第9話 火葬剣のオーナー「崩落」

 目の前で、スライムが飛び跳ねた。

 タマネギ型のそのボディは、ちょうど小学生を丸めたほどに大きい。けれど、ピンクでプルプルのゼリー状のそのボディは透き通っていて、中の人などいないとわかるのだ。

 目の前では、ピンクのスライムが、プルプル、ピョンピョン。

 六花は、そのリズムに合わせて踊るように、闘技場の地面を何度か踏み鳴らした。

 やがて、スライムは、一際大きく跳躍して、六花に向かってきた。

「えいっ!」

 六花は、すかさず赤い剣を振るった。

 斬撃が命中するや、ピンクのスライムは、ポンと音を立てて、白い煙と化した。そして、色とりどりのリボンや紙吹雪を撒き散らしたのである。

「六花ちゃん、ファイトーーッ! まだまだスライムが出るえ!」

 闘技場の観客席の最前列から、麗子が声援を送ってくれた。

「うん、わかったーっ!」

 六花は、母に手を振る。

 そして、ぐるりと見回せば、実に十匹以上が、場内のそこここで、プルプル、ピョンピョンと飛び跳ねているのだった。

 六花は、元気いっぱいに走り回って、それらを次々と白煙に変えてゆく。

「さすがは六花ちゃんや! ほな、金色のもいくえ!」

 麗子の声が近いと思ったら、彼女は、六花の頭上でモデルのようなポーズで滞空していたのだった。


 そして、金色のそれが放たれた。

「エアロスライムやー!」

 六花も大喜びで空を見上げる。

 エアロスライムは、地上のそれとは色違いのゴールドのボディを持つだけではなく、タマネギ型のてっぺんに小さなプロペラを生やしており、ふよふよと空を飛ぶのだ。

 六花は、素早く目測した。

 全部で五匹出現したが、一番高い所を飛んでいるエアロスライムには、六花の飛行術では手が届きそうもない。相変わらず、「逆バンジー」で、麗子ほど高くは飛べないからである。

 しかし、六花は、迷わず地を蹴った。

 まずは、低空飛行のエアロスライムに飛び乗り、剣で突くや、次へと飛び移ったのである。

 空中に次々と白煙が弾けることになった。

「斜め上、四十五度の逆バンジーーッ!」

 最後は、高らかに宣言しながら飛んで、五匹目のエアロスライムの底面を、赤い刃で貫いたのである。

 まるで祝砲のように白煙が弾けて、リボンや紙吹雪が降り注ぐ中、六花は、剣を掲げて片膝をつきつつ、ふわりと着地も決めたのだった。

「あー、面白かった!」

「あー、可愛いらし、可愛いらしー……」

 六花は、虚空という鞘に剣を収めたところ、すかさず麗子に抱き締められた。その腕の中で、六花の姿は、溶けるようにして人間のそれへと戻ったのである。

 花やぎの剣を入手して以来、あれこれと頑張ってみたけれども、剣を手にしている間は姿が狐に寄るという点は、今のところ六花自身の意思ではどうしようもないのだった。


 ここは、妖狐の隠れ里である。

 六花が、姿形を気にせず剣の修行に打ち込めるようにと、里のおさでもある麗子が、隠れ里の一角に、古代ローマを思わせる石造りの闘技場なぞ建設してくれたのだ。とはいえ、妖狐ならではの幻術を用いたため、工期は一瞬だったらしい。

 そして、六花にとっては、自宅の中庭に現れた謎のトンネルを通りさえすれば辿り着ける場所なのだった。


「麗子様、本日はをピックアップしてありますが、いかが致しましょうか?」

 フレームレスの眼鏡を掛けた若い女性が、抱き合う母子へと歩み寄り、申し出た。それは、かつて、Koko本社の裏庭にてドローンのオペレーターを務めていた、紺野こんのである。

 彼女は、会社でも、隠れ里でも、麗子の忠実な部下なのである。

「せやったな」

 麗子は頷き、娘の双肩に手を置いて微笑む。

「六花ちゃん、実は、スライム以外にもモンスターを用意してあるねん。一味違う相手やで。斬ってみるか?」

「うん!」


「あれってなんなん? ミイラ男?」

 前方に出現した敵の姿を目にして、六花は訝しんだ。

 敵までの距離はかなりあるが、白い包帯にぐるぐる巻きにされた人物が、蓋の開いた棺桶に収まったままで直立しているように見えたのだ。

 スライムを相手にするのとは、確かに勝手が違いそうだ。

「せやな。その手のモンスターやと思うて、バッサリ斬ってもうたらええわ!」

 傍らの麗子は、犬歯を覗かせながら微笑んで、紅い唇をペロリと舐めた。

「さあ、六花ちゃん、試し斬りのお時間やで!」

「うん、やってみる! 花やぎの剣よ!」

 少女は、右腕を高く掲げて呼ばわった。するとたちまち、一振りの真っ赤な剣が、虚空より少女の手元へと戻ったのである。

 六花がそれを構えるや、再び変化が起こった。

 六花の全身がざわめき、狐の耳と六尾が生えた。柄を握る手の爪が鋭くなり、手足も顔面も金色の産毛に覆われる。刃に映る顔立ちも幾分、人より狐に近づいて、犬歯が鋭く伸びたのだった。

 さらには、六花の黒髪も、メッシュを入れたかのように、一房だけ金色となって棚引いたのである。


 六花は、ミイラ男目掛けて駆け出した。

「ケモノの階段の〜ぼるー、キミはシン・シンデレラっさっ!」

 妙ちきりんで調子っぱずれの歌を歌い出したかと思うと、ミイラ男もまた、ボコンボコンとなんと棺桶ごと飛び跳ねて、六花へと向かって来たのである。


「あれって、簀巻きにされ戸板に縛り付けられた病人みたいなものですよね。よくあんな動きができますね」

 紺野は、麗子の傍らで、抑揚の乏しい口調なりに驚いたように言った。

「あれもまた、小近衛の末裔には違いないよってな」

 麗子は、鼻を鳴らした。


 六花は、距離を縮めるにつれて、ミイラ男がミイラではないらしいことに気づいた。

 相手は、顔の下半分をマスクで覆われ、白っぽい奇妙な衣服によって両腕の自由を奪われ、簡易ベッドストレッチャーにベルトで体を固定されているのだ。それでも歌って飛び跳ねているのだ。

「気持ち悪い……」

 六花は、ミイラじゃない男の胴体を、ストレッチャーごと一気に横薙ぎに両断しようとした。

 しかし、ミイラじゃない男は、すかさず大きく跳躍して、小学三年生の頭上を飛び越えたではないか!

 六花は、振り向きざま一旦飛びずさり、ミイラじゃない男よりも高く飛んだのである。


「六花ちゃん! お母さんにええとこ見せて! 横やのうて縦に真っ二つに、唐竹割りにしてまうんやーっ!」

 麗子は、黄色い声援を寄越した。

「麗子様、それはあれを利する情報では?」

 紺野は、すかさずツッコミを入れた。


 実際、ミイラじゃない男は、唐竹割りにされる危険を察知したように、横っ飛びに逃れようとした。

 しかし、六花もまた、飛行術を駆使して、着地地点をずらしたのである。

 彼女は、ミイラじゃない男の真っ正面に降り立つや、一気に剣で貫いたのである……彼の顔を、いや、その真横にぐっさりと切っ先を沈めて、ストレッチャーを貫いたのだった。

「やっぱり! この人、握手会を邪魔した男の人や!」

 六花は、ミイラじゃない男の正体が、小近衛純也であることに気づいたのだった。

「ふっ、よくぞ見破った。俺は、キサマをケモノの端くれと認めてやろう。しかし、その甘さは命取りだ。つまりは物足りんということだ。俺は今や、自分の欲望の真の有り様を知った賢者なのだからな」

「やかましわ! これは、握手会を邪魔されたぶんや!」

 六花は、純也に渾身のデコピンをお見舞いして、気絶させたのだった。

 そして少女は、ミイラじゃない男に、くるりと背を向けたのだった。

「なあ、六花ちゃん、唐竹割りは?」

「せえへん。もう気が済んだから」

 駆け寄って来た母を見上げて、少女は、きっぱりと首を横に振った。

「えぇーーっ!? この闘技場は、うちが幻術で支配した空間やよって、ここでやったら、いくらダメージを負っても、隠れ里を出さえすれば回復するんやで。なぁ、いっとこ、唐竹割りぃ……」

「やはり甘いな。あと、花やぎの剣と言ったか……そのネーミングも物足りん。滾る要素が皆無だぞ。いずれキサマがを発現したなら、確実に後悔するであろう!」

 純也は、早くも気絶から覚めて、小学生相手にご託を垂れ流したのだった。

「何やて? 六花ちゃんが将来、病気を患ううんか?」

「はい!?……女王様ともあろうお方が、厨二病の概念をご存知あらしゃりませんのでっか!? まあその……光と闇の二元論を好み、唯一無二の強げなネーミングを好むと申しましょうか……」

 相手が麗子となった途端に、ガラリと口調を変えた純也である。


 実は、彼の入院中、病室の夢枕に麗子が立った。そして、過日と同様、九尾の白狐に喰われる幻を、彼に見せてやったのである。今後も、純也が精気を上納して、麗子の命令には絶対服従することと引き換えに、その幻を与えられるということで、話がまとまったのだった。

 純也は既に退院した。自傷行為は治まり、通学も再開している。マスクに拘束衣にストレッチャーというのは、今の彼にとってはコスプレなのである。


「唯一無二……強げな……ほな、例えばの話、『火葬剣かそうけん』とかか?」

 思いがけない麗子の発言に、居合わせた面々は戦慄した。かの撮影所やテーマパークに出入りしたことのある身であれば、その名に唯一無二感を覚えることなど無理である。

「そしたら……六花ちゃんは、剣の主やよって、『火葬剣のオーナー』!? なんや、むっちゃカッコええ響きやあらへん? そのまんまドラマや映画のタイトルに使えそうやん! あんたらもそう思うやんなぁ!」


「小近衛純也、あなたは用済みです。自宅まで送り届けましょう」

「あ、どうも……」

 紺野は、折り畳まれていたストレッチャーの脚部を伸ばして、純也を仰向けにした。

 急に素直に応じた純也ともども、あからさまに、同意を求める麗子から目を背けていた。

「純也? 紺野?」

 ストレッチャーの真下に、黒い穴がぽっかりと口を開けた。

「座標確認。じゃないほうの小近衛邸」

 純也は、ストレッチャーごと穴へと消えた。

「小近衛純也を、無事に自宅庭へとドロップしました」

 紺野は、あくまで淡々とオペレーターの役割をこなす。

「あの、紺野ぉ……」

 忠実なはずの部下にも無視されて、麗子の指先が僅かに震えた。


「なあ、六花ちゃん!」

 最後の拠り所とばかりに、麗子は、六花へと笑顔を向ける。

 実は、撮影所やテーマパークには、「火葬剣のオーナー」とよく似たタイトルのポスターが、数多く掲示されていたのだ。麗子は、斬新な閃きを得たつもりのようだが、六花が思うに、あれらのポスターを目にしたことが頭に残っていたんじゃないだろうか。

「あんなぁ、お母さん。私はお母さんのことが大好きや。けど、『火葬剣のオーナー』は、かなりアカンやつやと思う」

 何かがひび割れたような音がした。

 次の刹那、足元の地面が激しく振動した。

「闘技場が崩壊します! 避難してください!」

 紺野が鋭く警告を発した。

「へ!?」

「この闘技場は、麗子様の力に依拠しています。ゆえに、麗子様の受けた精神的ショックにより、急激な崩壊が始まったのです!」

「でも、闘技場は幻で、ここで受けるダメージも幻やって……」

「幻術によるダメージを現実だと錯覚して、ぽっくり亡くなった人間の事例も報告されています」

 六花は、もはや紺野に質問を重ねることはせず、隠れ里から逃げ出すことにした。茫然自失の麗子を連れ帰ることも忘れたりしなかった。


「はぁ……チャイがおいしい。五臓六腑に染み渡るわぁ」

 とはいえ、麗子はまだどこか茫然としていた。

「こういう時は、うんと甘いのがいい気がする」

 六花は、母の背中をさすった。

「私までご一緒させていただいて、恐縮です」

 紺野も同席して、湯気で眼鏡を曇らせながら、チャイのカップを傾ける。

 つまるところ、隠れ里から避難した三人は、小近衛家のリビングで、料理人が淹れてくれたインド式ミルクティーを啜ることとなったのである。

「さっきは、うっかり死んでまうかと思たけど……精神的に」

 麗子は、溜息を吐いた。おかげで、六花と紺野は、スペクタクルにしてサバイバルな経験をすることになったのだ。

 自宅のリビングへと戻り、麗子が落ち着くのを待って、六花は、「火葬剣のオーナー」によく似た名前の作品が、既に存在して人気を博していることを説いて聞かせたのだった。物語の舞台は京都で、六花が生まれる前からテレビドラマとして放映されており、映画化されたこともあるのだと。

「せやったんや……二人とも……さっきはどうもごめんなチャイ……」

 麗子は、いつになく神妙な表情で、けれどダジャレなぞ交えて頭を下げたのだった。

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