マーガレット

「パパ、あのお花は、なんて言うの?」


 ようやく覚えた言葉を使いたくてたまらないらしい。

 お墓参りにもかかわらず、娘の好奇心は止むことがなかった。


「ああ、あれはね」


 黄色い小さな花の塊が、白い花びらに囲まれている。

 母が好きだった花だ。


 私がまだ小さかった頃、母は私の手を引いて、近くの役場まで散歩をすることが多かった。

 そこには、白い可憐な花が咲き誇っていた。

 マーガレットだよと教えてもらった気がする。


 そこで母は私を離し、自分は少し離れた所でぶらぶらと歩いていた。

 思えば母は泣いていたのだろう。

 姑とあまり折り合いがよくなかった母は、あの家で苦労していた。


 おばあちゃんがと言っては泣き、おじいちゃんがと言っては泣き、父がと言っては泣いた。

 それでも、その野原から帰るときは、いつもの笑顔に戻っていた。


 やがて、私や妹が家を離れることになった。

 母はただニコニコと笑っていたが、笑う種が家からなくなって、どんなに辛かったことだろう。


 祖母や祖父が亡くなっても、母親の悲しみは消えなかった。

 交友関係が気にくわない、あれが気にくわない、これが気にくわない。

 今までの鬱憤を払うかのように、父を攻撃し始めた。


 父にも悪いところはあったろう。

 けれども、積もり積もった宿恨が、母親を苦しめていた。

 あのマーガレットの咲く野原は、もうコンクリートに覆われていた。

 母は、もう泣くことができなかったのだ。


 母の墓に来るのは、もう3回目になる。


 母は、私の子、特に息子をかわいがった。

 私に似ていると言えば喜び、似ていないと言えば心配した。

 もう、中学生になるというのに、いじめられていないか何度も電話を掛けてきた。

 そんなの杞憂だよと、何度言っても母は心配した。


 それが自分の役割であるかのように。


 やがて、時期が来ると母はめっきり元気がなくなった。

 あっという間に、皆に看取られていた。

 周りが涙を流しているにもかかわらず、

 母だけは小さく微笑んでいた。


「もう……苦しまなくていいね」


 そう言うと、眠るように旅立ってしまった。


§


「パパ?」


 しばらく黙っていた私の袖を、娘が引いた。


「ああ、マーガレットって言うんだ。おばあちゃんが好きだった花だよ」


「ふうん」


 娘は花を摘むと、その茎を振り回し、


「マーガレット~、マーガレット~、白いお花~」


 と、デタラメな歌を歌いながら、東屋の方へ行ってしまった。


 私は娘に、花が好きなこと、心配性であること、料理がうまいこと、母の何を受け継いでもかまわないけれど、ただ一つ、涙の多かった人生だけは真似させないでほしいと、墓の前でお願いするのである。

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