変わらない人間
三鹿ショート
変わらない人間
久方ぶりに実家へと戻ってきたが、やはり不便な土地だと再認識する。
最寄りの駅だけではなく、飲食店などといった店もまた、時間をかけて移動しなければ到着することは出来ない。
学校に通っていた当時は腹立たしかった環境だが、今ではそれを懐かしく思ってしまうということを考えると、成長したということなのだろうか。
暇潰しのための散歩をしながら、私は口元を緩めた。
やがて、私の眼前に大きな建物が姿を現した。
私が学生の頃から今にも崩れそうな印象を与えていたその図書館が未だに現役であることに、驚きを隠すことができない。
内部に入ると、見慣れた光景が目に飛び込んできた。
目が合った職員に頭を下げると、内部を歩き回っていく。
並んでいる本にそれほど大きな変化は無く、かつてこの施設で読んだことがある本を発見すると、それを手に座席へと向かう。
座席には、先客が存在していた。
その相手を見て、私は目を見開いた。
学校を卒業してから何年も会っていないにも関わらず、彼女の姿がまるで変化していなかったからだ。
***
彼女は、いわゆる優等生だった。
他の生徒が阿呆のように騒いでいる中、彼女は黙々と勉強をしていた。
感情を示すことなく、他者と馴れ合うことなく過ごしている孤高とも表現することができる彼女に対して、私は心を奪われていた。
だからこそ、彼女が図書館で毎日のように読書をしているということを知ったとき、私もまた図書館に通うようになった。
だが、毎日のように通っていては偶然を装うことが出来ないために、私は数日おきに図書館へ向かうことにしていた。
読書の邪魔をするわけにはいかなかったため、図書館では彼女と会話をすることはほとんどなかった。
しかし、学校で会うと、挨拶をする程度には親しくなった。
亀のように歩みは遅いが、確実に仲が深まっているといえるだろう。
その証拠に、我々は休日に外出するようになった。
常のように感情を示すことはなかったが、やはり本が好きなのか、書店へ向かった際には、その目が輝いていたように見えた。
だが、彼女が購入するものはなかった。
興味深そうにしていたにも関わらず、何故一冊も購入しないのかと問うと、
「私の家では、本は読むものではなく、殴る道具として使用されますから」
無表情でそう告げる彼女が、夏場でも長袖の衣服を着用している理由が何となく分かった気がした。
彼女が図書館で過ごす時間が多いのは、本を好んでいるということもあるだろうが、同時に、なるべく自宅で過ごしたくは無いということなのだろう。
彼女は自らの意志で優等生と化したわけではなく、問題を起こして暴力の口実の与えないためにも、そうならざるをえなかったという事情が存在していたのかもしれない。
その日は、それ以上会話をすることができなかった。
***
彼女が日頃、どのような仕打ちを受けているのかは不明である。
しかし、私はそのことを少しでも忘れさせようと、彼女を外出に誘うようにした。
私の誘いを一度も断ったことが無いということを考えると、彼女もまた、閉鎖された空間からの脱出を望んでいたのだろう。
彼女は私に笑顔を見せることはなかったが、少しでも苦しみを和らげることができるのならば、それでも構わなかった。
***
進学のために、私は土地を離れることになった。
だからこそ、彼女を誘ったのである。
卒業後の彼女の進路は不明だが、この土地を離れる機会は、それほど多くはない。
ゆえに、私は彼女に手を差し伸べたのだが、彼女は首を左右に振った。
「私が共に生活をしなければ、何が起こるのか分かりませんから」
彼女の人生は彼女だけのものであるにも関わらず、この土地に縛り付けるとは、彼女を苦しめる人間は、どれほどの悪辣な存在なのだろうか。
私が暴力で解決することができるのならばそのようにしたいところだが、彼女がそのような解決方法を望んでいるわけではないということは、理解している。
私に出来ることは、何も無かった。
彼女に対する同情なのか、何も出来ない自分を不甲斐なく思ったのか、私の双眸から涙が流れ始めた。
彼女は自身の手巾で、私の涙を拭ってくれた。
そして、感謝の言葉を口にした。
浮かべていたものは、私が初めて見た笑顔だった。
***
姿が変わらない彼女に驚いていると、私の視線を感じたのか、本に目を落としていた彼女が顔を上げた。
彼女は本を傍らに置き、私に近付くと、
「私に、何か用事ですか」
その口ぶりから、彼女が彼女ではないということを悟った。
他人の空似であることを知った私は、少女に何でもないと告げた。
再び読書を開始した少女を眺めながら、私は彼女の自宅に向かうことを決めた。
***
彼女の自宅は、空き家と化していた。
庭の雑草は伸び放題で、窓硝子は割れ、外壁は剥がれ落ちていた。
近所の人間に何時からこのような状況なのかと問うたところ、私がこの土地を離れてすぐのことだった。
いわく、彼女の父親は誰が見たとしても駄目な人間であり、娘を虐げながらも娘が存在していなければ生活することができないような状況だったらしい。
だが、美しく成長していく娘を見て、彼女が誰かの恋人と化し、そして己が捨てられてしまうのではないかと疑心暗鬼を生ずるようになった。
ゆえに、父親は娘を道連れにして、この世を去ることを選んだらしい。
事情を知った私は、その場にくずおれた。
そのような結末を迎えるのならば、無理にでも連れ出すべきだったのである。
私は彼女に謝罪の言葉を吐きながら、涙を流した。
近所の人間がどのような眼差しを向けようが、どうでも良かった。
変わらない人間 三鹿ショート @mijikashort
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