『勿忘草色の空の下で』
小田舵木
『勿忘草色の空の下で』
うだるような暑さ。体は私の中の水分を絞り出す。
顔を上げれば太陽は輝き、地表にエネルギーを送り続けていて。
この星の上のある国には季節があったというが。
今や、そのリズムもどこへやら。今のこの星には最高潮にキマった暑さしかなく。
着ている装備の中はサウナのように蒸れていて。
「今、ここで全部脱ぎ捨てられたら、どれだけ気分が良いか」と、私は一人ごちて。
「んな事したらアウトだっつの」と一人ツッコむ。
なにせ、この星は
この星で何があったか?それは明らかではない。
私たち人類が他の惑星への移住を始めた頃に起きた内乱の結果だから。
内乱の際に、この星に配備されていた核兵器が暴走した…と考えるのが
「…まあ過去を振り返っても仕方がない」私は
人類の始まりの星、生命の揺り籠たるこの星を
◆
私はこの星にノスタルジーに
内乱が遠い過去になりつつある今、調査にきたのだ。
この星に何が残っていて、何が残っていないのか?
あたり一面は高層ビルの残骸が林立し。地表はえぐれていて。
むき出しになった地面にはこの環境に適応した植物が生えてはいるが。青々とはしていない。なんとか生えている、と形容したほうが良い有り様で。
そこには希望を感じさせる要素はなく、ただ、在りし日を思わせるばかりで。
◆
わずかに残る建造物。その中に私が目指すものがある。
この地域のデータセンター。『終末の日』に備えた記憶の集積場。
このあたりの地下に存在するはず…記録が正しければ、の話だが。
地下鉄の駅の施設に偽装された入口があるはずなのだが。
とはいえ。ここまで地表がえぐれていると、その入口が残っているかも定かではなく。
◆
トーチカを大きくしたような、地下鉄の入口のような、そんなコンクリートの塊が私の眼の前に現れる。
それはあたりの惨状の中でなんとか形を保っていて。
目指していたものか?と期待に胸を膨らませて近寄ってみる。
入口にはセキュリティが敷かれている。ドアのノブの上にカードのスロットのようなものが付いており。
「もう、ココを開けに来る人類はこの星に居ないって」なんて。ため息と共に
持ち込んだ道具でこじ開けられるだろうか?というか、カードセキュリテイって…
カードスロットに解錠道具を差し込み適当に
数分後にはカチン、という音と共に鍵が開き。私はその施設の中に潜りこんでいく。
◆
目指していた所ではない事に気づくのに時間はかからなかった。
あまりにも個人的なスペースがこの地下には広がっていて。
生活感さえ感じる、その小さな穴蔵は。家庭用の核シェルターを思わせる。
広さとしては2人暮らしのマンションを想像してもらえば良い。入ってすぐがリビングで、その奥にベッドスペースが広がるような。
「外したか」思わず口に出る。
地下の
そこには微かな生活の気配があった。幾年前のものかは分からない。内乱があった頃のものだと思うが…妙な感じもする。
少し前まで誰かがそこに居たかのような。
あり得ない事ほど想像のディティールは広がるものだ。想像力が無駄に仕事をしてしまう。
「多分、男と女だな」と私は
「…現実を見ないロマンチストは何時だって男だ」希望なんて見えなかったはずなのだ。それとも?
「自殺だったのか?緩慢に、でも確実に干からびれる自殺。これは女が好きそうだ」女だって、それなりのロマンがあるもので。
簡素で実用的なテーブル。そして向かい合わせに置かれた椅子。
そこに彼と彼女は居たんだろう。
テーブルの上には
「
「君だって、星を
「…一時の感情に身を委ねる者は身を滅ぼすって事かな」彼女は言う。
「俺達は盛り上がり過ぎたらしい」と彼は頭を垂れて。
「…今更どうしようもない」と彼女は涙を流しながら言う。
そうして、哀れなカップルは地の下で緩やかに死を迎える。そこに同情の余地などない。それが自然というものだからだ。
まったく、と思えはすれど。私だって他人の事を笑えない。
制止するパートナーを振り切って、こんな星に降り立っているのだから。
好奇心は何かを殺す―よく聞く警句の類は、人の口に
◆
ベッドスペースに進む私が居て。用などないはずなのだが。情報端末の
ダブルのベッドの布団の下は
あるかも知れない死体…の側を荒らす私。
ベッドの脇にクローゼットが設けられていて。そこを開ければ、旧式のPCがある。ノート型なのが珍しい。
バッテリーが生きていれば良いが。まあ、駄目なら記憶装置を引っこ抜けば良い。
ダメ元で電源を入れて見れば。フォン…という微かな音と共に起動し。
旧式なシステムが立ち上がり、ログイン画面はパスワードを要求する。
「ココにも鍵かけとく?」なんて私は思う。カップルの《どちら》かの端末だろう。こういうのは鍵をかけるとあらぬ
「参ったな。取っ掛かりがない…」手持ちにはこういうオールドなマシンを
◆
ここで気分を切り替えて、そのノート型のPCを放置する方が時間はかからないはずだが。
私は妙に気にかかってしまっていて。
何かしらの取っ掛かりはないか、
嫌な音を立てる心臓。朽ちた死骸は見慣れているはずなのに。
意を決して布団を剥いでみれば。
そこには何もない。あるのは朽ちかけた紙切れ。そこに書かれた乱雑な英数字。
「意味ありげな隠し方…逆に見たくなくなるよ」私は呟いて。
この小さな墓場を後にする。
◆
空の色が淡い水色から濃紺に変わっていく。
私は地下を出ている。ノート型のPCを携えて。その僅かな重みの中にどのような想いが込められているのか?好奇心はそこに移っていて。
今日の調査を引き上げてしまう。あの地下室に時間を割きすぎたのだ。
この星に降り立った船に一度戻って、情報端末を持ち出す。PCは船の脇に置いてある。汚染されている可能性があるものは船の中に持ち込めない。
「さて。彼ないし彼女は何を残しているのかね」私は呟きながら膝の上に載せたノートPCの電源を入れる。自前の端末を接続しておく。電源の確保とデータのサルベージ目的だ。
「パスワード…」紙切れに残された英数字を打ち込んで。ログインしてみれば。
PCの画面にはいくつかのファイルが表示されている。適当に開いてみれば、あの地下室の物資の管理表。あの核シェルターに数年は籠もるつもりだったらしい。
なぜ、滅びゆく地球で
あの国は大国の傘に入っていたとは言え、惑星移住は規制されてなかった…と聞いているのだが。
ファイルを漁り続ける。だが実用的なファイルばかりで面白みは薄い。
「こりゃ外したかな」私は呟く。あの内乱の頃の文化的資料の足しにはなるだろうが。
私が今、求めているのはあそこに存在した感情であり。あの地下に居た者の細部なのである。
◆
『私が子どもと生きる意義を失った日』そのファイルには大仰な名が付されていて。
探していたものを見つけた私は何気なくそのテキストファイルを開いたのだが。
「…ああ、見なきゃ良かった」と斜めに読んで私は思った。
そのテキストファイルには―あの地下にいた若い夫婦の揉め事の
簡単に言ってしまえば、地下に籠もる中、子どもを為してしまい、その子どもを育てるか否かで揉めた夫婦が喧嘩し、最終的に子どもを殺害する事を決めた…という話であった。
「人間ってのは死に際して生殖欲が高まる…俗説は正しい訳だ」私は呟いて。
「女性は母になりたがる…私には理解不能だな」と空に同意を求める。私は自分の星にパートナーを置き去りにして、この星の調査事業を請け負った。自らのキャリアを優先した、というのがよく解される私の行動理由だが。それは違う。端的に言って、この世界に子どもを産み落とし、子孫を継いでいく意欲が足りないだけだ。自分の遺伝子を継いだ子どもが私の眼の前に現れるという事に喜びを感じないのだ。
「母性本能が足りて無いのか、はたまた自己中心的なのか?」問うてみるが。
「…まだまだガキなのかも知れん」と自己回答をしてみるが。そこには微かなバイアスがある。女性たるもの母であれ。
空を見上げれば、黄金色に輝く月があり。その光に照らされる私は幾年前の人々の営みを
人の振りみて我が振り直せ。
「言われなくても分かってるぜ?」なんて言い返してみる。一人で。返す者はこの星には居ないし、もしかしたらこの宇宙上にも存在しないのかもしれない。
◆
調査の日々は続いていく。
私が担当するこの国のこの地域。そこにはデータセンターは無いのか?と思わせるくらいに調査は進まない。
「見つけたのはあの端末だけか」なんてごちて。子を亡くしたあの女性のことを考える。
彼女は、あのテキストファイル以外に
そのせいで私は妙にやきもきした感情を抱くことになった。
子を亡くした彼女はどうなってしまったのか?
あまり良い未来を描くことは出来ないが。少なくともあの地下には居なかった。
では?地表に自殺をしに行った?それは短絡がすぎるような気がし。
かと言って。子を殺す決断を共に下した男と一緒に暮らし続けるだろうか?現実的には男手は必要だが。
こんな感情に囚われている場合ではないかな。
私は歩を進め、調査を続ける。
◆
粗末な墓標を見つけたのは、数日経ってからの事である。
データセンターを探す範囲を広げ、探査用のボットを2、3放ってからの事。
あの地下室から数キロ離れた小高い丘…のような場所に高層ビルの残骸の欠片が2つ、そう。2つ並んで建っていて。
その表面には名前らしきものが彫られている。男性名らしきものと女性名らしきもの。
「子どもはどこにやったんだい?」と私は彼らに問うてみるが。
「…母親と共に
私は妙に腹がたった。子どもを巡って大喧嘩をしといて、仲良く二人墓を並べている事に。
男の方がなあなあにしたのかも知れない。
「現実を見て、
「…何時までも感情的にはいられないのかな」彼女は目を伏せながらそう言って。
彼らはそうやって『現実』を見据えながら、とりあえずの『生活』に
そんな彼らの『夫婦』としての有様に腹が無性にたつのは私が子どもだからだろうか?
いや。
私自身の『夫婦』としてのあり方と比べてしまっているのだ。
私たちはどうにも感情的にぶつかり合うことが出来なかった。
本音を押し隠して、お互いに建前で暮らしている。
今回の件だって。本当は止めて欲しかったのかも知れない。
「君にそんな危ない仕事をして欲しくない」その一言が欲しかったのかも知れない。
だが、実際に彼が言った言葉は薄い笑みを添えたもの。
「君が行きたいのなら行くと良い。健闘を祈る」この言葉にいかほどの感情がのっていただろうか?
空を見上げれば、太陽。灼熱の光が降り注ぐ。
その光は容赦なく私を
絞り出されるのは汗だけではないような気がしてきた。
絞り出されたものは白日に
私の今抱いている感情も消えていく。
そうして、あの夫婦たちよろしく、『生活』に埋没していくのだろう。
『勿忘草色の空の下で』 小田舵木 @odakajiki
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