第10話 烏丸丸太町(仮名)

 緑豊かな京都御苑の南西の角にて、烏丸通と丸太町通は交差する。その界隈の地名は、烏丸丸太町からすままるたまちである。

 甘味処「まるまる」は、その一角に店を構えており、とある合言葉を唱えれば代金を割引きするというキャンペーンを、定期的に行っているのだった。


「からすまるまるふとるまち!」


 今また若いカップルが、レジでその合言葉を合唱して、割引きの恩恵にあずかったのである。

 ある時は誤謬、またある時は冗談で、「烏丸丸太町」をそう読む人々は、元より一定数存在するのだった。


 ある日、一人の女性が、まるまるの店内に、長い足を踏み入れた。

「あの、申し訳ございませんが、本日は定休日でして……」

 ちょうど床にモップを掛けていた男性が、顔をあげてそう伝えた。

 定休日の札は出入り口にぶら下げてあるし、そもそも扉の鍵も閉めてあったはずなのに、どうして勝手に来訪者が……

 男の顔にはそんな疑問が書かれていたが、彼は、みるみる青ざめたのである。

「しばらくぶりやなぁ、中尾なかお。喧嘩っ早い性分は、多少は改まったんかいな?」

 来訪者が、貫禄たっぷりにそう言って、紅い唇から、鋭い犬歯を覗かせたからである。

「ああ、奥さん、お邪魔してますえ。ところで中尾、お宅の息子ちゃんは、元気にしてはるんやろか? 子供ぉうんは、ほんまに可愛いらしいもんやなぁ」

 奥から出て来た中尾の妻に会釈して、来訪者はそんなふうに続けたのである。

 するとどうだろう。中尾が妻に目配せし、妻は大慌てでスマホを取り出して、幼い息子の預け先に安否の確認を行なったではないか!


「ちょっと、なんやの、そのリアクション!? まるでうちが、家族にまで塁が及ぶでーて脅迫する、ヤクザもんかなんかみたいやないの!」

 来訪者たる小近衛麗子は、声を荒げた。実は彼女は、中尾夫妻とちょっと子育てトークでもしようかと思っただけだったのだ。

 中尾は慌てた。因みに、彼の息子は、そもそも手出しされておらず、全くもって無事だったわけであるが……

「麗子様! あなた様がヤクザなどよりよっぽど恐ろしい御方であることは、よーーっく心得ておりますよって……」

——などと哀れっぽく平身低頭したのである。

「ちょっと中尾! あんた、そういうところやで!」

 ものの見事に火に油を注ぐことになってしまった。

「腹立つわー! もう、ここで、うちの尻尾出したる! 九本とも出して、高速回転させたるえ!」

「ああっ! 店が、店がぁ〜〜〜っ!」

 もしも麗子がその脅迫を実行に移したなら、それはもうヤクザどころの騒ぎではなかったことだろう。


 ある日、六花は珍しく、京都市営地下鉄を利用した。

 決して、公共交通機関を利用することそれ自体ではなく、麗子も同乗したという点が珍しかったのだ。

 二人が降車したのは、丸太町駅。かつては私鉄にも同名の駅が存在して、観光客を幻惑したものだが、それについては、私鉄の駅が改称することによって、一応の解決に至ったのだ。

 二人が階段をあがると、そこは烏丸丸太町だった。


「あんなぁ、六花ちゃんが生まれるよりも前に、色々あってん」

 麗子は話し始めた。例えば、私鉄の丸太町駅が改称したのだって、六花が生まれるよりも前のことなのだけれど……

「今から十年前、うちの配下のもんが、といざこざを起こしよったんや」

 麗子は、忌々しげに目を細め声を低めた。

伏見ふしみ方面の狐どもは、いーとか、なーとか、りーとかいう神さんの使いを気取っとって、うちら妖狐とは文化が違う。そんで、うちら妖狐をおちょくりよる。鬱陶しいことこのうえないけどなぁ、うちが本気出して反撃したりしたら、後の世の京都人が『先の大戦』と呼ぶもんが、応仁の乱ではのうなってしまうやろ? せやから、うちは、伏見方面とはそもそも関わるなっちゅう掟を、昔っから配下に課してきた。その掟を破った阿呆が、十年前におったんや。中尾っちゅうんやけどな。そんで、破門したんやけどな」

 麗子がそこまで語ったころ、二人はちょうど、まるまるという名の甘味処の前に差し掛かったのである。

「中尾、うちや。例のブツを頼むわ」

 麗子は、定休日という札を掲げて閉ざされている、店の扉をノックした。

 六花は、「中尾!?」と聞き咎めた。そして、なんだか怪しい取引きのようだという感想を禁じ得なかったのである。

 ふいに、辺りが暗くなった。夕闇迫る時間帯ではあるが、それにしても急なことだった。

「六花ちゃん、お空を見てみ?」

 麗子は、上を指した。途端に、グワァーーーッという耳をつんざくような鳴き声が降ってきた。

 甘味処の屋根の上に、一羽の巨大なカラスが出現していたのである。どうやら、六花が暗さを感じたのも、そのせいだったらしい。

 巨大なカラスは、勿体を付けたかのように羽ばたくと、四車線の丸太町通と、石垣や樹木を飛び越えて、京都御苑へと姿を消したのである。


「お母さん、あれって……カラスなん?」

 見送った六花は、小首を傾げた。

 彼女は、大きさのことを言ったわけではない。巨大な白狐を母と慕って慣れているので、その点はさて置くこととする。

 鳴き声や、色や、顔形でカラスと判断したものの、ひとまず見送ったその姿が、どうにもこうにもニワトリのように丸っこい体型をしており、それ相応に飛び方も拙いように思えたのだ。

「六花ちゃん、あれは、六花ちゃん用の式神しきがみや。今んとこ『カラスマルマルフトルマチ』っちゅう仮名の、中尾謹製の代物やで。もっとも、式神っちゅうんは、最初に自分を倒した相手のことを親やと思い込むもんやよって、六花ちゃんは、今からあれを倒さなあかん」

「えええ!?」

 麗子は朗らかに言い放ったが、六花にとっては全く初耳の話であり、びっくり仰天することしかできなかったのである。

 因みに、式神とは、妖狐や陰陽師が駆使する使い魔のことである。

「中尾は、阿呆やよって破門せざるを得んかったけど、式神のブリーダーとしてはなかなかに腕が立つ。六花ちゃんもそろそろ式神の一つも扱いたいお年頃やないかと思うて、うちがあれを注文しといたんや」

「ありがとう、お母さん。でも、あれって……人を襲ったりせえへん?」

 だって、人を食べても違和感のない大きさだったから。

「襲うやろなぁ、主となって躾をしてやらんことには」

 それを聞くや否や、六花は、京都御苑目掛けてダッシュしようとした。

「待ちぃな! 赤信号で車がビュンビュン通ってるやろ? 式神を倒す手伝いはしてあげられへんけど、御苑の中までは、うちが連れてったげるよって。ほな、逆バンジーーーッ!」

 麗子は、六花の肩を抱き寄せると、ひらりと空へと舞い上がった。四車線の丸太町通も、対岸の交番の赤色灯も、軽々と飛び越える。

「お母さん、なにも交番のそばを飛ばんでも……」

「なんやの。鳥や狐が、自由にお空を飛ぶことを禁じる法律なんて、どこにもあらへんえ!」

 さらに石垣や樹木を越えれば、そこは京都御苑だった。


 京都御苑は、緑豊かな公園である。大くのエリアを無料で散策できるため、日没後も観光客や近隣の住民に重宝されている。

 そんな御苑の一角で、言葉少なに、付かず離れず、人の輪が形成されていた。彼らは、魔物を召喚する秘密の儀式を行おうとしている……わけではない。

「今日こそは、色違いをゲットしたいもんやな……」

 人の輪に加わった若い男性が呟いた。彼らは、スマホを手にして、ARゲームのレイドバトルに臨まんとしているのだ。

 まさか、そんな人の輪の真ん中に、牛よりも、牛車よりも大きいような、ムッチリとした黒い巨鳥が、墜落するように着地するだなんて、誰も思ってもみなかった。


「あ、あそこや!」

 六花は見た。カラスマルマルフトルマチ(仮名)が、ガアガアと鳴きながら、人々を追い掛け走り回っているのを。

「やっぱり、飛ぶのは苦手なんやな」

 しかも、足も速くはないようだ。

「やめなさい! そんなことしたらあかんでしょ!」

 黒髪と金色のメッシュと六尾を棚引かせながら、六花は、巨鳥の背に飛び乗った。飛び乗った勢いやら体重やら、諸々を上乗せして、赤い剣をカラスの背に突き刺した……つもりだった。

「え!?」

 赤い切っ先は、そして、小学三年生の体は、凄まじいまでの弾力によって跳ね返されてしまったのだ。巨鳥のムッチリボディは、伊達ではなかったのである。

 六花は、振り落とされてしまったが、後方宙返りして、無事に着地した。

変化へんげ!」

 六花は、鋭く唱えた。すると、花やぎの剣は、少女の手中でみるみる形を変えたのである。

 一方、マルフト(略名)は、ヨチヨチ歩きしながら何度か羽ばたいて、ようやく離陸した。

「逃さへんで!」

 巨鳥の脚に、赤い鞭がシュルシュルと絡み付いたのである。花やぎの剣は、六花が願えば、柔軟に変形するのである。


 マルフト(略名)は、樹木が数多く生い茂っている、そのすぐ上辺りを、旋回するように飛行した。

「絶対にわざとやんなあ!」

 巨鳥の足元からぶら下がっている六花は、木々の枝葉に邪魔され、痛い思いをしながらも、赤い鞭の柄を決して手放さなかったのである。

 やがて、マルフト(略名)は、方向転換した。六花の前方に開けた景色は、美しい庭園に囲まれた池だった。


 一組の夫婦が、池のほとりを散策していた。そこはかつて有力な公家が築いた庭園であり、池の周囲には、茶室や藤棚が設えられているのだ。池の水は、深い緑色に濁っているが、それもまた、古式ゆかしい風景にはふさわしい色彩のように思われた。

「あら、お茶室に灯りが点いてるえ。こんなお庭でお茶会なんて素敵やねえ」

 妻が夫に話し掛けた。

「それもええけど、今度いっぺん、宝が池公園に行かへんか? 昔は子供ら連れてよう行ってたけど、二人きりでのんびりボートでも漕ぎたいわ。スワンボートでもええな」

 夫の提案に、なぜか妻は顔を顰めたのである。

「あそこでボート? あんた、わかっててうてるん?」

「はぁ?」

 それは、わかっていない夫が、妻に不服の理由を尋ねようとした時のことだった。

 凄まじい水音が響き渡り、見れば、池の水面みなもに、一艇のスワンボートが出現していたのである。

 いや、大きさはともかく、色だの首の短さだの、それはとても白鳥ではありえなかった。そのうえ、グワァーーッと鳴いたではないか!

 夫婦は、迷わず逃げ出した。ちゃんと二人して連れ立って逃げ去ったのである。


「あんたぁ、私のこと入水させる気ぃやったやろ!」

 夫婦が逃げたのと入れ替わりに、赤い剣を肩に担いだ六花が現れた。金髪混じりの黒髪や六尾を棚引かせて、小柄ながらのっしのっしと歩いてやって来たのだ。

 彼女は、マルフト(略名)の足元にぶら下がって、池を目にした瞬間、巨鳥の意図を察したのである。そして、赤い鞭を解くや、手近な樹木に両手両足でしがみつくことによって、自身の池ポチャを回避したのだった。

「今度こそ、決着つけさせてもらうで! 変化へんげ!」

 そう叫んだ時、六花は既に地を蹴っていた。空中にてくるりと体を横回転して、あたかも胴回し回転蹴りのごとき一撃を、巨鳥に浴びせようとした。

 ただし、蹴ろうとしたわけではなく、元は剣だった赤く巨大なハンマーによってぶん殴ろうとしたのである。

 そして、その一撃は、巨鳥の頭部を見事に捉えて炸裂したのだった。

「やった!」

 マルフト(略名)は、ヘナヘナと体勢を崩したかと思うと、風船が割れるかのようにバチンと弾け散った。そして、それを見届けた少女の目と鼻の先には、深い緑色に濁った水面が迫っていたのである。


「あああぁ……うちの可愛いらしい六花ちゃんが、お池の藻屑になってまうーっ!」

 手出しするのをグッと堪えて見守っていた麗子が、上空から慌てて飛来した。

「大丈夫やお母さん! 私は泳げるぅグボガボボ……」


「お待ちどうさん。当店自慢の宇治金時です。うちのは、抹茶シロップにちゃーんと、宇治茶を使つこうてますよって!」

 六花と麗子のテーブルに、涼やかなかき氷が運ばれて来た。中尾の口上にも自信が漲っている。

 真夏とは異なり、ガラス器ではなくシックな陶器に盛られたそれには、抹茶シロップがたっぷりと掛けられているだけではなく、小倉餡やアイスクリームや白玉が、どこか庭園を思わせるほどの美しさで配置されているのだった。

 京都の猛暑も、今年のところはさすがに終わりを告げたのだが、六花も麗子も、氷菓は季節を問わずにいける口なのである。

 六花は、氷のてっぺんの緑色に、少々じとっとした視線を投げた。さっき落ちた池のことを思い出したのだ。しかし、一匙すくった氷を口に入れれば、たちまち上品な甘さが広がって、色はそっくりでも味は全然違うと嬉しくなったのだった。


 六花は、赤い鈍器を振るって、カラスマルマルフトルマチ(仮名)に打ち勝ったまでは良かった。しかし、結局池ポチャしてしまったのである。

 中尾一家は、店のすぐ近くのマンションに居住している。そこでシャワーを借り、麗子が用意してくれた着替えを纏って、ようやく貸切り状態のまるまるにて、母と共に宇治金時を味わう運びとなったのだった。そのころには、姿形も人間そのものに戻っていた。


「六花ちゃん、そっちの白玉は気に入ったか?」

「うん!」

 麗子が言ったのは、かき氷に飾られたそれのことではない。六花が卓上に乗せている、ちょうどピンポン玉くらいの大きさで、白くてオパールのような輝きを放つ球体のことである。

 それは、六花に負かされたマルフト(略名)が、卵と化したものだ。六花は、池に沈み行くその卵を、輝きを頼りに、懸命に泳いで追い掛けて手に入れたのだ。やがてその卵から生まれる式神は、六花のことを親と認識するだろう。

「中尾、あんた、この式神の核には、何を使つこたんや?」

「はい、宝が池公園で、古うなって廃棄されることになったスワンボートが、ええ感じに人間の残留思念を溜め込んでましたんで、それを……」

 中尾は、京都市の北部にある公園の名を出した。そこでボートに乗ったカップルは別れるという都市伝説めいた噂のおかげもあって、式神の核にできるほどの思念の塊が採れたのだろうと説明したのである。そして、式神の肉付けに使ったのは、まるまるの割引きキャンペーンに応じた客たちの精気だ。甘味処の客から、割引きのぶんだけちゃっかり精気を徴収して活用するというのは、中尾の常套手段だった。


「六花ちゃん、式神は、育て方次第で、姿形からして、ガラッと変わるえ。それに、偵察用とか、戦闘用とか、いっそ乗り物にするとか、使い方も色々や。六花ちゃんは、どないしたいんや?」

「ペットにする!」

 六花は、式神の卵をうっとりと眺めつつ即答したのである。

「へ!?」

「お母さんが私のこと可愛いがってくれたみたいに、私もこの子のこと大切にしてたっぷりと可愛がってから、その先のことを考えたいねん……あかん?」

 六花は小首を傾げ、大きく黒目がちな眼で母を見つめた。麗子は思わずハンカチを手にしたのである。

 そこへ、中尾が割って入った。

「確かに、式神を育てるんは、子育てに似てますわ。うちの息子なんて、術の一つも教えてやろか思ても、サッカーボールばっかり追っ掛けてますよって。子育てゆうんは、思い通りにならへんことも多いけど、それがまた面白いんですわ……おやおや、麗子様の目にも涙ですか!」

「せやから中尾! あんた、そういうところやで! あと、あんたは、うちの親心っちゅーもんを、二度と無にせんようになぁ」

 麗子は、およそ十年ぶりに帰参することになった配下に、またもや尻尾を出して高速回転させんばかりの勢いで釘を刺したのだった。


「お母さん、この子の名前やったら、今決めたえ——小町こまち!」

 六花は、両掌で卵を持ち上げて、得意げに打ち明けたのである。

「シュッとしてはんなりした、ええ名前やなぁ。六花ちゃんは、ほんまにええ子やなぁ……」

 麗子は、その夜、六花を妖狐の隠れ里へと連れ帰った。九尾の白狐という正体を心置きなく現して身を伏せると、九本のふさふさの尻尾で、六花のための寝床を拵えたのである。そして、眠りについた愛娘のことを、満月めいた金色の瞳で、飽きることなく眺めたのだった。


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火葬剣のオーナー 如月姫蝶 @k-kiss

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