もしお姉ちゃんともう一度地下鉄に乗ってデートできたら

Hugo Kirara3500

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 わたしは、勤め先の会社のオフィスでの勤務時間が終わって、首から下げていたIDカードをストラップごとショルダーバッグに押し込み、ビルを出てすぐ目の前の停留所で市電ストリートカーを待ちました。一分もしないうちに真新しい赤と白のツートンカラーの電車が来ました。乗ってすぐ中のドア横の機械にICプレストカードをタップして五分くらい乗った後に地下鉄の入口が見えてきたので降りました。その階段を降りてさっきのカードを改札にタッチしてホームに出るとちょうどいつもの銀一色の電車がやってきてそれに乗りました。空いていた席に座って、スマホに保存しているお姉ちゃんの写真を見ていると、彼女との思い出の数々がくっきりとよみがえってきます。それがわたしにとってはささやかな幸せです。頭の中がお姉ちゃんのことで満たされてほんわかとしていると、

まもなくローレンス、ローレンス駅です。アライビング・アット・ローレンス・ローレンス・ステーション出口は左側です ドアーズ・オープン・オン・ザ・レフト

最寄り駅を知らせる無機質なアナウンスがわたしの頭の中に割り込んできたので、スマホをひざの上に置いていたバッグにあわててしまい込み、電車が止まるのを待って席を立ちました。

 改札を出て駅の真上にあるスーパーで少し買い物をしてから五、六分くらい歩いて、玄関の前に止まって鍵を開けました。わたしの家はこのあたりによくある古い赤レンガの家です。わたしは中に入るといつものようにお姉ちゃんの部屋に向かいました。

ただいま、お姉ちゃんグッド・イブニング・レイ

わたしはいつものようにテーブルクロスをめくってお姉ちゃんに声をかけました。だけど、返事は返ってくることはありませんでした。今日は帰宅が遅めになってしまったので夕食はさっき買ってきた出来合いの冷凍食品TVディナーを電子レンジで温めてさっと済ませ、シャワーを浴びてからベッドに向かいました。


 今日は、お姉ちゃんに言われるままに有給休暇を取った日です。わたしが朝食のパンを食べていると彼女に、

「おはよう、ジュリア。食事が済んだら出かけるからね」

と声をかけられました。わたしは少し驚いて

「ええっ?どこへ行くの?」

と彼女に聞いてみたら

「ジュリア、いいからお姉ちゃんに任せて」

お姉ちゃんはニヤッとした表情で答えました。

彼女は、朝食が終わったタイミングを見計らって、わたしを玄関の外へ引っ張り出して家を出て二人で駅へ向かいました。駅に着いてお姉ちゃんに

「ちゃんとカードにチャージトップ・アップした?」

と聞かれたわたしはカードを財布から出してコンコースにあった「セルフサーブリロード」と書いてある機械にタッチしました。

それを見たお姉ちゃんに

「やっぱりね。残高一ドル七十セントってほとんど空っぽじゃないの」

そう言われてわたしは現金を受け付けないこの機械にキャッシュカードを入れてとりあえず二十ドル分チャージトップ・アップしました。以前は定期券を買っていたのですが、今はもう月一五六ドルにまで上がってもう通勤だけではもとが取れなくなってしまったのでチャージ残高で通勤しています。一回ごとに払えば三ドル二十セントなのに。それでたまについチャージトップ・アップを忘れて残高が足りなくてあわてることがあります。改札を通って、二人でホームの柱を囲むように作られた円形のベンチに座って数分。南行きの電車が来たので乗りました。ドアが閉まって動き出す頃、車内の向い合せのシートに二人で並んで座りました。わたしは彼女に、

「ねえお姉ちゃん、どこで降りるの?」

と聞くと、

中央ユニオン駅で降りてね」

と言いました。

 電車に乗っている間にお姉ちゃんに

「こうしてジュリアと出かけるのも久しぶりだね」

と言われて、わたしは

「そ、そうだね」

と答えました。

「だってジュリアって仕事から帰ったらすぐにベッドに直行してバタンキューでなかなか会えないもんね」

「お姉ちゃんごめん。平日は仕事のことで頭がいっぱいだから」

「少しは体のことを考えてね。いつまでも若くはないんだし、そのうち道を歩いているとき急に倒れて病院へ直行、ていうこともありえなくはないんだから」

お姉ちゃんにこんなことを言われてとても恥ずかしかったです。

 三十分ほど乗って、その中央ユニオン駅に電車が着いてわたしたちは降りました。階段を登って大陸横断鉄道などの長距離列車と中距離の通勤列車が止まる駅の巨大なホールに出て、その端から伸びている連絡通路 スカイウォークを進みました。空港方面の列車アップ・エクスプレスが出るホームを横目に進み、線路が何本も伸びている上を高架でまたいで外のペデストリアンデッキに出たところに街の象徴である巨大なタワーの真下に着きました。

 わたしがタワーを下から見上げていると、

「ここを登るよ」

わたしはお姉ちゃんにそう言われるまま彼女に引っ張られるようにしてチケットカウンターの前に向かいました。彼女は、

「チケットを買ってくるからここで待ってて」

と言って行列に並びました。しばらく後に彼女はチケットを買って戻ってきて、係員に案内されて二人でエレベーターに向かいました。わたしたちはそれに乗る前に壁に掲示されているタワーの紹介を読んでから並びました。これで高さ三四〇メートルの展望台まで一分で一気に上がります。エレベーターはガラス張りになっていて外の様子が見えるようになっていて迫力満点でした。その間お姉ちゃんはわたしを抱きしめていました。そこから展望スペースに出ると、広大な湖の水面が目に飛び込んできました。タワーのそばにはホッケー場と屋根が半開きになった野球場がある他に高速道路 ザ・ガーディナーが走っていて、ひっきりなしに車が走っていました。反対側に進むと下に私たちの街が広がっていました。手前から線路、オフィス街が見えました。そんな時、お姉ちゃんは、

「お姉ちゃんが勤めている会社はね、あのビルの中にあるのよ」

と、ダウンタウンのビジネス街 フィナンシャル・ディストリクトにある一つのビルを指しました。わたしも詳しくは聞いたことはなかったのですが、わたしが勤めているそれの数軒隣でした。わたしたちはそれからさらに先にある、緑に囲まれた住宅街に目を向けましたが、わたしたちの家はオフィスビルに比べればずっと小さいのでよくわかりませんでした。わたしたちは、ガラス窓を背にして自撮り棒をスマホに取り付けて二人の写真を撮りました。そしてわたしは展望室の売店でペットボトルボトルド・ポップを二本買って奥の壁にあるベンチにお姉ちゃんと二人で座って外を見つめていました。階段で下の階に降りて、ここの売りであるガラスの床の上で軽く飛び跳ねたりそこから下をスマホで撮ったりしました。わたしたちは三六〇度の大パノラマを満喫した後再びエレベーターに乗って地上に戻りました。


 タワーを出て歩いて十五分ほどのところにある船着き場に向かいました。途中、ビーバーテールズと書かれたカウンターを見つけて、香ばしく揚がった強力粉ベースの粘りのある生地の小判型ドーナツを二人でほおばりました。お姉ちゃんが注文したトッピングはチョコレートソース、わたしはシナモンを選びました。このビーバーテイルズ、独特のモッチリ感が格別でした。船着き場に着いた後、しばらく待って出発時間になったのでここから出る沖合の小島に渡るフェリーに乗りました。観光客で混み合う船上から都心部ダウンタウンのビル群が作り出す絶景スカイラインを背景に自撮り棒を持って、金髪がそよ風にふわりと舞うわたしたちの写真を撮りました。ちょっと二人ではしゃいじゃったかな。島に着いた後はいったん降りて遊歩道を散策しました。


 わたしたちは帰りのフェリーを降りてダウンタウンに戻った後、また十五分ほど歩いて街を代表する食の殿堂、公設市場に行きました。大きく広々とした古いレンガ造りの建物の中にはさまざまなお店が立ち並び、新鮮な食材に囲まれた通路を散策しました。八百屋の前を通りかかったときお姉ちゃんに、

「忙しいのはわかるけど、近所のスーパーでいいからこういうのを買ってちゃんと料理しないとだめだよ」

と言われました。両親は少し前に仕事の都合でしばらくの間ママが生まれ育った西部の田舎町にともに移って、お姉ちゃんとわたしだけの家になってから、時間がなくて食事の用意が雑になってきているのでこれだけはきちんと反省するつもりです。わたしだけではなくお姉ちゃんのためにも。そして建物の中を歩いている途中にいくつかデリの店があって、お姉ちゃんが昼食代わりに買ってきて近くのテーブルに座って二人で分けて食べました。彼女にとってフィッシュアンドチップスと西洋餃子ピーロギーがとても美味しかったのか、満天の笑みを見てわたしも嬉しかったです。


 そこからわたしたちは市電 ストリートカーを乗り継いで、古着屋や軽食の店が多く立ち並ぶ一角に向かいました。このあたりは派手な原色に塗られた家々があったり裏路地はあたり一面の壁画に覆われていました。お姉ちゃんは観光客に混じって軒下を借りてアコースティックギターで演奏しているストリートミュージシャンの前に立ち止まって、それを見たわたしもつられて聴いていたり、通りがかりの路上に何かを描いている壁画家を見たり、そこかしこに軒を並べている古着屋をのぞきました。カラフルな街並みを横目にたこ焼き オクトパス・ボールを食べたりチュロスをかじりながらぶらぶら歩くのが楽しかったです。


 わたしは歩いているうちにまたちょっとお腹が空いてきて、せっかくここまで来たんだからいつもとは少し変わったものを食べたいなと思い、お姉ちゃんと一緒にチャイナタウンと呼ばれる表通りに出ました。ほんの少し歩いただけなのに雰囲気がガラッと変わって漢字の看板で埋め尽くされていました。そこの一角にあった店に入って小籠包 ジューシー・ダンプリングスを二人で食べました。わたしが口にすると中に入った具のジューシー感と皮のモッチリ感が期待通りで大満足でした。わたしたちは食べ終わった後、目の前にあった停留所から市電ストリートカーに乗って十分ちょっと乗って地下鉄に乗り換えました。わたしは隣りに座ったお姉ちゃんに、

「ねえお姉ちゃん、今度はアイスホッケーか野球の試合を見に行かない? それとも泊りがけでナイアガラの滝まで行く?」

と聞いてみたら、

「ジュリアが行きたいところでいいよ」

とニッコリと答えました。たまに電車がトンネルから地上に出たとき窓から差し込む夕日がまぶしかったけれど、今のわたしにはそれが暖かく感じられました。




 「ふあぁーあ……あ、朝だ」

わたしがガバっとベッドから起き上がるとスマホがジリジリとアラームを鳴らしていたのであわててスワイプしました。そのときは時刻は涙でにじんで読み取れませんでした。そして枕に手をついたらしっとりとぬれていました。目をこすってもう一度時刻を確認すると午前七時過ぎでした。まだ頭の中に残っている懐かしくて優しくてちょっぴり甘いお姉ちゃんの声の余韻に浸りながらフライパンでササッとベーコンエッグを作って食べた後、出勤前に彼女の部屋へ向かいました。そこに置かれたアクリルケースの中で今日も静かに眠っている彼女に、

「今晩夢の中でお姉ちゃんとデートできて本当にうれしかったよ」

と、そっとつぶやいた後彼女の寝顔を見ながらケース越しに口づけをしてから出勤しました。 


 あの日からちょうど今日で六年がたってしまいました。二年ほど前にあの病気の画期的な薬ができたんですが、お姉ちゃんには間に合わずそれが残念で悔しくて仕方がありません。話しているうちに涙が出てきてすみません。あの時にその病気の研究財団に寄付をしたのですが、それが少しは役に立ったのでしょうか、と思いたいです。遺伝病なので完治することはないのですが、ある程度症状が抑えられてほぼ問題なく日常生活が送れるようになりました。いわゆる寛解 レミッションという状態ですね。テレビニュースでこの薬を使った同じ病気の子供たちが元気で外で走り回っている姿を見ると胸に来るものがあって複雑な思いをします。


 生まれつき病弱だったお姉ちゃんとの思い出。彼女が小さい頃からせきが止まらずに肺炎で入退院を繰り返していて、二人でいるときはせきをするたびに心配して声をかけました。たまに体調の良かったときは二人で近所の公園とかにここぞとばかりに遊びに出ました。彼女が遅い時間まで遊べたときは子供心ながらうれしかった記憶があります。ところが、お姉ちゃんが高校に入ってからしばらくすると家には酸素濃縮器が置かれ、携帯用酸素ボンベを持ち歩くようになってしまいました。昨夜、お姉ちゃんが夢の中で言っていた「ジュリアが行きたいところでいいよ」の一言、彼女がほとんどどこにも行けなかったということを思い起こさせました。わたしは今でも少し無理してでも二人で遠出すればよかったと後悔しています。

 

 お姉ちゃんが十八歳くらいの時のとある夜、一時退院中の彼女と一緒に夕食をとっていた時に、

「私ねえ、ずっとジュリアと一緒に過ごしたいよ、家の中で。無理だったらごめんなさい」

彼女は目に涙を浮かべながらママとわたしに言ってきたのです。そのときの彼女の表情を見るのは本当につらかったので今でもそれは鮮明な記憶として残っています。その後、小児病棟でうわさを聞いたことがあった「フィンレー・フューネラル・サービシーズ」という葬儀社で相談のために予約を取りました。そして後日わたしはお姉ちゃんやママと一緒にそこに行きました。わたしたちが中に入ると社長オーナーのアマンダさんが出迎えて応接室に通されました。わたしはお姉ちゃんの車いすを引いた後一回椅子に座ったのですが、彼女はわたしに、

「ジュリア、ちょっと話したいことがあるんだけど」

と言われたので彼女の車いすの横に立ちました。その直後お姉ちゃんは突然、手を伸ばしてわたしを抱きかかえながら、

「はじめまして、レイチェル・チャーニックと申します。ずっと妹のジュリアと一緒に家にいられる方法はなにかありませんか?」

と、アマンダさんにニコっとした笑顔で声をかけました。わたしがお姉ちゃんの大胆な行動に呆然としている間に彼女が、

「これならいかがでしょうか」

と紹介したのが、「ずっと一緒だよエターナル・ビューイングプラン」でした。それは何かというと、不幸にして病気で短い一生を終えざるを得なかったり、あるいは不慮の事故で息子や娘を突然失い絶望の淵に立たされたりしたといったときなど、画期的なエンバーミング技術で家族や本人の希望によって家でずっと一緒に過ごせるようにできるというものでした。彼女はエンバーマーになるために通った大学で知り合ったという西部出身の友人に、卒業してからその友人のところでしばらくインターンをして技術を教えてもらった後、営業地域がかぶらない東部の都市であるここで葬儀社を開いたのです。そしてその後彼女たちは仲間を集めて「エターナル・ビューイング・アライアンス」という同業組合というか勉強会を作ったそうです。その後何年か過ぎ、彼女と葬儀社、そしてプランの名は口コミで広く伝わっていて、すでにたくさんの実績がありました。わたしたち三人はいったんパンフレットと書類を持ち帰って家で話し合って、数日後に全員一致で、お姉ちゃんに万が一のことがあったときに彼女をずっと部屋に置いておくことを決めて書類にサインをしてアマンダさんに送りました。


 そしてその数年後、とうとうこの日がやってきてしまいました。わたしにとって最も長かった一日です。放課後学校で突然呼び出されてタクシーに乗って病院へ急ぎました。乗った距離はせいぜい数キロだったけど、その間はまるで永遠のように感じました。わたしがお姉ちゃんの病室に着くと昼の間は彼女とずっと一緒にいたおばあちゃんと家族全員が集まっていました。わたしはお姉ちゃんの手をそっと握って

「大好き」

とつぶやきました。そしてお姉ちゃんは

「私もジュリアのことが好きだよ、これからもずっと」

と言いました。その後アマンダさんがやって来てお姉ちゃんを病院から連れて行った後、空になったベッドを見た後はもう涙があふれて止まりませんでした。


 その後わたしは何日か家でふさぎ込んでいました。そしてわたしはママに引っ張り出されてアマンダさんのところに連れて行かれてホールでお姉ちゃんと再会しました。わたしの目の前の彼女はエンバーミング処置がすんで、家で普段通り過ごしているようなスウェット姿でベッドに横になっていました。その時はそれが現実だということが受け入れられなくて、もう意識が上の空のようになっていたのです。そしてわたしは気がついたときにはすでにベッドの上から彼女を抱きしめていました。わたしの全身で感じたひんやり感、そして長く保存するために体内に注ぎ込まれた高濃度の薬剤で少し硬めのゴムのようになった肌触りが記憶に強烈に焼き付きました。わたしが後で思い出せたのはそこまでで、手元に残っているお姉ちゃんの式の案内状のプログラムを読み返すと、その後ホールでお姉ちゃんの一生を編集したビデオが流れて賛美歌を歌って牧師さんの説教があったそうなのですが記憶に残っていません。後で幼なじみで集まった時、友達のコートニーがわたしの前でその場にいた他の友人たちに、

「ジュリアちゃんってね、式場の中をうつろな顔してさ、ふらふらうろついていたんだよ。捕まえて椅子に座らせようとしたんだけどそれが大変だったんだ。数人がかりでやっとだよ」

などと言いました。その時は顔が真っ赤になったけど、それだけお姉ちゃんはわたしにとってそれだけ大きな存在なのです。その当時も、もちろん今も。最近、彼女に偶然ばったり会ってうちの近所のドーナツ屋さんティミーズでお茶しました。彼女はいきなりわたしのほっぺたを指でぷにぷにしながら、

「最近、きみの姉ちゃんの様子どう? きみの姉妹愛、うちらの間ではちょっとした美談よ」

なんてことを言いました。また彼女に顔を真っ赤にさせられてしまいました。お姉ちゃんのことは内緒にしていたはずなのに。周りにバレていないと思っていたのはわたしだけでした。

「気にしなくてもいいよ。あたいはきみたちの関係をちゃんと認めているし尊敬もしてるよ。一人っ子のあたいから見るとなんかうらやましくてさ」

一応彼女にフォローされましたけど チェア・ミー・アップ・ビット


 脱線したので話を戻しますが、式が終わって、お姉ちゃんはようやく家に帰ってきました。わたしはアマンダさんのバンで運ばれてきた彼女を担架から下ろしてリビングのカウチに座らせました。もう病気で苦しんだり家から離れて病院へ行くことはないけれど、話しかけても何も答えてくれなくなってしまったんだ、という複雑な感情を持ちながら。それに病院ではなくうちで十分くつろいでほしかったのです。たまに、彼女はもう食べることができないのはわかっていたのですが、これが最後だと思いながらダイニングテーブルの椅子に座らせて食事を出したこともありました。そして保存用の透明ケースが届いた日にお姉ちゃんを家族全員でハグした後、ケースの中のマットの上に寝かせてからふたをかぶせた後台座に乗せて彼女が使っていた子供部屋に置きました。そしてわたしがお姉ちゃんに話しかける時以外は、日よけのためケースにテーブルクロスを掛けています。アマンダさんの技術は素晴らしく、それから何年もたった今でもお姉ちゃんは軽く寝息を立てているだけのようでした。だから昨日はあんな夢を見たのでしょうか。もし彼女が元気だったら会社の帰りに、太ってしまうかもしれないのを承知で、お姉ちゃんといつものドーナツ屋さんティミーズに行ってコーヒーを片手にしてドーナツを何個か二人でつまんで食べたかったです。でもそれもかなわなくなってしまいましたね。こんな事を言っているうちにまた涙が出てきました。出勤中の電車の中なのに。


 翌朝、出勤するときも昨日と同じように、まるで人形みたいにきれいなまま時が止まっているお姉ちゃんに「おはよう、今日も行ってくるからね」とケースをそっとなでながらあいさつして出かけました。わたし、お姉ちゃんが生きられなかった分までしっかりと生きるからね。とりあえず少なくても百二十歳くらいかな。だからわたしはお姉ちゃんと約束するよ。夢の中で言っていたみたいにあんまり遅くならないうちに仕事を終わらせて、作り置きだけど新鮮な食材を使ったちゃんとした料理を食べて、いつも会社近くのドーナツ屋さんティミーズでオーダーしてデスクで飲んでる砂糖マシマシクリーム多めのコーヒー ダボー・ダボーはもうやめて今日から必ずブラック、そして毎日社内ジムで適度な運動をするからね。わたしが「ゆっくり休んでね レスト・イン・ピース」なんて口にするのは百年後の話だからね、お姉ちゃん。



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