1997.9.20への応援コメント
地下鉄サリン事件、思い出すと本当に馬鹿馬鹿しい動機からの行動でしたね。
皆が思考停止状態で、教祖の言うがままに殺戮を行う。
確たる動機を見いだせないままに、死刑になっていった信者。
犯人を死刑にしたとてどこまでも空虚感がぬぐえませんでした。
そして報道もどこか面白がってるような視点でのもの。
日本の病理が露骨に表に出たようです。
外国に行って日本を客観視した体験は後々までの宝物になりましたね。
作者からの返信
のちに村上春樹さんが提出された、被害者へのインタビューをもとにした作品『アンダーグラウンド』や、信者側にインタビューしてつくられた作品『約束された場所で』、またときおり図書館でオウム関連の書籍を読むこともありました。
わたしは極力性善説にたちたいと思う方ですが、最終的には誰も信用できない、自分ですらも信用することのできない存在だと思いたがる人が目立ってきている? と思うことの多い現在の日本の社会という印象もあって。
もちろんよりよく生きようと周りと助け合って生きている人もたくさんいますよね。
オウム関連。令和になる前に死刑が執行されましたが、それで幕引きみたいになってそれ以上は触るな俎上にあげるなみたいな感じになっているようにも思われて、タブー視することによって、おなじようなことが起きる土壌は延命しているような気がしてしまうんですよね。
編集済
1997.9.14への応援コメント
料理の描写が本当に美味しそうです。
文章にリズムがあって一緒に街を歩いているかのようです。
丁寧な文体が光ります
作者からの返信
リズムということを取り上げていただいてとてもうれしいです。たしかにリズム、テンポ、読むときの調子をイメージしながら、というか、書きながら落ち着いているときに自分で話すような感覚でキーボードを打っていると、自然とリズムができてきてくれるということがあります。
料理は作中にもっと出せるといいなと思います。
全体を見て、バランスを考えて出せそうなら積極的に書こうと思います。
先の4章目のように固い内容の部分もあったりしますが、ある程度長くなる作品ですので、また読んでいただけるとうれしいです。ありがとうございます!
1997.9.11への応援コメント
おお、重厚な語り口で、詳細な描写、さすがです。
外国に行くだけでも度胸が必要なのに、
外国の方と一緒に住むというのは、すごい。
小心者の私には無理です。
フランスというのが、好奇心をさらに高めますね。
作者からの返信
コメントをくださり、ありがとうございます。
わたしがフランスに行ったときの立場や環境は、この小説(日記)とかならずしも一致するものではないんですけど、関係者にも迷惑がかかるといけないので、ただある街に住居を得たということにしました。
フランス人と一緒に住んだ経験は実体験に基づくものなんですが、そのあたりはうまく小説にしていけるといいのだけどと思いつつ、つづきを書こうとしています。
2003年に書いたものがベースになっているんですが、やっぱり1997年――25年以上経過していると忘れていることもいろいろあるようです。2003年にあれこれ書いておいてよかったと思ってます💦
1997.9.14への応援コメント
楽しませてもらっています。
>ドイツ系の顔立ちもあれば、英語圏の顔立ちもある。北欧のものもあるし、中東地域がルーツかと思われる人たちも街にはいた
それぞれの特徴を形容詞を入れながらでも、くどくならない程度に描写できたら良いかなと思いました。(決めつけるのではなく曖昧さにまかせて)
ドイツ系かと思われる○○で○○な顔立ち。英国人的な○○を○○した表情……とか(笑)
あと、地名はカタカナの方がしっくりくるように感じました。
これからも、ゆっくりと味わうような気持ちで拝読させてもらいますね。
作者からの返信
麻生凪さん、コメントをくださりありがとうございます。
>それぞれの特徴を形容詞を入れながらでも、くどくならない程度に描写できたら良いかなと思いました。
そうですね。この箇所、いかにもな説明になっているようで、わたしも読みながらしっくりいっていないなと感じていました。ひょうげんを工夫してみようと思います。ご指摘、ありがとうございます!
>あと、地名はカタカナの方がしっくりくるように感じました。
そうですね。どこをフランス語表記にして、どこをカタカナにするか、もうちょっと可読性を考えないとということもありますね。
また読んでいただけるとうれしいです。
ありがとうございました。