれたら人、そいつをやり遂げるのが運命ってもんだ」

「猫のくせにしっかりしてんな?」

「生物に貴賤きせんなしさ」

「平等は良いこった」その言葉を聞くと三毛猫は香箱を崩し、俺の腹に乗ってくる。

「そ。

「全くだな。箱庭に放り込んだ後は放置だ」

「だからこそ、好きにやんなきゃね」

「好きに、ね?」

「君は少しは望むと良い、関わりってヤツを」腹の上でくつろぎだす三毛猫。

「んじゃあ。猫が良いな」

「…人にしときなよ」

「俺は人は良いや。難し過ぎる。だが、猫一匹いっぴき養う位の甲斐性はある」

「保健所なり保護施設なり行きなよ?」

「男性の独居って断られるんだよ」猫の譲渡で一番いやがられる属性だ。過去にやらかした阿呆あほうが多すぎるのだ。

「そうかい。んじゃ。私がなんとかしておくかな。帰り道は気を張ると良い」と言いながら三毛猫は俺の腹を降り、仄暗い部屋を去って行った。

 

                    ◆

 

 仄暗い部屋で目覚める。さて。今は何時なのか?夜勤をやっているとこの辺の感覚がおかしくなってくる。なんせ明るい時間に寝ているのだから。

 時計を見れば夕方。カーテンを開ければ群青色の空が広がって。

「今日もひと仕事片付けますかね」なんて言いながら、俺は支度を始める。

 

                    ◆

  

 さて。くだんの帰り道。俺は酒とアイスを買うのを控えた。夢を信じる訳ではないが、一日くらい気をつけるのも悪くない。休肝日だと思えば良い。

 手ぶらで歩く夏の朝。夜の残り香が微かに残る新幹線の高架下。

 まだ暑さは厳しくなく。夏草の間にはひんやりとした空気が残っていて。

「ここで捨て猫でも出てくるのかと」なんて俺はポツリとつぶやいて。

「なあ」とその言葉に返事がつく。鳴き声がした方に向かえばトラ縞の子猫が居て。

「お前さんが?」と俺は猫に問う。ついでにスーパーで買っておいたオヤツを差し出して。

「フガ」とオヤツに食いつく子猫。

「なんかエサに釣られてる感じだが。ま、連れ帰らせてもらうぜ?」と俺は子猫を抱いて。すんなりなすがままになる猫を家に連れ帰る。10時になったら病院だな。

 

                    ◆


 かくして。

 俺の孤独な人生に猫が付け加わった。

 家に帰れば猫が迎えてくれる。狭いワンルームに押し込んでるのは申し訳ないが、彼は案外あんがい気にしてないらしい。

 

 人生の夏に相棒を見つけた俺。

 彼は15年は生きるはずで。その頃には秋を迎えているんだろう。

 その頃に相棒は何処かに旅立っていく。それを思うと切なくはあるが、まあそれもまた運命で。

 それまでにコイツに何をしてやれるか考えながら生きる他はない。

「長生きしろよ?」と俺は自分の飯より高いエサを彼に与えながら言う。

「フガ」と飯をがっつきながら答えるトラ縞猫。

 

                    ◆

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『夏の早朝に猫を拾う話』 小田舵木 @odakajiki

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