文章で平和を綴る

十六夜 水明

私が思う平和。そして私が小説家になりたい理由。

 私は、物語を読むことが好きです。そして、歴史を学ぶことも好きです。この2つのことでは、様々な人達の考え方や思いに触れることができます。そして、私は疑問を持ちました。『平和とは、なんなのだろう』と。


 ロシアがウクライナに侵攻して約1年。今だに争いは続いています。この事が、ニュースで放送される度に私の家族は「日本に生まれて良かった。」と言います。日本は、平和で安全だから、とでもいうように。でも日本だってずっと平和で安全だとは限りません。私は、中学1年生のときに地理で、〖竹島や北方領土、尖閣諸島などをめぐって、韓国やロシア、台湾や中国との間に問題を抱えている〗と学習しました。この問題が発展したら、もしかしたら今のウクライナと同じことになってしまうかもしれません。だから、日本は、永遠に平和で安全だ。と完全に言い切ることが出来ないと私は思います。では、どうしたら平和な世界にできるのでしょうか。


 まず、平和とはどんなことを言うのでしょうか。ここでは、争いが起こらないこととしましょう。


 では、なぜ争いが起こるのでしょうか。私は、人それぞれの考え方や事情があるから争うのだと思います。例えば、〖桃太郎〗は、村で暴れまわり、盗みを働く鬼を主人公の桃太郎が退治する話です。しかし、このとき、鬼達の中でもほんの一部が悪いことをしていて大多数の鬼は、平和な生活を願っているとします。さらに、悪いことをした鬼達は、鬼ヶ島には資源に恵まれていないため生活に困っており、家族の生活を守るためにやっていたとしましょう。すると、どうでしょうか。一方的に鬼が悪いとは言いずらくなります。このように、人間達は、自分達を守るため、鬼達は、家族の生活を守るためという、それぞれの事情があるから争っているのです。きっとこれを読んだ子供は、人間側からの視点でしか物語を読んでいないので『鬼は悪い奴だ』という片寄った考え方をもつでしょう。このことから私は、争いは、このような片寄った考え方の食い違いや鬼と人間が話し合わなかったように話し合わないことが、原因なのではないかと考えます。


 だから争いは、止められません。人の考えは様々だからです。だから平和も訪れないのでしょう。しかし、私達が、想像力を働かせたり、話し合いをして、相手の事を理解しようとしなければなりません。相手をいつもとは違う別の視点で見てみると、暴力の争いは言い争い程度のものに押さえることが出来るのかもしれませんね。


 私の将来の夢は、小説家です。たとえ、平和が訪れないとしても、平和という理想を追い求めて、世界が少しでも平和に近づくことを祈っています。だから私は、小説家になり、自分が綴る物語で人々に人の様々な考え方や思いなどを知ってもらうことにより、人々の想像力を広げ、人々に物事を、人を、複数のそれぞれ別の視点から見てもらうためのお手伝いをしたいのです。

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文章で平和を綴る 十六夜 水明 @chinoki

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