第52話 大師匠 その8

 クオン……。その名前は、あの牛頭山の頂上で出会った身勝手な魔王達に呼ばれた名前と同じだった。


 あの時。違和感しか感じなかったそのクオンと言う名前。しかし今、エイドリアンにクオン君と呼ばれた時……。俺には何故だかその言葉が妙にしっくりときてしまった。


 不思議なものだ。ここに来て、俺の前世の記憶にかかっていた濃い霧が一気に晴れて行く。エイドリアンの事を思わずエイリンと呼んでしまったのもそのためだ。


 榮凛と書いてエイリンと読む。前世の彼女は大太刀おおだちの怪人と呼ばれる男の娘。あの、牛頭山の山頂でやたら異彩を放っていた大男の娘なのである。


「そう言えば、俺は確かにそう言う名前だったね。今、ようやくはっきりと思い出したよ……。」


 そんな俺の言葉に、エイリンがまた笑った。


 過去の記憶の中のエイリンは、黒髪で意思の強さが切れ長の目元に現れた凛とした姿、今の黄色い髪にどちらかと言えば妖艶な雰囲気を漂わしているエイドリアンとはまったくの別人である。


 しかし、その笑顔は俺の記憶の中の榮凛エイリン……幼馴染で姉の様に慕っていたあの時のままだった。


「どう?過去の記憶を思い出した気分は?」


「そうだな。なんだか少し気恥ずかしい様な気もするな。」


「それって、もしかして私があなたの初恋の相手だから?」


「まさか。確かに前世の俺はエイリンの事が好きだったかもしれないけど、今は別だよ……。あれはもう何千年と前の話だろ?気恥ずかしいってのはそう言うんじゃなくて、何も知らない俺をずっと見られてたってことだよ。」


「あら残念。せっかく貴方にウンと言わせてから、盛大にって上げようかと思ってたのに。」


「そんな訳あるかよ。いくら過去の俺がクオンだったって、今の俺は剣聖の兄のカイルなんだから。それにお前だって……その性根の悪さはやっぱりエイドリアンそのものじゃないか。昔のエイリンはもっとこう……気高いと言うか……もっと品があったぜ。」


「仕方ないでしょ。私にだって色々とあったの。逆に数千年も経てば同じ性格のほうがおかしいわよ。」


「だよな。つまりは俺もエイドリアンも、記憶が戻ったところで今までのままってこった。」


 そう。今まで通りなのだ。


 風が吹き、人々の記憶が奪われてしまったとしても、俺達は変わらない。


 俺は、妹のレイラを――


 エイドリアンは、幼きあるじショーン少年を――


 絶対に神の手から奪い返す。


 つまり俺達は、こんな場所でのんびりと過去の記憶浸っている場合でないのだ。

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