第2話
6
「掃除をしようと思うの」朝食を食べ終わるとアニーは唐突に言った。
「掃除?」
「そう。手伝ってくれる?」彼女は手を合わせて私にそう聞いた。
彼女の家には使わずに放置している部屋があって、
その部屋はかなり散らかっているらしい。
ずっと掃除しようと思いつつしないままだったので今日こそ掃除がしたい。
要約するとだいたいそんなことを彼女は話していたわ。
「メアちゃんと一緒なら、やれる気がするの」と言ってアニーが微笑む。
少しでも恩を返したかった私は喜んで「うん」と言ったわ。
入ってみて、その部屋はまるで書庫のようだと思ったわ。
たくさんの魔導書が床のいたるところに積みあがっていて、
窓際には一つだけ机があった。
「この魔導書はあなたのもの?」と私は聞いた。
「違うわ」とだけ言って彼女は魔導書を撫でた。
私は首を傾げたわ。
彼女のほかにここに誰かが住んでいたのかしら?
もしそうならその人はいったいどこに行ったの?
それから掃除は始まった。
私とアニーは本をいくつかにまとめて紐で結んだ。
それが終わると紐で結んだ本を玄関の横に運んだ。
机だけになった部屋に雑巾がけをした。
ちょうどそのあたりで日は暮れはじめ、
アニーは休憩しましょうと言って居間に寝転がってしまった。
まだ疲れていなかった私は机を綺麗にしようと思って引き出しを開けた。
すると、引き出しの中から一枚の写真が出てきた。
アニーと男の人が映っていた。
二人は家の玄関の横で抱き合って幸せそうな顔で笑っていた。
一目見てその男の人がアニーの恋人だと分かったわ。
きっとこの部屋はその恋人の部屋なんだと思った。
ねえアニー。
どんな家事も毎日律儀にこなすあなたが、
この部屋だけ掃除していなかったのはなぜ?
今になってこの部屋を掃除しようと思ったのはなぜ?
その疑問の答えがわかった瞬間、私は泣きそうになった。
すぐにその写真を引き出しに戻したわ。
私は何も気づかなかったふりをすることにしたの。
7
「あの綺麗にした部屋をね、メアちゃんの寝室にしようと思うの」夕食時にアニーは言った。
私は何も言わなかったわ。
「私の寝相が悪いせいで、メアちゃんいっつもちゃんと眠れていなかったでしょう?」と言ってアニーはすこし悲しそうに笑った。
「そんなことを気にしていたの?」と私が言うと
「私、メアちゃんには幸せになってほしいのよ」とアニーは言った。
「どうしてそこまで…」と私が言いかけたところで、
急に玄関をノックする音が聞こえた。
私が六日間この家で過ごしてきて、初めての来客だったわ。
アニーは真剣な面持ちになって、
階段下の物置部屋に私を押し込んだ。
「私がいいって言うまで絶対に出てきてはだめよ」と言って
アニーは玄関へ向かった。
私は物置部屋の扉を少しだけ開けて、その隙間から玄関の方を見た。
アニーは玄関で、私の父を殺した勇者と話をしていた。
「魔王の娘がこの町に現れたって噂が流れている」と勇者が言った。
「その噂を聞いた時、真っ先に君の顔が浮かんだよ」
「どうしてかしら?」とアニーは言った。
「恋人の仇を取ろうとするんじゃないかと思ったんだ」
「…考えないわ。そんなこと」
「それならいい。念のため忠告しておくけど、子供といえど魔物は魔物だ。一般人が戦っても勝機はない。気を付けてくれ」
「わかったわ」
「君は目撃していないんだよね?人間に角が生えたような見た目なんだけど」
「さあ、見た覚えはないわね」
「…そうか。伝えたかったのはそれだけだ。また来るよ。じゃあね」
「ええ」
勇者が玄関の扉を閉めようとした。
「ねえ」とそこでアニーが声を出した。
「大切な人を殺されたら、あなただったら復讐する?」
勇者はしばらく真剣に考えたあとに、
「せずにはいられないだろうね」と言った。
「そう」と言ってアニーは悲しい顔をした。
8
玄関の扉が閉まり家の中は静寂に包まれた。
私は物置部屋の扉を開けて、静かにアニーを見つめていた。
「アニー」と私は言った。
泣きそうになるとどうして声って震えてしまうのかしら。
アニーが私の方を向いた。
「私が魔王の娘だって本当は最初から気付いていたんでしょう?」と私は言った。
「ええ」
「私の父があなたの恋人を殺したの?」
「…」アニーが目を伏せたのを見て、私は確信した。
「あなたは復讐するために私をこの家に招き入れたのね?」
「違うわ」と彼女は言ったが、私は信じなかった。
「見つけたときにすぐ殺せばよかったじゃない。あなたが望むなら私は殺されてもよかったのに。こんなの悪趣味だわ。こんなことならあなたに優しくなんてされたくなかった!」
私はそう喚き散らした。
「ねえ。お願い。私の話を聞いて」と言ってアニーは私に近づいてきた。
私はもう、彼女の発する言葉がすべて怖くなって耳を塞いでしゃがみこんでしまった。
痛いほど強く目をつぶっていると、彼女は私の体を強く抱きしめた。
振り払おうとしても彼女は私の体を離そうとはしなかった。
「恨まれると思ったの」と彼女は言った。
「私の恋人は勇者のパーティーの一人だったから。それを知られたらあなたに復讐されるんじゃないかと思ったの」
私の耳元で彼女はなおも優しく語り続けた。
「あなたに初めて会ったとき、一緒だって思ったの。街の人たちはみんな楽しそうにしているのに、あなたと私だけが途方に暮れていて、なんだか無性にあなたを幸せにしたくなったの。…今の私にはね、それしか生きる理由がないの」
抱いている腕の力を彼女はもう一度ぎゅっと強くした。
「お願い。私を信じて」
彼女は泣いていた。
私はいつの間にか耳を塞ぐのも目をつむるのもやめていたわ。
9
私たちはまた夕食の席に戻っていた。
「ねえアニー」と私は話しかけた。
「何?」とアニーが言った。
「私、やっぱり寝室は一緒が良いわ」
「いいの?気付いたらまたメアちゃんに抱きついてるかもしれないわよ?」
「それが嫌だなんて思ったことなかったわ」
「ふふ。それなら良かったわ。今日一人で眠れるか不安だったの」
「ねえ、アニー」
「何?」
「これからもずっと私を抱きしめていてね」
私がそう言うとアニーは嬉しそうに微笑んだ。
魔王の娘は愛されたい 秋桜空間 @utyusaito
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