○終章 本格ファンタジー論と本格的なファンタジー愛
ファンタジーを中心としたエンタメを系譜的に眺めること、あるいはライトノベルを主役にエンタメの歴史を探ることは、もともとライフワーク的趣味ではあった。だが、それを1つの記事としてアウトプットすることはなかなかできずにいた。
その理由として最大だったものが『スタートラインを決めかねる』状態にあったからだ。ライトノベル始祖論のやっかいさは序盤の章の時点で露骨に溢れ出ていたと思うが、どこをスタートにしても何故その作品から語るの? がついて回る。それがファンタジーというジャンルである。そんな折にたまたまSNSに流れてきた「ロードス島戦記」を中心とする議論は、良い刺激ときっかけになった。始祖論という切り口に捕われるからスタートから迷子になるのであり、ライトノベルにおけるファンタジーとはなんだったのかを「ロードス島戦記」を主役として見る。この形は悪くないと思ったからだ。
結果としてはまあそうなるなで、ファンタジー以外も大量に取り上げる形となった。だが、そのこと自体が私のライトノベルとファンタジーに対する答えにはなっている。
「ロードス島戦記」は本格的なファンタジーか否かの個人的見解は明言してしまおう。私は本格的なファンタジーであると思っている。というか、今回取り上げた作品の多くを(誰がどうみても要素0の現代ものなど以外は)本格的なファンタジーだと認識している。
一方で「ロードス島戦記」が本格ファンタジーか否かの個人的見解は『答えをもたぬ』となる。お気づきの方も多いだろうが、本記事においては『本格ファンタジー』と『本格的なファンタジー』を別物として書き分けている。私の中に『本格ファンタジー』という定義が存在しないからだ。
定義化やその議論を否定するわけではない。私自身も勝手にエンターテイメント大河活劇みたいな言葉をでっちあげているし、どちらかというと好きな方だ。だが『本格ファンタジー』という言葉はライトノベルの定義以上に確定が困難だ。そこに囚われてしまうとエンタメ数百年の作品たちに対して肯定よりも否定が多くなる作業が待っているだけだろう。
古き良きファンタジー回顧論のようなものへの理解と共感はある。私はライトノベル・ファンタジー黄金期に青春を過ごした世代だ。「ロードス島戦記」も「スレイヤーズ」何度も読み返した。この時代への思い入れは強い。
全ての時代と作品に対して公平であろうと務めたつもりだが、それでも個人の本音としては90年代のファンタジーと、今のファンタジーが全く同じとは思っていない。なろう系の中の名作たちも本格的なファンタジーであると思ってはいるが、それはそれであり、同じものではない。違うものは違う。
その感覚は大事にして良いものなのだろう。誰しも自分が最も好ましいと思う理想のファンタジー概念がある。
だから貴方がこれぞ理想と思うファンタジーを本格的なファンタジーと呼び、そこからすこし外れてしまっているものはファンタジー系とかファンタジー的とでも呼べばいいと考えている。本記事で言いたかったことはこの数行でまとまってしまうのだが、この言葉を述べたいがためだけに100年分見返してみた。そういう記事だ。
神話と戦記と叙事詩を天に戴く壮大なファンタジー。
SFから生まれ、SFと共に育ったファンタジー。
欧州の土と風と精霊と血で綴られたファンタジー。
指輪物語を親とする西洋世界的ハイファンタジー。
D&Dを親とするTRPGの遺伝子たち。
過去や未来や超時空へ旅立つファンタジー。
コンピュータRPGがドラクエにたどり着いた時代のファンタジー。
ドラゴンクエストを親とするJRPG黄金期。
80年代伝奇小説が放つどこか暗くも妖艶に輝いていた国産ファンタジー。
SFという枠を超え独立存在に到ったロボット・ファンタジー。
スチームパンク、サイバーパンク、ポストアポカリプスなファンタジー。
ルスヴン卿やドラキュラ伯爵が誘惑するノワールなファンタジー。
不思議の国に迷い込むメルヘンにしてクルーエルなファンタジー。
ディズニーが導いた少年少女の心の宝石箱に仕舞われるファンタジー。
ジブリ作品が呼び起こす、懐かしくもせつないファンタジー。
手塚治虫と藤子不二雄が切り開いたファンタジー。
小泉八雲と水木しげるが埋め込んだ和と妖怪とファンタジー。
山田風太郎から続く日本のダークファンタジー。
アジアが日本に語りかけてくる東洋風ファンタジー。
アメリカ先住民が、西部劇が、中南米が踊り狂うファンタジー。
ライトノベル黄金期に日本中のエンタメが沸騰したファンタジー。
セカイ系が生み出した、なんだか心が落ち着かないファンタジー。
己の学生経験と交差する体験と憧れと妄想の学園ファンタジー。
近代ミリタリーが侵食する不可逆を破壊するファンタジー。
IT革命でヴァーチャルでシンギュラリティな時代のファンタジー。
ハリー・ポッターとそのチルドレンたちのファンタジー。
HENTAI・MOE大国がたどり着いたライトノベル・ファンタジー。
エロという欲望の果てにたどり着いたファンタジー。
なろう系が生み出したISEKAIという新参者ファンタジー。
ファンタジーは読者の心の中にあればよい、日常系と青春もの。
その気になればファンタジー論にも侵入できるサメ映画の神秘。
貴方の理想のファンタジーが流行った時代がある。衰退した時代がある。今が衰退期であるならばやはりそれは辛い。
だが、身も蓋もないところでは、誰かが自分の理想のファンタジーを具現化したいと考え、それを実行したからこそトレンドが生まれ、追随者や共感者が現れ、その結果としてそれが理想のファンタジーとなる時代が生まれただけでもある。
筒井康隆は文房具が宇宙戦争する物語を書いた。文房具が異世界転生してコンパスドラゴンになり、ロケットペンシル連打砲ブレスを吐き出す本格的なファンタジーがあっても良い。
SFもファンタジーも伝奇も、全ての幻想は自由だ。
誰かとするファンタジーの議論は楽しい。だから論は無限にあっていい。ただ、自分の理想を他人とあわせる必要もない。貴方が書く側であるなら、これが私の理想の本格じゃと貫き続ければ、100年後にはその時代の本格ファンタジー代表になっているかもしれない。
そんな話だ。
取り上げられなかったものへの後悔は強い。手塚治虫と藤子不二雄はやれなかった。ディズニーもマーベルも出来なかった。特撮も。東映魔法少女も。ハリウッドSF映画も。最近のアニメ戦線ではネットフリックスが重要だけどそこの独占作品とか、そういうのも拾えていない。Kindleで同人的出版をする個人も増えた。ゲームもフラッシュゲーム、CGIゲーム、ガラケー買い切り時代ゲームなど拾えなかった。エロゲーのアドベンチャー・ファンタジーは魔境すぎて諦めた。ヤオイとBLとかは栗本薫も関わってるしとか。格闘系漫画の鉄拳チンミとか刃牙とか修羅の門とか入れちゃってもよかったかなーとか。一般文芸もミカ・ワルタリのエジプト人とか、クリスチャン・ジャックの光の石の伝説とか、ジーン・アウルの始原への旅立ちとかそっち系もやりたかったすね。ホントのホントは。
こんなにもエンタメはファンタジーで溢れている。喜ぶべきか、泣くべきか。
後書きを兼ねているので、唐突な自分語りをしよう。
私は酒が好きだ。酒漫画もよく読む。バーとウイスキーを好むので、バーテンダー漫画を特に好む。
バーテンダー漫画では、カクテルの話がよく出てくる。カクテルというものは材料の分量や入れ方・混ぜ方がレシピとして確立されており、それぞれに名前がついている。
そして同じ分量でも、複数ある材料のどれか1つを変えるだけで違うカクテルになる。
あるいは、材料が全て同じでどれか1つの分量を変えても違うカクテルになる。
なんだったら全て同じ材料と分量で、混ぜ方を変えても違うカクテルになる。
口の中に材料をバラバラに放り込んでそこで混ざることでカクテルになりますとかいう、よくわからないものもある。
ファンタジー論もそういうものなのかもしれない。SFとファンタジーと、古代と中世と近代と現代と未来と、西洋と東洋とその他の地域と、現実と夢の中と異世界と、どれか1つの分量を少し変えただけで違うファンタジーとなり、混ぜ方の順番を変えただけで違うファンタジーになる。
マティーニというカクテルがある。ジンという酒とベルモットという酒を混ぜたものだが、ベルモットの量を減らすとドライ・マティーニなる。さらに減らすとエクストラ・ドライ・マティーニとなる。グラスにベルモットを注いでからそれを全部捨て、ベルモットが入っていた空グラスにジンのみを注いで飲み、それをマティーニと呼ぶ変人がいる。最初からジンのみを注いだグラスに遠くからベルモットを霧吹きでワンプッシュし、それをマティーニと呼ぶ狂人がいる。ベルモットのボトルを眺めながらジンを飲んでうん、マティーニだと言い切った狂人を越えた何かに到達した者もいた。
ファンタジー要素0の現代ラブコメの横に指輪物語を並べながら、うん、本格ファンタジーだと言い切る者がいたっていいのかもしれない。いや、それは普通にドン引きするわ。
酒の話をしていたらバーに行きたくなった。そういえば行きつけのマスターがロマサガ30周年記念コラボウイスキーを隠し持っていたはずだ。長い旅を終えた自分へのご褒美にちょうどいいかもしれない。
というわけで、ちょっとバーでロマンシングしてこようと思う。酒もまたファンタジーを彩る友。ウイスキーに酔いつつ、ファンタジーに酔ってこよう。
それでは良いファンタジーライフを。
本格ファンタジーは一度死んだのか? ~広がりすぎた「エンタメ」に潜む、本格ファンタジーという最終幻想~ 82(ぱに)/平々八十二 @kasyo_82
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