第8話 火葬剣のオーナー「浮上」

「あれってなんなん? ミイラ男?」

 闘技場にて、前方に出現した敵の姿を目にして、六花は訝しんだ。

 白い包帯にぐるぐる巻きにされた人物が、蓋の開いた棺桶に収まったままで直立しているように見えたのだ。

「せやな。その手のモンスターやと思うて、バッサリ斬ってもうたらええわ!」

 傍らの麗子は微笑んで、紅い唇から鋭い犬歯を覗かせた。

「さあ、六花ちゃん、試し斬りのお時間やで!」

「うん、やってみる! よ!」

 少女は右腕を高く掲げた。するとたちまち、一振りの真っ赤な剣が、虚空より顕現して、彼女の掌に柄を滑り込ませたのである。

 それは、柄と諸刃が一体化した古風な剣であり、ルビーのごとくに輝いていた。

 六花がそれを構え、その刃が少女の顔を映した刹那、変化が起こった。

 六花の全身がざわめき、狐の耳と六尾が生えた。そればかりか、手足は金色の産毛に覆われ、爪が鋭さを増したのだ。犬歯もまた鋭く伸びて、刃に映る顔立ちも幾分、人より狐に近づいた。

 花やぎの剣という新たな力を手に入れたことで、六花の内なる妖狐の血が騒いだのだ。

「ケモノの階段の〜ぼるー、キミはシン・シンデレラっさっ!」

 対するミイラ男は、妙ちきりんで調子っぱずれの歌を歌い出したのだった。


 かの握手会から数日後、六花は、自宅のリビングにて微睡んでいた。ソファで麗子と寛いでいるうちに、ついうとうとと眠り込んでしまったのだ。

 すると、そこは——壇ノ浦だった。

 赤い敗者たちを、いつものように空中から眺めていたのだ。

 しかし、いつもと違うのは、六花は普段の姿形のまま、空中にそっと佇んでおり、彼女の隣には、麗子がモデル立ちしているという点だった。

「なあ、六花ちゃん。うちは、これまで何度も、あんたにこの夢を見せてきた。それがなんでか、わかるか?」

「え?」

 六花は、目を見張った。「見せてきた」などという、麗子の言い回しに驚いたのだ。

 麗子は、六花が物心ついたころから、自身の来し方を、あれやこれやと語ってくれるようになった。とはいえ、本格的な武勇伝については、「六花ちゃんが大人になってからのお楽しみ」なんだそうだが。

 六花がこれまで聞いた中では、壇ノ浦の戦いの話が、最もインパクトが強かったため、自ずと夢に見るようになったのだとばかり思っていたのだが……

「この夢は、あんたへのプレゼントやで。だって、この海の底には、とびっきりのが眠ってるんやから」

 麗子は、悪戯っぽく微笑んだ。六花は、すぐに思い当たった。

「それってもしかして……伝説の剣!?」

「はい、正解! ほな、ドボーン!」

「正解やのにドボンやなんて、却下!」

「ほな、お空の上からバンジーーッ! 行っといでー」

 麗子は、にっこり笑って六花を突き落としたのである。


 六花は、貴人を匿っていた唐船に、真上から激突した……が、痛みは感じなかった。

 船なぞ容易く突き破り、ぐんぐん海へと潜ってゆく。

 そして、青い世界の奥底で、キラキラと輝いていたものは——ちょうど姿見くらいの大きさの、一枚の鏡だったのである。

 鏡でありながら、六花が覗き込めば、金色の毛並みの狐が映し出された。その狐の尻尾は六本だった。


「さあ、六花ちゃん。あんただけの剣が、あんたに引き出されるんを待ってるえ。剣の名前を呼んでおあげ」


 母の声が聞こえて、コクリと頷く。

 六花が鏡に手を伸ばせば、六尾の狐も前足を差し出す。

 やがて、掌と肉球とが触れ合った時、呼ぶべき名前は、自ずと浮き彫りになった。


はなやぎのつるぎ!」

 そう口にした刹那、六花の意識は、みるみる上へと引っ張られたのだった。

 離れゆく掌と肉球の間に、一条の赤い軌跡が描かれた。


「花やぎの剣……なんちゅう、はんなりしたええ名づけやろ。六花ちゃんの名前からも一文字もろてるし!」

 麗子の褒め言葉にはたと気づくと、いつの間にやら、リビングのソファへと帰還していた。そして、六花は、ルビーのように輝く、一振りの剣の柄を握り締めていたのである。

「それは、壇ノ浦のイメージを触媒として、六花ちゃん自身の心から生まれた剣や。うつつであると同時に幻でもある。剣でぶった斬ってまえば、おててで触れんでも済むしなぁ」

 六花は、興奮気味に瞳を輝かせると、頭を撫でてくれる母を見上げた。

「なあ、お母さん、これって、学校に持ってってもかまへんやろか?」

「ええに決まってるやん! 六花ちゃんの護身用の剣なんやから。けど、ランドセルの代わりに背負しょって歩くわけにもいかへんやろし……」

 柄を握る六花の手に、麗子がそっと手を添えると、剣はみるみる消え去ってしまったのである。

「六花ちゃん、そないに狐に化かされたようなお顔をせんでもよろしい。もっかい、剣の名前を呼んでみ?」

 おかげで六花は、花やぎの剣は、普段は虚空に収納しておいて、名前を呼びさえすればいつでも取り出せる存在なのだということを理解したのだった。


「それはそれとして、六花ちゃん」

 麗子は、娘を姿見の前へと連れて行った。

「おけけっけっけ〜〜〜っ!」

 六花は、またもや悲鳴をあげることになった。

「うん。お毛々がようけ生えたよってな。頑張って叫んでや。六花ちゃんの力が、また一段と強まった証やよってなぁ」

 六花は、狐の耳や尻尾を鏡の中に見つけたが、それだけならもう驚きはしない。しかし、顔立ちもどことなく変化しており、鋭さを増した犬歯に手で触れてみれば、爪まで鋭くなっており、顔も手足も金色の産毛で覆われていたのである。

「飛行術の修行、また頑張ろな! 力と姿形をコントロールするためや」

 麗子は、愛娘をムギュムギュと抱き締めながら、その香りを思う存分に吸ったのだった。


 あれ以来、小近衛樹彦の酒量は増えた。

 二十歳にもなった息子が、親に無断で日中に外出しただけで、追手を差し向けなければならないというのは、なんとも情けない話だった。護衛たちが純也の身柄を確保してくれたと聞いて、ほっと胸を撫で下ろしたのだが……

 帰宅した純也は、明らかに様子がおかしく、入院させざるをえなかったのである。


「旦那様、お客様がお見えです」

 不意に家政婦が現れたので驚いた。今日は、来客の予定などなかったはずだが……

 家政婦の後方から姿を現した美女を見て、樹彦は、心臓が潰れんばかりに喫驚したのである。

「素直な家政婦さんやねえ。術の類いに耐性があらへんよって、ぜーんぶ話してくれはったわ」

 一礼して立ち去る彼女に会釈してから、小近衛麗子は、険のある眼差しで樹彦を射た。

 質問に正直に答えるよう仕向ける術がある。それを家政婦相手に使ったということなのだろう。

「……何の用や」

 樹彦は、ぶっきらぼうに虚勢を張った。

「息子さん、入院中なんやってなぁ。家政婦さんから聞いたえ。うちがせっかく、五体満足で帰してあげたーゆうのに」

「息子に何をしたんや」

 樹彦は、低い声で尋ねた。それを知りたいのは本心からだった。

 純也は、あの日酷くぐったりとして帰宅して以来、自分で自分の体を傷つけるようになってしまったのだ。家人が制止してもまるで効果がなかった。

 麗子は、鼻を鳴らした。

「それ以前に、うちの娘にちょっかい出そうとして、晴れ舞台に水を差したんは、どこのどいつや? 『あの娘に会うことすら許されへんのなら、俺はこの先何をしでかすかわからへんぞ!』とか、護衛相手に散々駄々こねて、握手会に入り込んだらしいやないの」

 そして、あたかも探偵のように、室内を歩き回りながら話し続けた。

「考えてみれば、おかしな話や。我が子、ゆうても、二十歳の大学生が、昼間にふらりと外出しただけで、あんたはんは、位置情報やら、得意の占いやら、手を尽くして行方を捜索して、屈強な護衛に身柄を確保させた。いったいどういうこっちゃ? あの息子が、いつか警察の世話になるような厄介事を引き起こすんやないかと、予感しとったんとちゃうんか?」

 樹彦は、「そうや」と認めざるをえなかった。純也には、幼い時分から、勉強はできるのに、衝動の赴くまま、社会のルールの埒外へとはみ出すことを厭わないような一面があったのだ。

「ええのんか? 社会に解き放って。あの子が退院するんを、あんたはんは望んではるんか?」

 樹彦が「ああ」と応じるまでに、随分と時間が掛かった。

 麗子は、クツクツと笑い出した。

「あやつには、刺激が足りひんのや。うちが見せたった幻と比べたら、自分で何をどうしたところで物足りひんのやろなぁ。あやつのことは、安物のシシャモみたいに扱うてやらんとあかんのや」

 麗子の瞳が、妖しい灯火のごとくに揺らめく。

「うちが、純也の自傷行為をやめさせてやってもええんやで。ただし、条件がある」

 九尾の化身は、いささか顎をあげて、末裔たる男を見下ろしたのだった。

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