(2)うまく字が書けないときは、筆記具をかえてみよう

第4話

「それで、橘大夫たちばなのたいふってさ」

大夫たいふ、でいいぞよ」

「うん、わかった、じゃ、大夫って呼ぶね」

「うむ」

「大夫は、どうしてあんなところにいたの?」

 道路に落ちていた大夫の筆を思い出して言う。


「それはな、おぬしが漢字のことで困っていたからじゃ」

「え? そんなこと、わかるの?」

「さよう。子孫の嘆きをキャッチした、というわけじゃ。特に文字に関する悩みには敏感なのじゃ」

 と言って、大夫は、ほほほと笑って、ひげをなでた。


「そうなんだよ、おれ、困ってるんだ」

「そうかそうか」

「そうかそうか、じゃないよう。漢字が全然分からなくて、困っているんだよ。文字の神様なら、魔法で漢字を覚えられるようにしてくれない?」

「そんな魔法はないのぅ」

「えーなんだよー」


 おれは、もしかして、漢字が出来るようになるチート能力を授けてもらえるのかと思って期待していたから、がっくりした。


「池の水が真っ黒になるまで、練習するのじゃよ」

「池なんてないよ、うちマンションだし」

「ふむ」

「それに、今は筆と墨でなんか、書かないよ」

「存じておる。まあ、池の水が真っ黒になるまで、というのはな、たとえ話じゃ」


「うん。……あーあ。ご先祖様が文字の神様なのに、おれはだめだあ」

「だめ、なんてことはないぞよ。おぬしまだ十歳であろ?」

「うん」

「これからじゃよ」

「でもさあ」

「とりあえず、おぬしの書いた漢字を見せてみるがよいぞ」

「うん」



 おれは、リュックから漢字のノートを取り出して大夫に見せた。

 五年生になったらみんな、ランドセルじゃなくてリュックで学校に行くようになった。正直、リュックの方が使いやすい。体操服も水筒も入るから。


「ほほう。汚い字じゃの!」

「だって、うまく書けないんだよ!」


 そう、おれはうまく字が書けない。

 なんか、ちゃんと書こうと思っても、その通り書けないんだ。頑張ったって、できないものはできなんだ。おれはなんだか、泣けてきた。


「おうおう、泣くでないぞ」

「……だって」

「あのな。おぬしの字はな、ふよふよしているぞな」

「うん、だってうまく書けないんだもん」


「ふむふむ。あのな、筆もな、いろいろあってだな」

「うん」

「やはり、筆によって、文字がうまく書けたり書けなかったりするんじゃよ」

「そうなの? 三筆さんぴつの大夫でも?」

「そうじゃ」

「ふうん」

「だからの、おぬし、まずどんなものでこの字を書いたのか教えてくれぬか?」


「これ」

 おれは筆箱から、鉛筆を出して大夫の前に置いた。

「ふうむ」

 大夫は鉛筆をじっと見た。

「2Bの鉛筆だよ」

「ふむふむ。和樹の字のな、線がふよふよするのはな、うまく力が入らないからじゃないかと、思うのじゃよ」

「そうなの?」

「そうかもしれん。この時代はの、わしは生きておったころと違って、いろいろな筆記具があるじゃろ?」

「書くもののこと?」

「そうじゃ。練習するときは、鉛筆でなくてもいいかもしれん」

「そうなの?」

「ふよふよせずに書けるもので書いた方が、まずはストレスがなくていいであろ?」


 大夫は、またほほほと笑った。

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