魔王の娘は愛されたい

秋桜空間

第1話

アニーより優しい人間を私は見たことがないわ。

例えば、アニーが初めて私に朝食を出した時のこと。

「こんな見た目が悪いもの食べたくないわ」と言って料理を突き返したのに、

彼女はひたすら謝るだけで全く私を怒ったりしなかった。

もしもこれが私の母だったら、

きっとたくさん暴力を振るわれて三日間はご飯抜きにされているところよ。


彼女は料理の載ったお皿を片付けたあと、私の横に座って

「メアちゃんの好きな食べ物、教えてほしいなあ」

なんて言って微笑むの。


それだけじゃないわ。

この前、私がキッチンで何か食べ物がないか物色していた時のことよ。

棚の手前に高そうなお皿が一枚あって、私は間違ってそのお皿を床に落としてしまったの。

パリンという音が家中に響いて、すぐにアニーはキッチンにやってきた。


「あんな落ちやすいところにお皿を置いたあなたが悪いわ」

咄嗟にそう言って、私は彼女から顔をそらした。

けれど彼女は割れたお皿なんて見向きもせず、

私の顔や手なんかを念入りに確認して最後に私をぎゅっと抱きしめたの。

「怪我がなくて本当によかったわ」と言って。


私がこの家に来てから、アニーはずっとそんな感じなのよ。

一体何が目的で私にこんなに良くしてくれるのかしら。

優しいを通り越してもはや不気味だわ。


父が亡くなった時の話でもしようかしら。

今から四、五日前のことよ。

もう何度目のことか、また新しい勇者たちが父のお城に侵入にして決闘を挑んだの。


父は魔術師を一人殺しただけで力尽きて、勇者に殺されてしまった。

すぐに母も現れたのだけれど、母もあっけなく勇者に殺されてしまった。


それを見てここにいたら私も殺されてしまうと思って、初めてお城を出たの。

裸足のまま森を抜けて、勇者たちに見つからないように必死で逃げ続けた。

幸運なことに勇者たちは私を追いかけてはこなかったわ。


逃げている間、私は死んだ父と母のことを思い出した。

愛された記憶はないけれど、それでも一応私は両親を慕っていたから、

これからは一人で生きていかなきゃいけないんだと思ったら不思議と涙が出たわ。


いくつもの山や森を抜けて、疲れ切った私は木陰で休んで夜を越した。

星以外のものがみんな真っ黒でとても心細かったのを覚えているわ。

とても長い夜だった。


空が明るくなると、少し遠くの方でラッパや小太鼓の陽気な音楽が聞こえてきた。

寂しい気持ちがその音楽のおかげで少しだけ和らいだわ。

もっと近くで聞きたくなった私はその音のなる方へと進むことにしたの。


近くまで来て私は驚いた。

その音楽は人間たちが鳴らしていたものだったの。

とても大きなお城の周りにたくさんの人間が集まって、

カラフルな紙吹雪がそこら中に散って、

お祭りのようにみんな楽しそうにしていたわ。


お城のてっぺんには私の父と母を殺した勇者がいて、

たくさんの歓声を浴びながら手を振っていた。

どうやらこれは私の父が死んだことを祝うために開かれた祭典みたいなの。


ここにいたらまずいと思って私は森の方へと引き返したわ。

それにしても、と私は思った。

父はたくさんの勇者を殺したけれど、

勇者を殺したあとに祝宴なんて開いたことはなかった。

人間は恐ろしい生き物ね。

私が死んだときにも彼らはあんな風に喜ぶのかしら。


私はいろいろと悲しくなってきて歩く気力を失ってしまった。

それで近くにあった切り株に座ってぼーっとしていたの。

気付いたらまた夜になっていたわ。


遠くの方から人影が一つこちらに向かってきて、私を見つけたようだった。

私は殺される覚悟をしたわ。

逃げようとは思わなかった。

何にも良いことがない人生だったなあとか、そんなことを考えていたわ。


近づいてきた人影が月に照らされて、

そこにいるのが二十代くらいの女の人だとわかった。

彼女は心配そうな顔で私を見て、

「夜遅くにこんなところで何をしているの?」と言った。

どうやら彼女には私が魔物ではなく人間に見えていたみたいなの。


私の姿は確かにほとんど人間と一緒だけれど、

とても大きな角が二本頭に生えていて、人間との違いは一目瞭然のはずよ。

私の角が仮装か何かにでも見えていたのかしら?


「なんだっていいでしょう?」と私は言った。

すると彼女は優しく私の顔に触れて、

「顔がすごい汚れているわよ?それに足も擦り傷だらけだわ。かわいそうに」と言った。

優しくされるなんて思ってもみなかった私は固まってしまったわ。


彼女は白いきれいなハンカチを取り出して私の顔を拭いた。

彼女の手が気持ちよくて私はされるがままになっていたわ。


「これで綺麗になった」と言って彼女はハンカチをしまって立ち上がった。

彼女はどこかへ去ろうとしていた。

ここからまた一人ぼっちになると思ったら私は寂しくなったわ。

どうにかしてもう少し一緒にいる方法はないかと考えたのだけど、

引き止めるなんてことは私には恥ずかしくてどうしてもできそうになかったから、

私はただ、何も言わずにあいまいに笑っていたわ。


すると彼女の方から私に

「良かったら、私の家に来ない?」って言ったの。


都合がよすぎて、何か罠があるんじゃないかと疑ったわ。

考えてみたら私が魔物だと気づいていないのもおかしいし、

このままついていったら、今度こそ殺されるんじゃないかとも思ったわ。


私はとても迷ったけれど、結局彼女についていくことにした。

これが罠でもいいと思ったの。

罠だとしても彼女はもう少しの間だけ私に優しくしてくれるだろうと思ったから。


手を引かれて、私は彼女の家へ案内された。


それからもう五日間私は彼女の家にいることになるけれど、

今のところ私は殺されたり裏切られたりすることもなく平和に暮らしているわ。


体中に強い圧迫感を感じて、

はっと目を覚ますと、

アニーの腕が首元に巻きついていて、

頭のてっぺんには彼女の頬がくっついていた。

すー、すー、という健康的な寝息が聞こえる。


アニーの家に来て六日目の朝。

私はいつも通り彼女に抱きしめられていた。

父や母には暴力を振るわれるときしか体に触られたことがないから、

アニーみたいに優しく触れられると未だにどうしたらいいのかわからなくなってしまう。

結局今日もアニーが起きるまでの三十分間、私はそのままじっとしていた。


「今日の朝食よ」と言ってアニーはフレンチトーストを私に出した。

一度好きな食べ物を聞かれてフレンチトーストと答えてから、

ずっと朝食はフレンチトーストだった。

私がそれに手を付けると彼女は嬉しそうに微笑み、自分の分のトーストを焼き始めた。


アニーが貧乏なのではないかということを私は薄々感じ始めていたわ。

今だってアニーはフレンチトーストを私の分しか作らず、

彼女自身は焼いたトーストをそのまま食べているし、

夕食の時も私には御馳走を用意しているけれど、

自分はとても質素なものしか食べないの。


さすがに申し訳なくなって、一度ここを出ていこうとしたことがあるのだけれど、

アニーはしんから悲しそうな顔して必死に引き止めてくるの。

一体何が彼女をそこまでさせるのかわからなかったわ。


ただ、彼女が苦しんでまで私と一緒にいたいと思ってくれているのが

嬉しくて、嬉しくて、私は結局ここを出ていくことができずにいるわ。



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