葵月
毎日雨だらけじゃのぉ。梅雨とやらかえ? 己は嬉しく思うのじゃが、雨が続くとちびすけが五月蝿いんじゃよな。ほぉれ、耳を澄ませば聞こえてくる。
「青天、また雨で社が雨漏りしてるんだ! 直してくれっ!」
「こんな雨では直すものも直せん。我慢しろ」
「おまっ! 俺を信仰してるのなら言う事を聞けっ!」
「致し方なくだ。俺が白露を見限ったらどうなるかわかってて言っているのか」
「ああっ! すまんっ! 見限らないでくれぇっ! 青天に見限られたら俺は消えてしまうっ!」
ほんにうるさ……賑やかなちびすけじゃわい。雨が降らぬと困る事もあるというのに……まぁ、明日はきっと晴れるじゃろうし、さすれば鬼の男はちびすけの社を直すじゃろう。冷たい物言いじゃが、ちびすけに甘いと言うか……面倒見が良いじゃろうしな。さて、己は雨音に耳を傾けながら一度眠るとするかの──
翌日。予想通り晴れた。なんなら、真夏のような暑さが襲っておる。
「あ……
「おや、娘子かや。おはよう」
「昨日はあんなに雨が降っていて肌寒いくらいだったのに、今日はとても暑いですね」
「そうじゃのぉ。太陽が照りつけておるわい」
山の中といえど、暑いものは暑い。娘子は額に汗をかいておる。
「……娘子よ、暑いのなら泉に入ると良いぞ。己の泉は、年中冷たいからきっと気持ちが良い」
「えっ? でも……」
「己が良いと話しておるんじゃ。遠慮しなくて良い。足先を泉に入れるだけでも冷えるはずじゃぞ?」
「ええと……なら、その。お邪魔します……」
遠慮しなくて良いと話したのに、娘子はほんに少しだけ足先を泉につけておる。もう少し入れば良いものを。仕方ないのぉ。
「娘子よ、遠慮なんかしなくて良い。ほれ、もっと入れ」
「きゃっ……冷たい……っ!」
「ああ、すまんのぉ。慣らしてからの方が良かったかの」
「い、いえ……その、びっくりしちゃっただけで……水、冷たくて気持ち良いです。こんなに暑いのに、泉の水、とても冷えてますね」
「己の住処にしておるからの、妖術の一種じゃ」
まぁ、本当は違うのじゃが……娘子に細かい事は言う必要はないからの。
「へぇ……妖術って、何でも出来るんですね」
「それは違うわい。何でもではない、妖術はそんな万能ではないんじゃが……人間や鬼族からしたら、確かにそう思うかものぉ」
「灰里様は、神様でもありますし……もしかしたら、そちらの力もあるんでしょうか?」
「そうかもしれんのぉ。己は大蛇で、水神じゃ。水に関わるものは、己の好きなように出来るからの」
いつの間にか使えるようになっておったのぉ。様々な力……妖術は元々じゃが、神としての……変な力が使えるようになってるとはの。
「そういえば、灰里様って妖ですが……その、元々はただの蛇だとお話されてましたよね」
「そうじゃよ。己は何の変哲もないただの蛇じゃ」
「……その、差し出がましいかもしれないのですが……ご両親とか、その、ご家族も同じような、普通の蛇なのですか? 妖は、生まれつき妖なのでは」
「家族、かえ? ふぅむ、難しいものよのぉ……八百年以上生きておるからか、記憶もあやふやで……親の顔は覚えておらん。兄弟姉妹もいたかのぉ? なにもわからんわい」
本当に、覚えておらんのぉ……ああ、歳はとりたくないものじゃな。
「ああ、もう一つの疑問は答えられるの。生まれつき妖じゃよ。何の変哲もない蛇、というのはこの
人形になるにも、妖力がないと保っておられぬ。妖力を保ち、人形になるほどの高まりを目指すには……喰う他無いんじゃよな……。
「そう、なんですね。じゃあ、普通のこの辺りにいるような虫や動物が妖に代わる事は無いんですね」
「そういった変異は起きんのぉ。己の知識の中にも無いわい。妖は妖。他は、他……変異が起きるのは神くらいなもんじゃよ」
「神様……ですか?」
「娘子の目の前におるじゃろ、妖から神になった、醜い蛇が」
「あっ……え、ええと。その。か、灰里様様は醜くなんかありませんよ」
「ほんにそう思うかえ? 半身は人のようで、半身は鱗に覆われた歪なこの見た目を」
「思いません。私、その……見た目で判断されるのが嫌いなので、私も相手を見た目で判断しないと決めているんです」
娘子は、今のこの国の中では珍しい、青空のような色の瞳を持っておるからのぉ。その色だけで、迫害のようなものを受けていたとは娘子本人からも、あの鬼の男からも、なんならちびすけや先代様からも聞いておる。なら、本心じゃろうな。
「ありがとう、娘子よ。ほぉれ、頭を撫でてやろう」
「あ、ありがとうございます……」
「おや、娘子の髪が濡れてしもうた。すまんのぉ、じじいの手が濡れておったから」
「いえ、大丈夫です。こんなに晴れてますし、すぐ乾きます」
笑みを浮かべながら、娘子は空を仰ぐ。頭上には、青い空が広がっており太陽が眩しくて仕方ない。
「水分は乾くかもしれんがのぉ、娘子の髪についた己の香りは取れんかもしれんぞい。ちびすけ曰く、生臭いそうじゃからな」
「えっ? ええと、その……だ、大丈夫ですっ!」
「きちんと洗うんじゃよ」
「はい……」
素直な娘子じゃのぉ。可愛らしい。まるで孫。いや、曾孫のようじゃ。
「……朱音。ここにいたか」
「青天……どうしたの? 今日は白露様の社を直すって話てたのに」
「終わった。というよりも、あれは直してもまた雨漏りをするから簡易的にだが。きちんとした修繕は、梅雨明けしてからにする」
「今日は晴れておるが、まだまだ降るからのぉ。その度に直せ直せと五月蝿いちびすけの相手、お疲れ様じゃわい」
「……ああ。今日も五月蝿かった」
「誰が五月蝿いんだ! 俺はこの山の神なのにっ! というか大蛇じじい、俺のいない間に朱音と二人きりとか許せんっ!」
無表情の鬼の男の後ろから、五月蝿いちびすけが現れた。ほんに騒がしいちびすけじゃわい。
「別に娘子と共におるのに、ちびすけの許可なぞいらんじゃろ? ちびすけは娘子のなんなんじゃ」
「朱音は俺のだからな!」
「朱音はいつお前のものになった。朱音は朱音だけのもの。阿呆山神め」
「せ、青天っ! お前本当に昔より毒づくのが酷くなってないかっ? というか、その塵を見るみたいな目はやめてくれっ!」
確かに、表情は変わってないように見えるが目だけはとても冷ややかじゃわい。あの鬼の男、自身の感情を表に出すのが苦手と話しておるが……実際はとても心豊かな者なんじゃろうな。
「ちびすけ、五月蝿いぞい。鬼の男よ、お主も暑ければ泉に足でも浸して行くと良い」
「……良いのか」
「構わん。娘子もしておるじゃろ?」
「そうか。それならば、邪魔をする……冷たいな」
「不思議だよね、こんなに冷えてるなんて」
表情は変わらぬが、己の泉の冷たさに驚いているようじゃのぉ。普通ならば、上澄みくらいはぬるくなる程のこの暑さ。じゃが、泉はずっと冷えておる。
「朱音だけでなく青天まで……! 俺も入るっ!」
「なんじゃい、ちびすけ。お主はそういった感覚を持っておらんじゃろうに。暑さも寒さもわからぬのに、なにゆえ泉に足を入れる。やめいやめい、汚い泥だらけの足なんか入れるでない」
「誰の足が泥だらけだっ! ちゃんと下駄あるから綺麗だっ!」
「昔はその辺を裸足で走り回ってたじゃろ」
「どんだけ昔の話をしてるんだじじいっ! それ……ええと……二百……三百……年? は前の話だぞっ!」
「そうだったかえ? すまんのぉ、じじいじゃからよくわからんわい」
そんなに経っておったかの? 己からしたら一年なぞ瞬きの間。十年、百年もいつの間にか過ぎておる程じゃしの。ちびすけがほんにちびすけだったのは、そんなに昔だとは思えんわい。
「灰里は、白露の幼い頃をよく知っているのだな」
「そうじゃよ。今は蛍と生娘を愛でる変質嗜好のちびすけじゃが、昔は可愛かったんじゃ」
「へぇ……どんな感じだったんですか?」
「何するにも、己の後をついてきてのぉ。先代様に怒られると己の影に隠れて。じじい呼ばわりしてくる生意気な小僧とは思っておったが、素直で馬鹿で阿呆で要領が悪く、可愛らしいちびすけじゃった」
「ほとんど悪口じゃないかっ! 大蛇じじいは昔から変わらず俺を馬鹿にするっ!」
「だってちびすけはほんに馬鹿じゃから」
馬鹿ではない、と涙目。何歳なんじゃ本当に……って、心は未だに幼子のままか。そうじゃったな、お主が神の領域に入り、先代様に救われたのは人の身としては三つ程……そのままなら、いつまで経とうがちびすけのままか。
「っくく……ちびすけは変わらんの。ずっとちびすけのままじゃな」
「ばっ、馬鹿にするなぁっ! 青天っ、朱音もっ! 言い返してくれっ!」
「えっ、ええと。私からはその、なんと言えば……」
「白露は確かに阿呆だろう、馬鹿なのもわかる。灰里は何も間違った事は話していない」
「ふ、二人とも酷いっ!」
変わったといえば、山の者達に見限られて消えかけていて……弱っていた姿とは打って変わって、こうして娘子と鬼の男相手に元気な姿を顕現させている所かの。良かった。ほんに良かった。ちびすけが。白露が幸福ならばそれで良い。じじいの小さな願いじゃ。
「……だ、大蛇じじい……なんだ、急に黙って薄ら笑いなぞ浮かべて」
「うん? 別になんでもないぞ。ちびすけは相変わらずじゃなぁと思っているだけじゃわい」
「なんだそれ! やっぱり馬鹿にしてるな?」
「しておらんと何度言えばわかる。だから馬鹿なんじゃ、ちびすけは」
「馬鹿って言うな馬鹿っ!」
ちびすけの言葉に、娘子は苦笑い。鬼の男は頭が痛いと言わんばかりの反応。面倒なちびすけが、これからも世話をかけるがよろしくの、二人とも。
「人喰い鬼と少女のはなし。」番外編集 沢村悠 @nori24
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