第7話 小近衛家の一族「罰」
「うちの耳や尻尾に触れたらアカン! 狐の呪いがうつってまうで! 握手とお写真だけにしとこう、な?」
六花は、尻尾に手を伸ばした悪戯っ子を、ひょいとかわして、アドリブの台詞でたしなめた。まさか、どこからか見守っているはずの「うちのお母さんに呪われてまうやろ!」などと警告するわけにもいかないのだ。
握手会が始まった。イエローの戦士は、変身前の俳優が録音した台詞に合わせて、パントマイムで対応する。六花扮するミココは、その傍らで笑顔をふりまくのだ。
親子連れが、「あんまり混んでないで!」などと言いつつ入場してくる。
そう、握手会の会場は、満員御礼とは言い難かった。
なんでも、「京都でモテモテ、ドッキドキ!?」のテレビ放映直後には、「狐っ娘のクオリティーがエグい!」、「あの結末は再登場の伏線?」などと反響があったらしい。しかし、イエローの戦士と駆け出しの子役だけでは、人件費の節約にはなっても、集客力には繋がらないのかもしれなかった。
ゆえに、枯木も山の賑わいとばかりに、その男も入場を許されたのだろう。
それは、二十歳ばかりの痩せた男だった。順番待ちしている間は大人しくしていたのである。
「トゥ〜ビ〜 オア ノット トゥ〜ビ〜 ザット イズ ザ クエスチョ〜〜ン……」
いざ六花たちの前に進み出た途端、男は、呪文を唱えるように言った。そこまでは、英国の古典文学からの引用だった。
「俺は、今から、この世で最も大切な質問をする! キサマは凡俗なケモミミか? それとも、崇高なるケモノへの階段を昇ろうとしているのか? キサマの袴の裾がめくれたシーンで、足首に金色の毛が生えていた一瞬を、俺様は見逃さなかったんだぞ!」
男の両眼は血走っていた。呼吸は荒く、口調は早くなる一方だ。どうやら、人と獣の中間的な姿形について、確固たる持論を有しているようではあったが……
「 おい、今ここで足首を見せてみろやーっ!」
そう叫ぶや、男は、六花目掛けて突進しようとしたのである。
「純也坊っちゃま、いけません!」
「そろそろお暇しましょう!」
目を血走らせた、痩身の男——純也の突進は阻止された。
実は、黒服とサングラスを装着したマッチョマンの二人組に、両サイドからガッチリと腕を取られていたからだ。
黒衣の男たちは、小近衛樹彦に雇われた護衛である。家人に行先を告げずに外出した純也を探し出して、テーマパーク内にて確保した。しかし、「一目でいいからあの
「崇高なるケモノならば、毛皮をモフらせてみろや!」
純也は、悪びれもせずに、またもや突進を試みた。
「ダメです! こんな
「坊っちゃまの人生が終了してしまいます! お父様にも累が及びかねません!」
「ここは握手会だぞ! 触れずしてどうやって完遂しろっちゅーんじゃーっ!」
「あなた様はもはや、一般的かつ平和的な握手会に収まる器とは認められません!」
純也は、子供のように駄々をこね、護衛たちとの体格差が明らかなわりには、しぶとく抵抗したのである。
順番待ちしていた親子連れの中に、ひっそりとこの場から立ち去ろうとする動きが出始めた。
「おまえ、ええ加減にせんかい! ミココちゃんはワイの友達や! ワイが絶対に守ってみせるで!」
その時、イエローの戦士が、ミココこと六花を背後に庇って立ちはだかった。それは、録音された音声ではなく、真田の肉声だったのである。
そして、まさしくヒーローの風格だった。
「なんやと!? この蒙昧かつ無粋な偽善者がーーっ!」
——
純也は、ヒーロー相手に大声で叫んだ次の瞬間、なぜかガクリと脱力した。意識朦朧の状態に陥り、護衛たちに全体重を預けたのである。
まるで、ヒーローが、戦わずして敵を制したかのようだった。護衛たちは、これ幸いとばかりに、純也を引きずるようにして、握手会の会場から撤収したのである。
イエローを称える幼児の声が響いた。そして、一時はトラブルの予感に張り詰めた会場に、ヒーローショーさながらの熱い拍手が沸き起こったのだった。
握手会を終えた帰り道、六花と麗子は、自家用車の後部座席に並んで座っていた。お抱えの運転手は、例によって狐の化身である。
「お母さん、あの人に、なんかしたん?」
六花は、例の傍迷惑な男について尋ねた。彼の退場が想定外の盛り上がりに繋がったとはいえ、それは、彼自身の手柄ではないはずだ。
「なぁ……なんかしたやんね?」
「したえ」
二度目の問い掛けで、麗子は首肯して、娘の頬に手を当てた。
「あのくらいのこと、六花ちゃんでもできたやろうに、あんたがやらへんかったから、お母さんがしてあげたんえ」
六花は、目を見張った。珍しく母に非難されたように感じたからである。
そうだ。あの男を気絶させるくらい、六花にもやろうと思えばできた。除霊術と同じ要領で、相手に手を触れて念じるだけでよかったはずだ。
さっさと握手に持ち込むとか、「大丈夫ですか?」なんて肩に触れるとか、いきなりデコピンをお見舞いするだけでも、気絶させることならできたはずだ。いや、デコピンはよろしくないかもだが。
しかし、人目があったし、真田や黒服の男たちもいたしで、ついつい任せてしまって、六花自身は手出ししなかったのである。
でも、考えてみれば、あの会場には、六花より幼い子供たちの姿もあったのだ。彼らを守るためにも、もっと積極的に、持てる力を使うべきだったということか……
「やっぱり、あないな男に触りとうはなかったんやな。六花ちゃんのおててが汚れてまうもんなぁ!」
「へ!?」
気づけば、麗子は、うるうると涙ぐんでいたのである。どうやら、母子の間には大きな認識のズレがあるらしい。
「六花ちゃん、堪忍え。お母さんが甘かったわ。六花ちゃんは、触れることさえできれば、亡者を払える。生者を気絶させることかてできる。身を守る術はバッチリやと思てたんやけどなぁ。あまりにキモいもんやら、ばっちいもんには、そもそも触る気にすらなれへんやんなぁ……」
確かに、あの男の、一方的に捲し立てて、言葉が通じそうにない雰囲気は、六花にとっても不気味だった。友達になるなんて無理だろうし、できれば触りたくもない。
「六花ちゃんが、おててを汚さんでもええように……お母さんがちゃあんと考えるよってな!」
純也は、護衛の一人が運転する車に揺られていた。
もう一人の護衛とともに、後部座席に身を預けていた。
——
握手会の会場で、そんな女の声を聞いた。純也の頭の中を撫で回すような、不思議な声だった。
おかげで、彼の意識は朦朧として、体の自由も利かなくなってしまったのである。
現場から離れる一方のこの車中では、意識は戻り、身じろぎも可能だが、未だ視野が暗く狭いように感じられて、万全には程遠いのだった。
それは、彼を乗せた車が、四車線の道路に差し掛かった時だった。
前方に、積乱雲が立ち昇っていた。まるで通せんぼでもするかのように。
いや、それは雲ではない。雲のごとく白く巨大な狐だったのだ。
天地を切り裂くかのように咆哮したかと思うと、巨大な白狐は、九尾を花のごとくに開いて、四車線の道路を所狭しと蹂躙しながら向かって来たのである。
純也は、悲鳴をあげる暇すらないまま、凄まじい衝撃に襲われたのだった……
やがて、目を開けた純也は、眩暈を感じつつも、シートベルトに感謝した。彼の上半身は、無事に後部座席に固定されていたからだ。
しかし、臍から下は……
純也は見た。彼のことを見つめている、満月じみた金色に輝く目を。そして、巨大な白狐は、安物のシシャモか何かのように、彼の下半身を噛み砕いたのだった……
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