第3話

橘大夫たちばなのたいふ?」

「そうじゃ」


 橘大夫たちばなのたいふと名乗った、口ひげを生やした小さなおじさんは、器用に大きな湯のみから緑茶を飲むと、こくこくとうなずいた。小さなおじさん――橘大夫たちばなのたいふは、湯のみを少し傾けて、立ったままおいしそうに緑茶を飲んでいた。


 おれんちは共働きだから、家に帰っても誰もいない。学童クラブは四年生の途中で止めた。

 そんなわけで、おれはリビングで文字の神様とかいう、橘大夫と二人(?)でいっしょにおやつタイムをしていた。


「出来たら、熱い緑茶が好みなんじゃが」

「仕方ないよ。火を使うのは危ないし。そもそもおれ、お茶れたことないもん」

 ペットボトルの緑茶では少し物足りないらしい。

「ふむ」


「ねえ、たちばなのたいふって、さ、おれと同じ名前なんだね。おれ、たちばな和樹かずきって言うんだよ」

「さよう、わしは和樹の遠い先祖だからの」

「ええ! ご先祖様っ⁉」

「うむ。遠いとおい、先祖なのじゃよ」

 おれはしみじみ、その文字の神様とかいう、小さなおじさんを見た。

 ……顔、似ているかなあ? あ、おじいちゃんにちょっと似てる?



 何でも文字の神様である橘大夫たちばなのたいふは、もともとは平安時代に生きていた橘逸勢たちばなのはやなりという人物であったらしい。そして書が上手な「三筆さんぴつ」の一人として活躍していたんだって。


「書が好きでな、一日中書いていても飽きなかったわい」

 ほほほと笑いながら、そう言う。

「一日中⁉」

「池の水が、洗った筆の墨で真っ黒になるくらい、書いたものじゃよ。中国の偉人をまねてな、とにかく書いたのじゃ」


 おれにはまったく、考えられない。ほんとうにおれのご先祖さまなのかな?

 とか考えていたら、橘大夫たちばなのたいふにぺちっとおでこを叩かれた。


「いてっ」

「ほんとうじゃよ。疑うでない!」

「おれの考えがわかるの?」

「顔を見ていればな」

「ふうん。ねえ、どうして文字の神様になったの?」


「時の政権争いに敗れてな、わしは無実の罪で流罪になったのじゃよ。無実を晴らそうとしたが、病にたおれてな、死んでしまったのじゃ。そのとき、強くつよく思ったのじゃ。もっと書が書きたいと。これまでの文字もこれからの文字も、全部もっともっと知りたいし、書きたいと」


「それで、どうなったの?」

「うむ。気づいたらな、光に包まれておった。そうして身体はこのように小さくなり、わしが愛用していた筆もいっしょにあったのじゃ」

「へえ。この筆が」

「そうじゃ。だいじなだいじな、筆なんじゃ。そして、この姿となってからは、この筆とともにさまざまなものを見てきたんじゃよ。実におもしろかった!」


 橘大夫はにっこり笑うと、緑茶をこくりと飲んだ。

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