記憶の中の約束の果て
まだ俺が幼い頃。母が妹を身籠っていた頃に父は亡くなった。流行り病に罹っていたというから、仕方のない事だった。そんな父親は、病床に伏せている時に俺に言ったのだ。
「青天、君にもいつか大事な相手が出来る。その相手を、大事にするんだよ」
「大事な……それは、どういう意味なんだ」
「いずれわかる。その時になれば」
「わからない。俺は、父や母のように気持ちがわからない」
自分が今、どんな感情なのかもわからない自分にそんな風に思える相手が出来るとは思えなかった。表情を一つも変えずにいる俺に、父は苦笑いをしながら頭を撫でてきた。
「大丈夫だよ、青天。君なら大丈夫」
「……大丈、夫……とは」
「うん。君の事をわかる相手が、きっといつか出来る。それが青天、君にとって大事な相手になる」
「大事な……」
「そんな相手が出来たら、大事にするんだよ」
俺と目を合わせながら、父は俺の頭を撫で続けた。
「約束だよ、青天。大事な相手を、必ず守るんだ」
「……約、束……」
病により痩せ細った父の小指と、まだ幼い自分の小指を絡ませる。指切りげんまん、と父は笑う。俺も心が少し温かくなるような気がしたが、なぜそんな気がしたのかはよくわからなかった。
それから数日後、父はこの世を去った。母は俺の前では気丈に振る舞っていたが、一人でいると静かに泣いていたのを思い出す。それから数ヵ月後、妹が産まれた。
母と妹と暮らして数年すると、次は母がこの世を去った。人間により、命を奪われた。俺はそれを知ると、それまで以上に人間を嫌悪した。鬼族の村では、人間がどれ程愚かで残忍で、忌むべき存在かを教えられる。俺は幼い頃から人間を嫌悪し人里には近寄らないようにしていた。しかし母は、いつかわかりあえる存在なのだと話していた。だが、やはりわかりあえない。人と鬼は相容れない存在なんだとこの時深く感じた。
「お兄ちゃん、お母さんは……なんでいなくなっちゃったの?」
「……人間だ。人間のせいで、母は死んだ」
「人間? 私たちと違う存在の?」
妹は何故か人間に興味を持った。俺はそんな妹に、幼い頃から村で教わっていた人間の残忍さを教えた。妹は人間を恐れたが、それも数年の間だけ。成長した妹は、秘密裏に人里に降りるようになっていた。
「黄月」
「なに? お兄ちゃん」
「人里に降りるのはやめろ。お前が鬼族だとわかれば、あいつらはお前になにをするかわからない」
「やだ。理解もしてないのに嫌うのはおかしいよ。私、人と鬼はきっと手を取り合えるって信じてるよん! お母さんもそうだったんでしょ?」
そう強く俺に言った妹も、母と同じように人間により命を奪われた。俺は嘆いた。なぜあんなにも人間に興味を持ったのか。人間は鬼族を嫌悪しており迫害の対象としているというのに。どうせわかりあえないのなら、最初から近付かなければ良い。妹の亡骸を埋葬したあと、山神もいないと言われている寂れた山で暮らそうと決めた。他とは関わりを持たないように、静かに暮らそうと。
鬼族の村で共に過ごしていた年の近い次期長の協力もあり、すぐに山で暮らせるようになれた。彼から仕事も貰い、同胞以外とは一切会わないように静かに暮らすのだと、決めた──
「……お前……鬼族か」
そんな生活を始めてから数年後、俺の目の前にある男が現れた。人間かと思ったが、目の色が赤かったので違うと判断した。角がないので鬼族ではない。とすれば、妖……だろうか。
「……白露」
「なんだ」
「白露……俺の名だ……この……山の、山神……」
白露と名乗ったそいつは、今にも倒れそうなほど足元はおぼつかず、顔色も悪かった。
「……ここは山神がいない山だと、聞いていた」
「ずっといた……だが……神通力を、ほとんど無くしているからな……信仰されずに数年もの間過ごしている……消える直前……だ」
「そうか」
「そうか、ではない……お前のせいだ……!」
俺のせい。そう言われても、ぴんとこない。なぜなのか。
「麓の村で……お前が……【人喰い鬼】と……呼ばれ、人々の山への信仰が薄く……なった……お前が、この山に……来た、から……」
「……【人喰い鬼】……だと」
「山に入る人間を、お前は……お前は──してる……だから、人間は……山を恐れ、忘れ……俺の存在も、忘れ去られている……!」
「……そうか」
俺が、山で暮らしてからなにかおかしいとは思っていたが……そういう、事だったのか。
「責任を、とれ……俺を、信仰しろ……」
「……責任、だと」
「お前は……俺が視えている。なら、少しばかり──」
そうして、俺は山神である白露を信仰する事とした。山神のいない山は自然も消え、最終的には山も消えるといわれており仕方のない事。そして、俺のせいで消えかかっている白露に対してのせめてもの罪滅ぼしでもあった。
そうしてまた時がたった。麓の村では俺を恐れているのか豆撒きが行われている。好きで人里になぞ降りんのに、殊勝なことだと思った。
そんなある日の事、麓が騒がしく何事かと思い仕方なく外へと出た。雨が降りしきる中様子を見に行くと、中腹のあたりに一人の人間の少女を見つけた。彼女は俺の存在に気が付くと同時に気を失い倒れた。そのまま放っておいても良かったが、それが出来ずにいた俺は家へと連れ帰った。このままではきっと──してしまうだろう。それに、人間が白露に見つかると面倒な事になるとも思ったからだった。
少女は朱音といった。朱音は当初、俺を恐れるような様子を見せたが、受け入れてくれた。人間は嫌いだが、朱音はなにか俺の知っている人間とは違う気がした。感情表現が苦手で、口下手で無表情の俺をわかろうとしてくれた。そんな朱音を日々見ていると、父のあの言葉を思い出す。
「君の事をわかる相手が、きっといつか出来る。それが青天、君にとって大事な相手になる」
父よ、現れたかもしれない。朱音はきっと、俺にとってそういった存在になるかもしれない。ならば、俺は朱音を大事にしよう。守ろう。そう決めた。もし思い違いだとしても、せめて今だけは──
「……青天?」
「朱音か……どうした?」
「なんだか呆けてたから、珍しいなって思って……大丈夫? もしかして、具合が悪い? また寝ないでお仕事してた?」
「いや……少し、思い出しただけだ」
「思い出した?」
朱音は首をかしげている。
「……父の事を、思い出した」
「青天のお父様……どんな方だったの?」
「……聞きたいのか」
「うん。聞いてみたい、青天の家族の話」
隣に座り、朗らかに笑う朱音。そんな彼女の様子に頬が緩むような感覚を覚える。実際、顔なんて微塵も動いていないのに。
「ならば、話そう。俺の父は──」
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