第29話 すべては無に


 一年が過ぎ、また一年が過ぎました。

 僕は十二歳、お嬢様は十一歳になりましたが、相も変わらず蔵での二人きりの暮らしが続いています。


 お嬢様は裁縫を覚えました。見様見真似ですが、箱の中にあった昔の服を参考にしながら、自分で作り出した裁縫道具を器用に操って古着を作り直します。寝巻きや下着やドレスなんかも何着か出来ました。僕のシャツやズボンまで作ってくれました。もう趣味のようなものです。

 他にも金属を加工してはいろいろな道具を作ってくれます。僕がお願いしたのみかんなや金槌や釘などの工具類が多いです。椅子やテーブルや棚などを作って、蔵の中もずいぶん居心地がよくなっています。僕の大工仕事の腕もなかなか上達しました。

 また、屋根と石壁の何か所かを切り取って石英ガラスを嵌めた窓を作りました。もう薄暗いということもありません。剣は大きな石を切断するのにちょうどいいです。

 蔵の周囲を散歩するのもお嬢様の日課です。蔵の周囲十メートルくらいの範囲ですが、ゆっくりぐるぐると歩き回って外の気配を味わっています。

 僕はメイド長さんに魔法のコツを教えてもらい、なんとか指先に火を灯すことができるようになりました。僕にも少し魔力があったようです。なんの役にも立ってはいませんが、ちょっと嬉しいです。


 そして大きな発見がありました。

 お嬢様のダイヤモンドの耳飾り。それがふたつあると、遠く離れていても話が出来ることが分かったのです。特に同じ原石から削り出したものだとかなり遠くからでも明瞭に聞こえます。それに幽体のお嬢様となら声を出さなくても会話できるのですごく便利です。

 ひとつの原石から新しい耳飾りを作り、今ではいつもお嬢様と僕の片耳に付けています。僕は耳の後ろ側に髪で隠れるようにしていますけど。

 そのおかげで、メイドさんたちとのおしゃべりもそのまま伝わるし、夜中に鉱石を拾いに出かけている時も一人きりじゃありません。


 お嬢様はすっかり回復してきれいな女の子になったし、メイドさんたちは親切だし、食事は充分だし、そんなに困ることもなくけっこう楽しく快適な毎日を送っていました。

 こんな日々がずっと続くんだろうなと思っていました。それは願いでもありました。


 そのすべてが突然無くなってしまうなどと、誰が想像したでしょうか。




 ある日朝の手伝いをしている最中に、お屋敷の方からなにかあわただしさを感じました。メイドさんたちも焦ったように右往左往していて、いつものようなおしゃべりもありません。仕事を終えて食事をもらい、そそくさと蔵に戻りました。

 その日の午後、立派な馬車を連ねてお屋敷にお客さんが来たようです。メイドさんたちもその出迎えのために朝からてんてこ舞いだったようです。

 そのお客さんは王都の偉い人たちで、重要な話をしにきたとのことです。最近鉱山の採掘量が減ってきているので、その原因の調査と今後の対策を決めるためにやって来たらしいです。メイドさんたちの噂話を耳に挟んだだけなので、それ以上詳しいことは分かりませんが。


 採掘量が減るのはたまにあることで、そうなると違う鉱脈を探すしかありません。今回もそうなるでしょう。でも王都から視察に来るなんてことは今まで聞いたことがなかったので、かなりひっ迫した状況なのかも知れません。


 それからしばらくして、新しい坑夫が続々とこの町に送り込まれてきました。犯罪奴隷はもちろん、そこまで重罪じゃない罪人も、遠くの町や村から募集した職にあぶれた人や浮浪者や農夫まで混じっているようです。

 今稼働している坑道をさらに掘り進めたり、新しい坑道を掘り始めたりで、人手はいくらあっても足りません。

 真っ暗な坑道で呼吸も苦しい中、延々と固い岩盤にハンマーを打ち下ろす。しかも落盤の危険と紙一重。

 体力しか取り柄のない荒くれ者でさえきつい重労働です。新しく来た人にとっては、まさに地獄でしょう。しかしここに来たからには逃げ出すことも出来ません。

 町はそんな人たちでごったがえし、いつしか殺気立った雰囲気に包まれていました。

 新しい鉱脈さえ見つかれば……それだけを望みに、坑道はどんどん深くなり、試し掘りの範囲が広がっていきます。

 それでもなかなか見つからないまま半年が経ち、お屋敷中にどことなく焦燥感が広がっていました。最近は食事の量や質も少しづつ落ちてきている気がします。


 そんなある夜、今日もクズ山に向かおうかと思っていると、どこか遠くでゴゴゴゴと低く唸るような音がしました。そして微かな揺れも感じます。


「なにかしら、地面が震えてるわね」

「そうですね、ちょっと外を見てきます」


 蔵の外に出て周りを見渡しても真っ暗なだけです。夜空を見上げると、山の方角が少し明るい気がしました。精練所の明かりはここからは見えないし、方向もちょっと違います。なんだろうと思っていると、揺れと地響きがドドドドと激しくなり、同時に夜空にバッと火の粉が舞い上がりました。続けて山のあちこちが燃え上がるように明るくなります。

 もしかすると……?

 あわてて蔵に戻りお嬢様に伝えます。


「まずいです! 山が燃えてます! 噴火かも知れません!」

「え、噴火?」

「山が中から爆発するんです! 火の岩が飛んでくるかも知れません」

「どうしたらいいの? ここでじっとしてたほうがいい?」

「ん〜ん〜ん〜っ、山から火が雪崩のように降りてきたらこのあたりも飲み込まれて……だからここにいるよりは……」


 悩んでいるうちにも揺れは激しくなり蔵を揺さぶってガリガリと音を立てています。


「ここを出ましょう。一刻も早くどこかに逃げないと!」

「どこに?」

「ええと……」


 下に逃げるなら、調理場の脇の裏口から出るのはかなり大回りになります。この蔵の裏から下に向かうのがいちばん早いはず。


「まず先にお嬢様を塀のところまで連れて行きます。そこから外に出ましょう」

「分かったわ、アルに任せる」

「とりあえず必要なものを急いでこのかばんに入れてください」

「え、持っていかないとだめなの?」

「もしかすると、この蔵も押しつぶされてしまうかも知れません」

「そうね、今にも壊れそうな音がしてるわ」


 お嬢様は溜めてあった金属粒の容器を次々にかばんに放り込みます。あと裁縫道具も。僕は棚から引っ張り出した下着や寝巻きなどをその隙間に詰め込みます。

 お嬢様を毛布でくるんで抱きかかえ、かばんを肩に掛け手には靴を持ちます。そうして外へ飛び出すと、山の方は真っ赤に染まっていました。夜空に熱が渦巻いてここまで伝わってきます。

 お嬢様を抱いて身をかがめて蔵の裏まで走り、塀際にお嬢様を下ろします。


「ここで靴を履いててください。僕は他のものを取りに行ってきます」

「うん、気をつけてね」


 蔵の中に戻り、別のかばんに工具箱の中身をぶちまけます。金槌やかんななど重いものは仕方なく取り出し、代わりにお嬢様の服を入れ、僕も体に毛布をロープで巻き付けます。

 そして手に剣を持ち、蔵の中をざっと見渡します。慣れ親しんだ部屋の中が蝋燭の炎に揺らめいています。地響きは止まず、蔵がギシギシと悲鳴を上げています。

 蝋燭を吹き消し、外へ。お嬢様の所まで走ります。振り向くと闇の中に赤さと熱さがどんどん迫ってくる気がしました。


「お嬢様、大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。ここからどうするの?」

「この塀を壊して、とにかく下に向かって走ります。いいですか?」

「アルに任せるわ」

「大変ですけど頑張ってください」


 剣を鞘から抜いて塀に突き入れると、ずぶずぶと石塀に埋まって向こう側に突き抜けます。そのままぐっと下に下ろします。縦横に四角く切れ目を入れて、踵で押し出すように倒すとぽっかりと口が開きました。

 改めてお嬢様を毛布で包み、背中に負ぶいます。その上からさらにもう一枚の毛布をお嬢様ごと羽織って、ロープでしっかりと縛り、その隙間に剣を差し込みます。両肩にはかばんをたすき掛けにして体の横に固定して、背負ったお嬢様の腕を首に回してもらい足をがっちりと抱えます。あまり身動きは取れませんが、走るだけなら大丈夫そうです。


 塀から外に出て、繁った木の枝をかき分けて少し進むと、その先はもう崖のような急坂でした。

 ずりずりと滑りながら坂を下りていくと勾配が緩くなってきたとろこで走り出します。足下も見えない闇の中、どこに向かっているのか自分でも分かりません。

 背後ではドドドドという地響きに、ガラガラと岩が崩れるような音、バチバチと火が燃え盛るような音、ズズンと下から突き上げるような重い音などが混じり合って、まるで獰猛ななにかが闇の中でのたうつよう。

 たぶん町やお屋敷でも、みんな必死で逃げているはず。でも人の声も山の咆哮に埋もれて聞こえてはきません。

 今はただ振り返る間も惜しんで走り続け、山から離れるしかありません。お嬢様も背中に縛りつけられて揺さぶられ、かなり苦しいことでしょう。


「わたしは平気だから気にしないで」


 耳飾りのせいか、気持ちが伝わっていたようです。


「アルこそ大丈夫? ムリしなくていいわよ」

「でも出来るだけのことはします」

「まあ、このまま死んでしまうのならそれでもかまわないわ」

「え〜? まだ死にたいんですか?」


 最近は割と楽しそうで死にたがる様子はなかったのに。まだそんなこと思ってるのでしょうか。必死に走りながらも、思わず苦笑してしまいます。


「アルは死にたくないのよね?」

「そりゃそうですよ」

「ならわたしも付き合うわ」

「ええ、ぜひともお願いします。まあどうなるか分からないですけどね」

「あら、なにか熱いものが流れてくるわ」


 その言葉にちらっと後ろを振り返ると、どろどろしたものが広がりながら山肌に流れ出していました。真っ赤な川のようです。そのあちこちでぶわっと火が燃えては、それごと流れの中に飲み込まれています。坑道口やその下の選鉱場や精練場のあたりは、もうその中に埋もれているみたいです。先端は町の中ほどまで来ています。流れはゆっくりに見えますが、お屋敷に届くまであまり時間はないでしょう。メイドさんたちは上手く逃げられたでしょうか……。


「左に向かった方がいいみたい」

「分かりました」


 いっそう足を早めます。


 そうして一時間は休みなく走り続けました。かばんは肩に食い込みずっしりと重さを増し、軽いお嬢様でさえ重たさを感じるようになってしまいます。

 地面はいつしか平らになっていて、地響きもさっきより小さく感じられます。

 町からかなり左にそれている気がします。

 暗闇の中、突然目の前に大きな岩が現われてぶつかりそうになったり、でこぼこした窪みに躓いたり足を取られたりしながらも、運がいいことに一度も転ばずに走り続けました。もし転べば、お嬢様ともどもすり傷じゃすまない大怪我をするでしょう。

 

 さらに一時間走ったところで限界が来ました。大岩の陰に身を潜めるように尻を下ろします。お嬢様も荷物も体にくくり付けたままです。気は焦れど、荒い息を整えるのにしばらく時間がかかりました。

 ようやく山の方を振り返ってみます。赤い筋が何本も枝分かれしてふもとまで届いているのが分かりました。鉱山も町もお屋敷も、その先の街道まで、すべて飲み込まれてしまったようです。その先端は黒ずんで一面に広がり、まだ少しずつ舌を伸ばしています。どうやらこの辺りにまでは広がっては来ないみたいです。

 でも、何もかもあの中で灰になって溶けてしまいました。もしもあのまま真っ直ぐ進んでいたら、たぶん僕たちも……。


「すべてなくなっちゃいましたよ」

「そう」


 それ以上交わす言葉もなく、ただ呆然とそれを眺めるしかありません。

 


 次第に空が明るんで来ると、山の様子がはっきりと浮かび上がってきました。

 噴火ではなかったようです。山の中腹、ちょうど坑道口があったあたりから溶岩が噴き出したのでしょう。未だに思い出したようにブシュっと湧き出して赤い川の上を覆って流れています。

 今は近づくことも出来ないでしょう。たとえ戻ってみても、なにか残っているとも思えません。


 忌まわしいほどの赤黒さに変わり果てた鉱山から目を逸らして周りを見渡します。

 左側にはずっとごつごつした岩山の山脈がそびえ立っていて、右側はなにもない荒野が果てもなく広がっているだけ。

 乾いてひび割れた地面には大小の岩が転がっていて、草木の一本も生えていません。時折、熱気を孕んだ竜巻が通り抜け、白茶けた土を舞い上げています。


「なんとか死ぬことはなかったみたいですね」

「ずっと走ってくれたものね」

「これからどうしましょうか」

「アルに任せるわ」

「僕は、とりあえず水が飲みたいです」

「じゃあまず水を探しにいきましょう」

「どっちに行けばいいかな」

「さあ……平らなところより山の方が見つかるかしら」

「山に沿って行きましょうか」

「ここからわたしも歩くわ。ゆっくりになっちゃうけど」

「それなら、もうしばらく負ぶさっててください。走らないなら大丈夫ですよ」

「そう、じゃあもうしばらくお願いね」


 もう一度お嬢様と荷物をしっかりと背負い直してから、山に沿って歩き出しました。

 一夜にして消えてしまったあの町に背を向けて。



(第一章 完)



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「第一章 鉱山暮らし編」終了です。

 やっとミーアお嬢様の基本能力が整ったところで、未知の世界に放り出されてしまいました。


「第二章 あてどない旅編」では、冒険者として魔獣狩りや金属採取やモノづくりなど、二人ならではの活躍をしながら、さまざまな人に出会い、初めてのものに触れ、新しいことを知り、世界を広げていく…………予定ですが、ここでいったん休止することにします。


 もし続編を読んでみたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、コメントなどお願いします。


 ここまで読んでくれた方、どうもありがとうございました。



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半分幽霊、半分金属。死ぬことが生き甲斐の盲目お嬢様は、無自覚に無双する!【第一章 鉱山暮らし編】 @miz9909

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